第28話 欲望の奴隷
校門までやってきたとき、その惨状に立ち尽くすしかなかった。
そこに私の理想とする学校は無かった。
空から鉢植えや花瓶が落ちてくる。一部の窓が完全に割られている。先生が暴れる生徒を取り押さえる。昨日までマトモだった同じクラスの子がぶつぶつと何かを唱えている。
投げられた水風船が私の顔をかする。後ろにいた生徒に当たる。
「はぁぁあああああ?」
男子生徒の逆鱗に触れる。暴徒と化す。
ここは混沌? 地獄?
違う。私の中でそれを絶対的に否定する何かがあったのだが、それの正体を知らない。
そしてこの光景を見て、ふと思うことがある。
私も彼らと同じになるのではないか、と。私もまだ気づいていないだけで、目の前の惨状を引き起こす原因になってしまう因子を持っているんじゃないか、と。
でも、私はまだマトモだ。
実の父親が大好きで、家に住む男と血の繋がっていない妹が嫌い。
ただそれだけで、他の人に迷惑はかけない。仮に手を出したとしても、家に住む男と妹くらいで、それ以上の被害は出さないだろう。
ああ、でも警察……いや、大丈夫。隠してしまえば、きっとバレない。
「……」
また、私は良くないことを考えていたのか。
こうやって自覚があって、ちゃんと自分を責められるときはまだいい。でも、いつかこれに気付かなくなってしまったら、反省さえもしなくなってしまったら、それは手遅れというだろう。
手遅れということも気づかない。
それがなんて素敵な物か。
一生手に入れられないモノに見えて、案外手の届く範囲にある猛毒。
染まってしまえば抜け出せない。抜け出す気なんて更々ない。
「きゃっ。え……なにこれ……」
校門で棒立ちしている私の横で同学年の女子生徒が言った。
彼女が向いている方向につられるように私も向く。ほぼ反射に近い。
緑色の粘り気を持った液体が、校門から入ってすぐ右にばら撒かれている。しかも大量に。
それを近くに落ちていた棒か何かでツンツンとつつく女子生徒がいた。知っている人だ。
「何しているの……」
「え? ああ! 陽菜ちゃんじゃん。やっほー」
耳川ツナギ。一年一組副委員長。
「やっほー、じゃなくてさ。得体の知れないモノの近くに行っちゃだめだと思う……」
「ん? これは悪いモノじゃないよ。何となくわかるもん」
「化学とか……得意だったっけ」
「んーん。ぜーんぜん。でもね、何が良いとか悪いとかわかるよ」
つつくことをやめて、棒を明後日の方向に投げると、耳川ツナギは自らの手で、粘着質の液体を掴んで持ち上げた。
「毒性は無いし、痛くもない。食べるのはちょっとオススメしない? かも?」
「……」
呆れで返事が思いつかなかった。
自身の欲望を忘れるほどに。でもそれが逆に幸福だと感じるほどに。彼女に夢中にさせられた。
不思議な子だ。
「それは一旦置こう。ほら、教室行くよ」
「うん、でも陽菜ちゃんとは行きたくない」
「……え?」
行きたくない? どういうこと? 何があってそうなったの? 私は悪いことを一つもしていないじゃない。誰よりも優等生で誰よりも親切にしてきたのに、どうして私が拒絶されないといけないの?
「どう……して?」
「だって陽菜ちゃん、悪いように見える。一緒に居たら私も悪くなる。だから離れる」
酷いことをサラサラと悪気無く述べる。セットで笑みまでついてくる。腹立たしい以上の醜い感情がどろどろと沸いてきて、溢れそうになる。
でも、それを表に出してしまうくらいなら家に住む男と妹を殺したほうがマシだ。
「そっか。そう思う日もあるよね。今日の私、目のクマ酷いかなぁ」
あえて逸らすようなことを言って、的外れなことを言って、平気を取り繕う。
本当は泣きそうで、声が震えていることくらい自分でもわかっているんだけど。
色々な人が自分の本心をさらけ出して、やりたいことをやっている。
それが器物損壊であり、暴力衝動であり、未知の科学実験であり、殺人衝動であろうとも、何も恐れることなくやりたいことをやっている。
隠している自分が馬鹿みたい。
「……あはっ」
静かに、笑う。他の人の欲望に隠れて聞こえないだろう。
「もういいや」
ゆっくりと校内に入っていく。
何をしようか。歩きながら考える。脳内で色々なシミュレーションをする。
やっぱりお父さんのことが大好きだから、お父さんに会いたいよね。
でもお父さんは高いところから飛んでいっちゃった。
同じことをしたらお父さんが受け止めてくれるかなぁ。
同じことをしたらお父さんに会えるかなぁ。
同じ道を歩んだら、お父さんの痕跡が見つかるかなぁ。
「会いたい」
会ったら何をしよう。
まずは挨拶。「久しぶり」「おはよう」「また会えたね」どの言葉にしよう。
次に愛を伝えたい。
大好きなんて言葉じゃ足りない。たくさん言っても足りない。どうやって伝えよう。
飛ぶまでに考えられるだろうか。ちょっと難しいかな。
会ってからでもいいや。これからずっと愛し続けることができるし。
「……えへへ」
昼休みに屋上、行こうかな。
邪魔する奴は許せない。私の愛を邪魔するのと同意義だ。
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