第40話 願望

 弓親先生の去った部室で、俺はしばし悩む。


 先生のアドバイスにより、俺はラブコメ小説を書くことを決めた。


 ファンタジーの方は一旦区切りがついていたので、別の話を書くのは問題ない。


 しかし、己の願望を目一杯吐き出すようにラブコメを書くのは、なかなかに恥ずかしいものがある。


 願望というか妄想モリモリの話を書くのも恥ずかしいが、さらに、俺はたぶん、その小説を雨宮さんに見せることになるのだ。


 俺と雨宮さんは、恋人同士という関係ではないものの、両想いの範疇ではある。そんな人に対して、俺は自分の全てをさらけ出せるだろうか。


 どうしたものかと悩んでいるところで、花村先輩が言う。



「夜野君。率直に訊いてしまうけど、男の子っていうのは、いつでも女の子の裸を見たい、とかいう願望で溢れているのかな?」


「……急に猥談が始まりましたが、ここってそういう部活でしたっけ?」


「まぁまぁ、いいじゃないか。これから君は、自分の率直な願望と向き合って、それを小説にするんだろう? その手助けをしてあげようと思ったまでだよ」


「……そう言いながら、だいぶ面白がってますよね?」


「うん。それは、もちろん」



 花村先輩は実に愉快そうにニマニマしている。後輩をいじめて楽しむなんて、酷い先輩だ。


 だがしかし、こうして楽しげにしてくれるのは、ある意味救いでもある。猥談めいたことでも、花村先輩は華麗に笑い飛ばしてくれるのだ。その辺の女子だったら、こんな話題に嫌悪すら見せるだろう。


 こんな先輩の前でなら、多少アウトな発言をしてもいいだろう。雨宮さんも同席しているのは気になるが、上手くフォローしてくれるような気がする。



「……おほん。いいですか、花村先輩。いくら男の子が女の子の裸に興味津々だからといって、いつでも女の子の裸を求めているわけではないんです。まれに下着姿や水着姿を見たいときもあります、パンチラの美学というものも存在します。それに、男の子の心はいつもいつも性欲に支配されているわけではなく、浴衣姿やメイド姿にキュンとしたいこともあるのです。男心も複雑なんですよ」



 なるべくキリッとした顔で力説すると、花村先輩はぶはっと吹き出して、ケラケラと大笑い。


 恥ずかしいことを言ってしまったが、こうやって笑ってもらえると、俺も救われる思いだ。



「夜野君、真面目な顔でものすごくバカなことを言うね! いやしかし、確かに男心は複雑だ。じゃあ君は、女の子と付き合い始めたとして、別にやらしいことばっかりしたいわけじゃないんだね?」


「そうですね。別にそういうことばっかり求めているわけじゃありません。男の子だって、こう、薄汚い性欲なんかに支配されない、心の繋がりを大事にするピュアな関係に憧れることもあるんです」


「なるほどねぇ。確かに、君はそういうのを大事にしそうな感じだ。じゃあ、夜野君としては、どこまでがピュアな関係かな? キスはあり?」


「キスは……イメージとしてはピュアな感じです。でも、したことがないのでわかりません。あれ、実際どうなんですか?」


「私に訊いちゃう? うーん、まぁ、軽く唇を触れ合わせるくらいだったら、手を繋ぐのと似た感覚かな? 割とピュアかも。でも……舌を絡ませると、とてもピュアとは言えないかなぁ」


「そ、そう、なんですね……」



 何かいけないことを聞いてしまった気がする。顔が熱くなってしまった。



「ま、こういうのは経験してみないとわかんないよね。そんで、夜野君がラブコメを書くとして、部の活動として書くんだたら、夜野君の全年齢な願望を書いてもらうことにはなるかな。エロエロの内容だったら、流石に個人で勝手に書いてもらうことになる」


「それは、はい。そうですよね」


「君にも健全な恋愛願望があるなら、まずはそれを吐き出して見るといい。全年齢縛りで言うと、夜野君はまず、好きな人と何をしたいと思う?」


「そうですね……添い寝でしょうか」



 雨宮さんと添い寝する姿を思い浮かべてしまうが、それは即座に打ち消す。



「ほほぅ、添い寝かぁ。いいね、そのギリギリの健全具合。他には?」


「うーん……靴下を履かせてあげるとかいいですね」


「おお、ちょっとフェチっぽいのが来たね。ちなみにそれ、どういう願望なの? 女の子の足に触りたいの?」


「そうですね。女の子の足なんてまず触ることがありませんから、触れてみたいという願望があります。それに、靴下を履かせてあげるというのは、前からいくと、こう、角度的にスカートの中が見えそうで見えないような位置に顔が来るわけで、そのチラリズムに興奮すると言いますか……」


「ああ、足にも触れたいし、女の子の下半身を間近で見たい、と」


「そういう感じです」


「やーらしー」


「……ちゃんと全年齢です」


「まぁねぇ。あ、女の子の背中にサンオイルを塗るとかもしてみたいと思う?」


「いいですね。男の子の憧れです」


「ふぅん……。夜野君も、無害そうな顔してしっかりエッチじゃん」


「……まぁ、男の子なんてそんなもんですよ。性欲と無縁で生きていくことはできません」


「そうだねぇ。男の子は、やっぱり男の子だよねぇ。雨宮ちゃん、頑張ってね!」


「へ!? あ……えと……その……」



 急に話を振られて、雨宮さんがあうあうしている。


 その様は可愛らしいけれど、少し気まずいので俺は雨宮さんの方を見ないようにした。


 花村先輩は実に愉快そうで、くつくつと笑っている。



「いやはや、君たちは面白いね。まぁ、あんまり余計な口出しはしないから、じっくり恋だか愛だかを育んでね」


「既に余計な口出しですよ」


「ごめんごめん。まぁ、とにかくさ、夜野君も、いい感じに自分の願望吐き出して、いい作品書きなよ。文芸部の外に出したら変な目で見られる可能性はあるけど、ここではだいたいどんな内容でも問題ない。絵描きがヌードデッサンを普通のことと思ってるのと同じようなもんさ」


「……まぁ、はい。確かに、ここならちょっとヤバいの書いても大丈夫かなとは思えました」


「それは良かった。どんな作品ができるか、楽しみにしてる」


「はい」



 話が一段落したところで、雨宮さんがちょいちょいと俺の服の袖を引く。


 雨宮さんを改めてちゃんと見ると、その顔が妙に赤かった。先ほどの話で、ずっと気まずい気分にさせてしまったかもしれない。


 雨宮さんは何かを言おうとしていて、でも、なかなか言葉が出てこない。


 やがて、雨宮さんが席を立ち、中腰になって俺の耳に口を寄せる。


 それから、俺にさえ聞こえるか聞こえないかくらいの小声で、ひっそりと囁く。



「あ、あの……わ、わたしで、協力できること、あったら、協力、するから! 添い寝くらい、大丈夫だから……!」



 それを聞いて、一気に広がる俺の妄想。添い寝のはずなのに、何故か添い寝の遙か先まで行ってしまったが、急ぎその果てない妄想を打ち消す。



「あ、う、うん。ありがとう……」



 雨宮さんが席に着く。赤い顔のまま顔を伏せた。



「……やれやれ。何を言ったのか知らないけど、君たちは本当に仲がいいねぇ」



 花村先輩が呆れて、俺は何も言えなかった。


 さておき、そろそろいつもの部活動に移るかと思ったのだが。



「あ、そうだ。また皆でちょっとお出かけしたいと思ってるんだけど、どう?」



 花村先輩が別の話を始めて、もう少しおしゃべりの時間が続いた。

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