第45話 本

 それから。


 俺たちは神社の敷地内を歩き回って、ゆったりと過ごした。


 宝物殿を見たり、奥まったところにある蕎麦屋で食事したり、近くにあるお寺の綺麗な庭を眺めたり。


 ほぼ毎年来ていたはずなのに、改めてちゃんと見てみると、今まで知らなかった部分をたくさん見ることができて良かった。


 そうこうするうちに、午後三時を回る。


 花村先輩が、一時間も歩かないところに別の神社があると言って、俺たちはそこに向かうことになった。


 かなりの坂道で、延々と歩き続けるのはかなり大変だった。雨宮さんはやっぱり途中で休憩を必要としたけれど、以前よりは体力がついてきた印象。


 坂を登りきった先に、目的地である神社を発見。妙に近代的な作りの社務所があり、それには驚いてしまった。


 縁結びのご利益が神社あるとかで、ひとまずお守りを一つ購入しておいた。


 坂道を登ってきただけあり、神社からの眺めは良好。ちょっとした満足感を得つつも、バスも来ている場所なので、そっちを使えば良かったかなと思わないでもない。


 帰り道もまた歩いて、俺たちはハイキング気分を味わった。


 駅までやってきたときには、もう午後五時過ぎ。少し早いが、今日はそのまま帰ることに。


 先輩たちとは途中の駅で別れて、俺は雨宮さんと二人で電車に揺られる。


 帰り際、先輩たちからは、「もう遅いんだからちゃんと雨宮さんを家まで送ってやれ」と言われている。


 そこまで暗くはないのだけれど、要するに、しばらく二人の時間を満喫して帰れ、ということだと思う。異論はないので、それに従うことにする。


 いつもと違い、俺は雨宮さんと一緒に、雨宮さんの家の最寄り駅で降りた。駅付近はちょっとした商店街になっていて、小洒落たお店もいくつか並んでいる。


 時刻はまだ午後六時を回っていない。今すぐ家に帰る必要はないだろう。



「雨宮さん。俺、この辺りのこと、よく知らなくてさ。少し、散策してみるってのはどうかな?」


「うん……いいよ」


「どこか、面白いところとかあるかな?」


「ん……面白いって言われると、困るかも……」


「ああ、ごめん。どこか、雨宮さんがよく立ち寄るお店とかないかな?」


「……本屋とか、文房具屋とか、かな」


「そっか。カフェもあるみたいだけど、雨宮さんは寄らない?」


「ひ、一人で、そういうとこ、行かない……」


「それもそうか。ひとまず、本屋でも行ってみたいな」


「わかった……。その前に、えっと……」



 雨宮さんが数秒もじもじした後、すっと俺と手を繋いできた。


 雨宮さんの左手が、俺の右手を握る。ほんの僅かに汗ばんだ、柔らかくて可愛らしい手だ。


 俺もその手を握り返す。


 今更かもしれないけれど、女の子から手を握ってもらえるって、とても嬉しいことだ。自分を受け入れてもらえて、自分を求めてもらえるなんて、以前は考えられなかった。



「ねぇ、雨宮さん」


「あ、え、何?」


「……こんなことをあえて尋ねるのは無粋なことだと承知なんだけど、俺は臆病だから、訊かせてほしい」


「うん……?」


「俺が雨宮さんと手を繋ぎたくなったとき、俺から繋ぎにいってもいいのかな?」


「……いいよ。当たり前、だよ」


「そっか。当たり前だったか」



 当たり前に、雨宮さんに触れていい。もちろん、触れていい場所は限られているとしても、触れていいというのは革命的だ。



「……本屋、こっち」



 雨宮さんが俺の手を引く。それに素直に従って、道路を一本渡った先にある本屋へ。


 本屋自体はかなりこじんまりしたもの。本が置かれているスペースは教室の半分程度かもしれない。


 当然ながら、置かれている本の種類も少ない。漫画で言うと、一部の最新刊や大人気作だけ。ライトノベルの棚もあるけれど、本当に数が少なくて、こちらもアニメ化した大人気作が少し。



「雨宮さんは、ここで何か買うこともある?」


「うん。ある。……けど、あんまり、種類ないから……通販が多い、かな……」


「まぁ、そうなるよね」


「うん……」


「いつか、雨宮さんの作品が、こういうお店にも置かれる日が来るといいね」


「……夜野君、あんまり、プレッシャーかけないで……。ここにあるの、本当に、人気作ばっかり……。ラノベなら、何十万部、何百万部突破とか……。すごく、難しい……」



 俺には、何十万部、何百万部突破、というのがどれだけ難しいことなのか、いまいち想像がつかない。気軽に言ってしまったが、雨宮さんには重いことだったようだ。



「ごめんごめん。変にプレッシャーかけるつもりはなかったんだ」


「うん……。その……野球で、例えるなら、甲子園優勝、どころじゃなくて……プロになってホームラン王になろう、みたいな、そういう話……かも」


「あ、そこまでの話だった?」


「少し、大袈裟だけど……。近いと思う……」


「そっか……。とりあえず、まずは賞を取る、だね。これは、甲子園優勝、くらいの話?」


「うーん……優勝かどうかは、別にして……プロからスカウトされる、って感じ……かな」


「それも難しそうだ」


「うん。難しい。賞を取るって、全年齢の全国大会で、いい結果を出す、ってことだから……」


「思えば厳しい世界だね」


「うん……」


「それでも、雨宮さんは目指すんだね」


「……うん」



 雨宮さんは神妙な顔で頷いている。


 譲れない何かを持つ人の顔だと思う。


 可愛いとかではなく、凛々しいとか、勇ましいとか表現すべきところだろう。


 俺みたいにぼんやり生きているのではなく、雨宮さんには、ちゃんとした目標があるのだ。



「……すごいな。俺、こんな人の隣にいるのか」


「……えっと、何が、すごい?」


「高い目標を持つ人の隣にいるんだなって思うと、なんだか感慨深くなったんだ」


「目標、持つだけなら、簡単だから……」


「そうかもね。でも、雨宮さんは努力を続けている。それはすごいことだよ」


「……ありがと。認めてもらえるのは、嬉しい……」



 もじもじしている雨宮さんは、やっぱり可愛い。握った手にも力がこもるというものだ。


 それから、ざっと店内を見て、結局何も買わずに店を出る。なんだか申し訳ない気持ちにはなるが、高校生はあまりお金を持っていないから許してほしい。最近は雨宮さんとお出かけしたり、文芸部で遊びに行ったりするので、節約しなければならない。


 本屋の他にも、いくつかお店を覗いた。文房具屋、百均など、ありふれた普通のお店だ。


 ありふれたお店のはずなのに、雨宮さんと一緒だと思うと、それだけで特別な場所にも感じられた。


 そうする内に、時刻は午後七時手前。


 俺たちは、雨宮さんの家に向かう。駅から徒歩十五分圏内、住宅街にあるマンションの一室が、雨宮さんのお宅。


 十二階建てマンションの一階はエントランスになっており、俺と雨宮さんはそこで別れることに。



「それじゃ、雨宮さん。また……月曜日? 明日は……予定ある、かな?」


「えっと……予定っていうか、その……勉強とか、執筆も、しなきゃかな……」


「じゃあ、月曜日に」


「あ、でも、えと……も、もし、良かったら……夜野君のお家で……執筆、できたら、嬉しいかも……」


「そう。なら、うちに来てよ。親と食事会とか、そういうのは考えなくていいから」


「……うん」


「それじゃあ、また……」


「うん……」



 お互いに手を振って、別れようとしたところで。


 エントランスにあるオートロックのドアから、一人の男性が出てくる。俺は、ただの見知らぬおじさんだと思ったのだけれど。



「あ……お父さん……」



 雨宮さんの口から、少々ドキッとする言葉が。

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