第46話 雨宮父
雨宮さんのお父様は、ナイスでグッドなイケオジだった。……雨宮さんのお父さんだからって、変に色眼鏡で見ているわけではない。はずだ。
四十代後半くらいだろうが、特に体型が崩れているわけでもなく、さらに精悍な顔立ちをしていた。俺もこんな大人になりたいな、とうっすら思うタイプの男性だ。
「ああ、
「うん。た、ただいま……」
「えっと、そっちの君は……」
雨宮父の視線が俺に向く。無関係の他人です、などと嘘をついて立ち去るわけにもいかないので、ここはきちんとご挨拶。
「俺、
実のところまだお付き合いはしていないが、恋人一歩手前の微妙な関係だ、と説明するのは面倒だ。ここはお付き合いしているということにする。
「ほぅ……。君が例の……」
雨宮父の目線が鋭くなる。例のって、雨宮さんは俺についてどんな話をしているのだろうか。
「初めまして。雨宮翠さんとは、仲良くさせていただいています。ただ、その、お父様がご心配されるようなことは何もしておらず、高校生らしい交際をしています」
「……そうか。まぁ、父親としては複雑だが、高校生のうちに一切異性との交際経験がないのも、あまり良いことではない。特に翠は、少し気弱なところもあるようだ。親が干渉しすぎても、翠の自立が妨げられるだけだろう。最近では学校にも楽しく通えているようだし、それは君のおかげでもあるんだろうな。これからも、娘を頼むよ」
「は、はい。任されました」
雨宮父が苦笑する。俺の態度が固すぎるからだろうか。
雨宮父は、今度は雨宮さんに向き直る。
「父さんはちょっとコンビニまで行くが、何か欲しいものはあるか?」
「ううん……大丈夫」
「そうか。わかった。……それと、まぁ、父さんとしては、翠が彼氏やお友達と楽しく過ごしているのは、すごくいいことだと思う。ただ……翠は、専業で作家になれたらいい、みたいなこと、言っていたよな。専業でそういう仕事に就こうっていうなら、誰にも負けないくらい、努力し続けないといけないとも思う。それは、ちゃんとできているのか? 最近は休みの日によく出かけているようだけど、そういう普通の生活をしたいなら、やはり専業の作家は向いていないとも思うんだ。普通に会社務めをすれば、仕事の時間は仕事の時間、休日は休日、ときっちり切り替えられる。翠も、専業の作家ではなくて、会社勤めするような道を選んでもいいんじゃないか? 小説は趣味でやるとか、本業の傍らで細々とやっていく感じでもさ」
「それは……でも……」
雨宮父は、頭ごなしに雨宮さんの気持ちを否定したいわけではないらしい。たぶん、専業作家の難しさなんかも、色々と調べているのだろう。そのうえで、雨宮さんに、いわゆる普通の仕事をしてほしいと願っている。
親としては当然の願いだと、俺は思う。俺も多少物書き業界のことを知り始めて、この業界は相当な魔窟だと理解し始めている。
努力が報われるわけじゃない。技術を研鑽すればいいわけでもない。自分が面白いと感じるものを書けばいいというわけでもない。
雨宮父の心配はもっともで、雨宮さんの人生に、まだまだ責任なんて負えない俺は、余計な口を挟むべきではないのかもしれないけれど。
俺は雨宮さんとずっと一緒にいたいと願っているから、少しだけ、踏み込む。
「あの、雨宮さんの、お父さん」
「……うん?」
「娘さんの進路について、色々と心配されるのは、もっともなことだと思います。でも、俺はあなたの知らない雨宮翠さんを見ているから、少しだけわかることもあります。雨宮翠さんは、ちゃんと本気です。誰にも負けないくらい、努力していると思います」
「……そうかい?」
「雨宮翠さんは、俺や、文芸部の皆と遊ぶこともあります。でも、それはたぶん、心のどこかで取材のような気持ちも入っていると思います。小説を書くために、色々な経験を積もうとしているんです。
俺も多少書いているからわかりますが、小説って、ただ机に張り付いて勉強するとか、ひたすら書きまくることで上達するものでもありません。これが楽しい、あれが楽しいっていう経験や、世の中にはこんなものが存在するんだっていう発見が、すごく大切です。雨宮翠さんは、それがわかっているからこそ、文芸部に入ったんだと思うんです。
雨宮翠さんは、俺が見ていても、人と接するのが苦手です。それでも、自分がプロになるためには人と接することも必要だって理解して、文芸部に入ったんです。それも、間違いなく努力なんです。そして、執筆の時間を削ってまで、皆と遊びに行くのも、やっぱり努力の一つなんです。
専業になる難しさは、俺にはわかりません。結局、作家としてやっていくなら普通の会社勤めの経験だってあった方がいいんじゃないかとも思います。専業を勧めない、というのは俺も同意です。
でも、でもですよ。
雨宮翠さんの本気だけは、疑わないであげてください」
俺が言い切って、雨宮父は唇を引き結んでから、こくこくと小さく頷いた。
「……私は少し、理解が不足していたかもしれない。翠は、本気なんだな」
「……本気、だよ。わたし、本気、なんだよ」
「そうか。うん、まぁ、その気持ちは理解した。専業になるのはやはり反対だが、その気持ちの部分を誤解したのは悪かった。すまん」
「……うん。わかってくれれば、いい……」
「ここで長々と話すことでもないし、翠もまだ高校一年生だ。専業だ、と決めつけずに、色んな人を見て、じっくり考えなさい」
「……うん」
「それじゃあ、また後で。夜野君も……いつか、ゆっくり話をしよう」
「……はい」
少しビビる。でも、ビビってばかりもいられない。
なんたって、好きな人の前なのだから。
「なんにせよ、娘が連れてきた彼氏が君で、父親としては少し安心だ。父親にはわからないこともたくさんあるから、娘を、どうか頼むよ」
雨宮父が、しっかりと俺に頭を下げる。大人に面と向かって頭を下げられるのは始めてで、俺は恐縮してしまう。
「あ、その、わ、わかりました。精一杯、頑張りますっ」
「ありがとう。じゃあね」
雨宮父が去っていく。去り際もイケメンである。
その姿が見えなくなって、俺はほっと一息。
「ふぅ……なんか、緊張しちゃったな……」
「ご、ごめん、急に……」
「いや、いいよ。改めて顔を合わせるときのハードルが下がった。丁度良かったよ」
「そう……。なら、良かった」
雨宮さんが両手でそっと俺の右手を包む。それからふわりと笑いながら、俺を見つめる。
「夜野君。ありがとう……。お父さんに、色々、わたしのこと、言ってくれて……。それに、わたしの気持ち……理解してくれて……。嬉しい……」
「……まぁ、将来を約束した者として、当然のことをしたまでだよ」
「じゃ、じゃあ、これは、将来を、約束した者として、当然の、喜びの、表現……」
雨宮さんが、正面から俺に抱きついてきた。ゼロ距離では、容赦なく雨宮さんの感触が伝わってくる。髪の香りも漂ってくる。
猛烈に抱きしめ返したいと思ったのに、雨宮さんはすぐに離れてしまう。
「……ま、また、明日っ」
「あ、うん」
雨宮さんがいそいそと鍵を取り出し、オートロックを解除。自動ドアが開いて、雨宮さんは中に入っていった。
雨宮さんの姿が見えなくなっても、俺はしばらくその場に立ち尽くしてしまった。
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