第38話 シナリオは手のひらの上

 そこから先は非常に早かった。身体を器用に動かし、腕だけでなく脚にも力を入れて跳躍するように軽々と普通校舎の壁を上っていく。


 ふと思い出した。昔、腕の筋肉を痛めて病院に行ったときのこと。お医者さんは僕の腕を見て目を見開くほど驚いたようだった。


 日々柔軟やパルクールを繰り返していた僕の腕は、見た目こそ細いがそこについている筋肉は平均以上に発達していると、お医者さんは言った。



 見た目に寄らず力があるのは、いざという時の武器になる。自分の可能性を信じる理由の一つになる。





 上るのに必死で、気が付かなかった。


 僕は今、一ノ瀬陽菜と同じ場所に立っている。


 屋上のフェンスの向こう側。


 一ノ瀬陽菜と、目が合った。




「また……また邪魔しに来たのね!?」


 一ノ瀬陽菜はフェンスの内側に目を向ける。


 緩く後ろで纏められた緑色の髪の束が肩の上に乗っていて、左の横上が一房の白髪が目立つ。一部分の白髪はばらついて、あちこちから見えている。


 そして、不自然な黒色の瞳。


「ボクが邪魔しに来るのは初めてなんだけどな」


 一瞬ライかと思うほどそっくりな顔立ち。目の色が違うから、イフなんじゃないかと思えるが、その声はライと同じもの。でもどこか通話越しのイフにも似ている。


 もしかして、ライとイフってやっぱり双子なのだろうか。


 一人称の違いからも何となく彼女がイフであることがわかる。



「嘘つき! あなたこの前「飛び降りたら?」とか言ったじゃない!!」


「言った記憶は無いんだよな」



 ここまで顔と声が似ている双子は見分けがつかないのも何となくわかる。


 僕はイフもライも、両方とも知っているから何となく違いが分かるが、一瞬喋っただけの人を見分けるなんて至難の業だ。


 どうやらイフの後ろにはシオリも待機しているようで、彼女はつまらなさそうな目で一ノ瀬陽菜を見ていた。



「とりあえず一ノ瀬さん、フェンスの中に戻ろうよ」


「黙って! あんた一体どこから来たのよ!! 気持ち悪いじゃない!! 邪魔しないで!!」



 純粋に棘のある言葉。濁りが無いから嘘では無いんだろうけど、普通に傷つく。



「私にはわからない……」



 シオリがそう呟くと、それが聞こえた一ノ瀬陽菜が反応した。



「わからないでしょうね!! ほとんど家族との関わりが無いような有名人の娘には」


「……」



 あんなことを言われても、表情一つ変えないシオリは一体何を考えているのかが気になった。相変わらず目に光は灯らず、夜というのもあり、より表情は暗いように見えた。


「私がどれだけお父さんが大好きだったか、自殺したことを聞いた時どれだけ絶望したか、どれだけ私が無力だったか、何も知らないんでしょう」


「お前の気持ちは知らないが、それ以外なら知ってるぞ」


「どうして知ってるって言えるのよ⁉」



 イフはニヤリと嗤って答えた。



「お前の父親が働いていた会社は、五年前にとあるハッカーによって顧客の情報が抜き取られ、それが外部に流出したことで倒産したんだ」


「それぐらい……知ってるわよ」


 イフが今言っている情報は、確か〈不確定要素〉にも載っていたような気がする。

 正直、父親の死因なんかどうでもいいと思っていたから流し読みをしていた。


「そしてお前の父親はそれの責任者でもあった。会社の倒産は自分の管理不足だと思い込み、そのまま責任を取るために深夜のビルから飛び降りた」


「だから何って言うのよ!」


 目が吊り上がり、怒り全てを言葉に乗せてイフに言葉を投げつける。しかし、イフは全く物怖じせず、最初から最後まで変わらない調子でいた。




「本当は最初の原因に復讐したかったが、相手はハッカー。悪い意味で情報のプロ。ましてや簡単に探せるものじゃない。ああでも、相手がハッカーっていうことは報道されていなかったか。まぁいい。諦めたお前は次に、憎むものを消そうとした。でもお前の良心が働いて殺せなかったんだろうな」




「……」



 ほんの一瞬、困惑の表情が浮かんだが、それはすぐに消えてまた怒りの感情を前面に出している。



「そして何もできなかった無力なお前は、父親と共にあろうとした」

「……」


「でも、それを父親が望んでいることなのか、ということ」

「望んでなくても、私が幸せになれるなら……」


 震える声で押し出した言葉は、呆気なくイフに返されることになる。



「え? よくわからないなぁ。愛しているなら、その人の気持ちを最優先に行動すべきじゃないのか? お前の愛って薄っぺらいなぁ」



「黙ってよ!!! 何よさっきから!!!」



 一ノ瀬陽菜の声に、言葉に怒りの熱が籠り始める。向けられているのはイフだが、もしこの熱を僕が受け止めていたら、汗が溢れて仕方がなかっただろう。今でさえ、少し汗ばんでいるのだから。


 イフは横目でシオリを見た。



「姫乃栞奈。もちろんお前も知ってるだろ? どんな些細な霊でも視ることができるってことくらい」


「……!」


 一ノ瀬陽菜は目を見開く。


 彼女にも、僕にも、イフが作ろうとしている展開が読めたのだ。



「さあ、父親を捜しに行こう。きっとこの世のどこかにいるはずだ。まずは墓でも探すか?」


「……その必要は、ないよ」



 伏し目がちにシオリは答えた。



「……一ノ瀬さんは、入学した時から目立ってたの。憑りつかれてもないのに、ずっと霊を引き連れる人は滅多にいないから……」



「どういう……こと?」




「ずっと、あなたを見守ってたの。あなたのお父さんは」




 一ノ瀬陽菜はそのまま固まってしまったと思えば、すぐに彼女の目からほろほろと涙が零れだした。



「今、あなたのお父さんは必死に上に引っ張ろうとしてる。フェンスの内側に、戻したいんだと思う。そうだよね?」



 シオリは一ノ瀬陽菜の斜め上を見て問う。それに僕たちに聞こえる返事が返ってくることは無い。ただ、彼女だけに聞こえる答えだ。


「お父さんが、いる、の……?」


 シオリがフェンスに近づいて、微笑んでからこう言った。



「ここに、いるよ」

「信じられない……けど、信じられないけど……」



 零れる涙が増えて、一ノ瀬陽菜は手で涙を拭う。


 イフは見覚えのあるパソコンを取り出し、操作する。



「きっと、あなたのお父さんはあなたに生きてほしいんだよ」

「うん……、うん……!」



 するとイフが僕の方に近づいて来て、僕の耳元で囁いた。


「一ノ瀬陽菜の〈役〉を止めたよ」


 そうか。〈役〉が動き続けていたら、この物語に終止符が打たれない。丁度良いところで止めるのが、一番の最善策なのか。

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