第33話 踊り場

 俺たちは部室には向かわず、屋上に向かう踊り場にやってきた。


 屋上は開放されていないので、わざわざこんなところに来る人はいない。


 立ちっぱなしもなんなので、階段に二人並んで腰掛ける。俺の左手側に、雨宮さん。


 俺はただ、雨宮さんの作品を落ち着いて読むためにと、ここを選んだ。しかし、よく考えると、人気ひとけのない場所に、男女で二人きりである。そして、雨宮さんとの距離が妙に近い。



「あ、あの、雨宮さん。もう少し離れても、いいんじゃないかと……」



 少し動くだけで、体が触れ合ってしまう距離感。


 俺はもちろん雨宮さんとの接触も大歓迎なのだが、雨宮さんからすると好ましいこととは限らない。



「……あ、あのね、夜野君」


「うん」


「……何も隠してない、ことだから、言う、けど。わたし……夜野君のこと、好きなんだ……」


「……うん」


「ドキドキ、するんだ。こうして、側にいると……」


「……うん」



 俺も、正直ドキドキしっぱなしだよ。


 俺たち、どうして恋人同士じゃないんだろうね?



「……でもね。前、言ったことと、違うん、だけど。夜野君と、今すぐ、恋人になりたいかっていうと、少し違って……。恋人になるのは……怖い、かもしれない……。わたし、どうすれば、ちゃんとした彼女になれるか、とか、わからなくて……。ダメな彼女だって、嫌われる気がしてて……。わたしは、夜野君のこと、好きだけど……。友達以上、恋人未満が、心地良い……」


「……まぁ、わかる、かな」



 立派な彼氏になる自信は、俺にもない。


 彼氏はかくあるべし、という重圧は、俺には辛い。



「ごめん……。わたし、わがままで……。側にいるだけで、満足してて……。この先を、まだ、求めてなくて……。でも、夜野君が、他の誰かを、好きになったら、すごく嫌で……。ごめん……。こんなわたしで、ごめん……」


「謝らなくていい。俺は何も急いでないし、焦ってもいない。今の関係が心地良いってのも、わかるよ」


「そう……良かった……」



 雨宮さんが、ほんの数センチ、俺に近づく。


 二人の腕が当たり、雨宮さんの柔らかさが、制服越しに伝わる。


 内気に見えて、控えめに見えて、意外と積極的。矛盾している、よね?


 いや、案外矛盾でもないのかな。大多数に対しては内気で控えめでも、心を許した相手には、距離を詰めすぎてしまう。あまり人とコミュニケーションを取っていない人だと、そういうことも有り得そうだ。



「ねぇ、夜野君」


「うん?」


「前、言ってたよね。自分の恋心と、向き合うの、怖いって。今は、どう? まだ、怖い……?」


「……なんかそんなこと言ってたなぁ、ってくらい、もう過去の話だよ」



 自分の恋愛感情と向き合うのは怖かった。


 全力で目を背けていた。


 でも、日々、こうして雨宮さんがそっと俺に好意を向けてくれるから、俺は自分の気持ちにも向き合えるようになった。


 後出しの気持ちで、ずるいのかもしれないけれど。


 自分の臆病さに、うんざりすることもあるけれど。


 俺は、雨宮さんのことが好きだ。



「そっか。もう、過去の話、なんだ……」


「うん。口にすると恥ずかしいけど……俺は今、恋をしている、かな」



 本当に恥ずかしくなって、顔がどんどん熱くなる。



「そっかぁ……。恋、しちゃったかぁ……」


「……まぁ、うん」


「誰に、とは、訊かないよ……。今は、まだ……」


「うん。今は、訊かれても、答えない」


「そっか」


「うん。……ええっと、そろそろ本題に入ろうか。雨宮さん、投稿サイトを使ってるんだよね? アカウント、教えてくれない?」


「……うん」



 雨宮さんにアカウントを教えてもらう。


 主な投稿先は、例のコンテストがあっていたサイト。ペンネームは、あまやどり。自分の名前、雨宮翠あめみやみどりを少しだけもじった名前でもあるし、自分の作品を読んだ人が、雨宿りをするように、落ち着けたらいいなという願いも込めている、らしい。



「なんだか、すごく優しくて綺麗なペンネームだね」


「あ、うん……。じ、自分でも、悪くないと、思ってる……」


「じゃあ、読ませてもらうね。いくつかあるけど、どれがおすすめ?」


「……男の子、向けは、異世界、ファンタジー……。ドワーフとエルフの奴……」


「『勇者になれなかった剣聖ドワーフと賢者エルフは、百年越しに英雄を目指す』かな?」


「……そう」


「へぇ……面白そう。読ませてもらうね」


「うん……。あの、その……悪い感想、とかだったら、言わないでほしい……。わたし、そういうの、耐性ない、から……」


「雨宮さんの作品にそんな感想を持つとは思わないけど、まぁ、大丈夫。安心して」


「うん……」


 雨宮さんを安心させるため、俺はできるかぎり優しく微笑んだ。


 それから、雨宮さんの作品を読み始める。

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