第32話 理由
放課後になり、部活に向かう途中で、俺は雨宮さんに尋ねる。
「あのさ、改めて訊いちゃうけど、雨宮さんって、高校生の内に何かの賞を取りたい理由でもあるの?」
「それは……その……」
雨宮さんは言い淀む。
きっと何か言いたいことがあるのだろうと、ゆっくり続きを待つ。
「わたし……この前、作家になるつもりは、ないって話、したよね?」
「うん。作家としてやっていく自信はないって」
「でも……正直、普通の仕事、やっていく自信も、なくて……。作家みたいな仕事、した方がいいかも、なんて、思うこともあって……。もし、そっちを目指すなら……高校生の内に、何か、結果出したくて……」
「ああ……そういう話……」
「もっと言うと……親は、わたしが小説書くの……あんまり、良く、思ってないの……。趣味の範囲なら、好きにしろって感じ、だけど……その道で生きていくことには、反対で……」
「……そっか」
親の気持ちからすると、それは至極真っ当なことだろう。
文芸部に入って、俺は小説界隈のことも少し調べてみた。調べるほどに、小説だけを書いて生きていくのはとても難しそうだった。プロになることも難しければ、プロを続けていくことも難しい。高校生の俺より、よほど深くそれを理解している大人からすると、無謀すぎると思うのだろう。
「わたし、何かの結果がほしいって、思ってる……。この道で、生きていけたらいいし、親も、安心させたいし。それに……今は、夜野君にも、負けたくなくて……」
「え、俺? 俺なんて全然比べるものじゃないだろ? まぁ、雨宮さんの作品は知らないんだけど……でも、もう三年くらい書いてるんだろ? 全然レベルが違うって」
「違わない、よ。わたしは、夜野君の作品、ずっと読んでるから、わかる。夜野君は、すごく、成長、早い……」
「そうかな……?」
「才能があるとは、言わないよ。でも、夜野君は、素直だから……。先輩たちの言う事、素直に聞いて、吸収して、作品に、反映してる……。変に、プライドなくて、こだわりもなくて……素直だからこそ、成長が、早い……。たった、一ヶ月ちょっとで、こんなにって……」
「そうなのか……」
自分ではよくわからない。でも、雨宮さんが言うのなら、本当なのだろう。
「夜野君は、すぐに、今のわたしと同じくらい、書けるようになる……。いずれ、追い抜かれるかも……。わたしも、もっと成長、しなきゃって思う……」
雨宮さんの感じる焦りが、俺には上手く理解できない。そもそも雨宮さんの作品を知らないから、それは仕方ないことだ。
雨宮さんが拒むなら、俺は雨宮さんの作品を読まなくてもいいと思っていた。
でも、今の姿を見ていると、俺は、もう一歩踏み込んで、雨宮さんのことを知るべきなのかもしれない。
多少強引にでも。
そうじゃないと、雨宮さんは、どこか危うい方へ行ってしまう気がする。
自分をどこまでも追い込んでしまう気がする。
「ねぇ、雨宮さん」
「……ん」
「俺たちの関係って、少しあやふやで……でも、友達と言って差し支えないくらいには、なれてると思う。親友と呼ぶには、まだ、距離があるのかもしれないし、恋人とも、違うんだろうけど」
「……うん」
「俺、雨宮さんのこと、もっとよく知りたい。雨宮さんが感じている焦りや、色んな悩みを、ちゃんと理解したい。俺にとって、雨宮さんは特別な存在だから、雨宮さんが一人で抱え込まなくていいように、力になりたい」
「……あ、え、う、うん?」
「だから、雨宮さん」
俺は、そっと雨宮さんの右肩に触れる。雨宮さんは俺を見て、少しだけ目を見開く。
今まで、俺から雨宮さんに触れることはしてこなかった。男子に触れられるのは、女子からすると恐怖にも感じられるだろうから。
これは、もしかしたら悪手かもしれない。急に触れられたら、雨宮さんは怖いかもしれない。
でも、俺は、一歩踏み込みたいと思った。
うぬぼれでなければ、それも許されるだろうと、思った。
俺の期待通り、雨宮さんは俺の手を払いのけるようなことはしない。驚きはすれど、その顔に恐怖も嫌悪は浮かんでいない。
俺が歩みをとめると、雨宮さんも立ちどまる。
部室近くの廊下にはあまり人もいなくて、俺たちが立ちどまっても、困る人はいない。
「雨宮さん。俺に、雨宮さんの作品を、読ませてくれないか? 俺、雨宮さんのことも、雨宮さんが思い描く物語のことも、もっとよく知りたいんだ」
俺は、髪の隙間から覗く、雨宮さんの大きな瞳を見つめる。
雨宮さんは緊張した面持ちで、一度目を伏せる。たっぷりと迷って、でも、また俺の目を見て、困ったように笑う。
「……わかった。夜野君になら、見せるよ……。夜野君なら、いい……。好きな人、には……わたしのこと、もっと、知ってほしい、かも……。」
小さな一歩、だけれど。
とても価値のある一歩を、踏み出せたように思う。
そして、好きな人、とさらっと言われて、思わず顔が熱くなってしまう。
その熱については、一旦忘れることにして。
「ありがとう」
「き、期待、しないでね……? 三年書いて、でも、全然下手くそで……。まだまだだから……」
「期待は、する。俺が知っている雨宮さんは、頑張り屋で、努力家で、心優しい。そんな雨宮さんの書く話は、きっと綺麗だ」
「……そ、そんなこと、ないから! もう、人が、ばんばん死んで、グロくて、残酷で、はちゃめちゃだから!」
雨宮さんが顔を赤くして、顔の前で両手をぱたぱたと振る。
「それはそれで面白そうだなぁ。雨宮さんの意外な一面」
「や、その、い、今のは、冗談、だけど、でも、全然、綺麗とかじゃ、ないから……」
「なんでもいいよ。俺は、雨宮さんのことをもっと知りたい」
「……う、うん」
雨宮さんが頷く。赤らんだ顔は、やっぱり、とても愛らしい。
「部活に行く前に読みたいな……。落ちついて読むなら部室以外がいいか……。部長には、少し遅れるって伝えよう」
「い、今から、読むの?」
「うん。読みたい」
「うぅ……わかった……」
部長に、少し遅れる旨を連絡。
すぐに返信が来て。
『了解した。では、頼むぞ少年。雨宮ちゃんを救うのに、君は今、一番近いところにいる』
何も説明していないのに、花村先輩は事情を察していて。
妙に芝居がかったセリフに、俺は軽く笑ってしまった。
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