第11話 不確定な温度

 放課後になり、学園内の人はまばらになっていく。

 啓斗は俺を全く気にせず、すぐに帰宅した。


 部活の話を今のところ聞いていないから、恐らく帰宅部なのだろう。終礼が終わるとすぐに消えていった。


 俺は仕事があるからと言って、全ての勧誘を断った身である。つまり彼と同じ帰宅部。


 普段ならすぐに帰ったりせず、部活が始まるまでの間男子たちと駄弁ったりする。ただ、今日は皆都合が悪いみたいで、委員会の話し合いやミーティングが重なってしまっているようだった。


 まばらに人が散った教室で、一人俺はスマホを眺めている。


 寂しさとか、虚しさとか、そんなものは存在しない。ただ心に存在するのは痛みだけ。


「……」


 ネットニュースを多く取り扱っているアプリを起動する。最新のものや閲覧数が多いものから順に表示される。適当にスクロールして、何か気になるものが無いか探す。


 火災、殺人、強盗、政治……。虐待。


 上から五番目に表示されていた虐待に関する記事を何も考えずにタップする。


 どうやら、聞いたことのないどこかの市でまた一つ小さな命が失われたらしい。


 何度も何度も熱湯をかけられた上に、食事を与えなかったようだ。






 身体の奥の方がうずうずとひしめくような感覚。再上演するかのような痛み。


 液体が肌に触れると同時に暑さよりも痛みを感じ、背中が酷くヒリヒリと痛み出す。ろくな対処法がされなかったのならば、その痛みは徐々に悪化し、水ぶくれなどが出来たりして、跡が残る。


 飢えは……。お腹が空いていないから、痛みが再出現しない。


 少しだけ、安心した。





 最近になって虐待死亡事件が目立つようになってきたと思う。一つ出れば、続けてもう一つ出る。叩けばいくらでも埃が落ちてくるように、隠された事実も公になる。

 幼い子たちが死ぬ必要など無いのに。俺じゃないんだから。


「何見てるの? 虐待のニュース? うわぁ、可哀想……」


 突然話しかけてきたのは同じクラスの城咲しろさきアザミだった。


 黒に近い紫色の髪を持ち、エメラルドのような輝く黄緑色の瞳を持つ彼女。髪型はボブで、髪色さえ違えばシオリが思い浮かぶ。


「暇だから適当に見てただけだ」


 そう言って俺はスマホを閉じた。


 恐怖心か、何か。触れられたくないものがあったからに違いないのだけれど。


「わたし、こういう身勝手な人嫌いだな」


「身勝手?」


「だって、自分の怒りを加減を知らず人にぶつけるんだよ? わたしたちはさ、どんだけ怒っても人は殺さないじゃん。やっていいことと、悪いことの違いも分からない人間に、人間やる資格ないよねー」


「……急にたくさん喋るじゃん」


 軽いノリでペラペラと持論を展開する城咲さんに圧倒されてしまった。


 にしても、人間やる資格ないって、余程のことが無い限り出てくるような言葉じゃないような気がするが、そこは聞いていい部分なのだろうか。


「あはは……、まぁ、死ななくてよかった程度には思ってるからさ。つい熱くなっちゃって」


「虐待っ、されてたの⁉」


「異常な食いつき見せるじゃん」


 苦笑いを一生懸命普通の笑顔に変えようとしているのが、嫌でもわかってしまった。


「すまん」


「いや、良いんだって。気にしないから」


 ふと脳裏に声が聞こえてくる。





 ——痛みっていうのはね、実感してからじゃないとわからないのよ?


 ——あなたのためを思っているの。


 ——全ての痛み、知ろうね。





「顔色、悪いよ?」


「えっ?」


 あれは誰だったか。顔も名前も思い出せない。ただシルエットだけが映し出され、悪夢にまで出てくる声を響かすだけ。


 俺は虐待されてなんかない。


 俺は咎峰家に生まれ、一人っ子で、毎年誕生日を祝って、イベントを楽しむ一般家庭に生まれた。家族に感謝している。だからこそ、この小説家という仕事で、家族に恩返しがしたいと思っている。


 なのに。


 なのに。






 どうして俺は全ての痛みを知っているんだ?






「汗、大丈夫?」


「ああ、すまん」


 上の空で返事をして、ポケットから出したハンカチで適当に額を拭う。


「もしかして、咎峰くんも虐……」


「されてない。自分で言うのも何だが、俺は比較的愛されていると思う」


「へ?」


「この前母さんが、この年なのにこどもの日をお祝いしてくれたんだ。ちらし寿司も出てな、それが絶品だったんだ。お刺身も乗ってて贅沢だったぞ」


 自分でもびっくりするぐらいの饒舌で事実を述べる。

 その言葉の風に圧倒されたのか、城咲さんは少し引き気味で俺の話を聞いていた。


「凄いね! わたしの家に男の子の兄弟はいないから……そういうのは無いかな~」


「俺、帰る」


 そう言って俺は廊下に出る。教室から城咲さんの声が聞こえる。


「突然だねー。ばいばーい」






 再出現した痛みはまだ引かない。


 この体質は、小説家としては役に立つが日常生活を送る上では不愉快極まりない。


「誰が……どうして」


 ふいに呟いた。誰かに聞かれてないかと、廊下を見回すが視界には誰もいなかった。自教室からは離れているので、恐らく聞こえていないだろう。





 〈チョコチャット〉に一件、通知が来ていた。



【今日の夜、21時頃から群青システムの操作パネルについて説明する】



 と、イフからメッセージが届いていたのだ。



【了解】



 俺は簡潔に返事をし、学校を出た。


 その頃には、痛みは治まっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る