第3話 一歩

「俺に小説なんて書けますかね?」



 俺の弱気を払拭するように、花村先輩は明るい声で言う。



「書ける書ける。日本語がわかるなら小説なんていくらでも書けるよ。あとはやる気と根性だけ」


「根性、ですか……。じゃあ、たぶんダメですね。俺、根性ないので……」


「やる前から諦めるの禁止! 一年くらいやって、やっぱりダメだなー、って思ったら諦めていいけどね」


「一年ですか……」


「それくらいやんないと、創作の面白さなんてわかんないよ。ね、雨宮ちゃん?」


「え? あ、その……わたしは、書き始めた頃から、面白かった、です……」



 雨宮さんの反応に、花村先輩は無の表情になっている。


 それから、わざとらしい咳払いをしつつ、今度は岩辺先輩に振る。



「岩辺君はどう? 確か、書き始めて一年くらいだよね? 始めっから超絶楽しかった?」


「俺は……始めから楽しかったわけでもないし、今でもそれなりかな。でも、なんとなく書き続けてる」



 花村先輩、再び無の表情になる。


 これは、俺が何かフォローを入れるべきなのか?



「あー、花村先輩。と、とりあえず、俺、書いてみますよ。書けるかどうかも、それを楽しめるかどうかも、まずはやってみてから判断します」


「う、うん! そうだね! それがいいよ! とにかくまずはやってみる!」



 というわけで、俺は花村先輩の指導の元、ひとまず小説を書いてみることになった。


 鞄からタブレットPCを取り出し、長机に置く。



「夜野君。始めはね、上手くやろうとか、面白いものを書こうとか、考えなくていいの。とりあえず文章打ち込んでいくのが大事。内容について考えるのは、文章を書くことに慣れてからでいいよ」



 そんな助言にも従って、俺はなんとなくぽちぽちと文字を打っていく。


 まぁ、上手くやろうとしなくてもなかなか書けるものではないのだけれど、花村先輩に色々と助けられながら、どうにか形を整えていった。


 一時間ほど頑張って、小説とも言えない、どこに出しても恥ずかしいような文字の羅列が出来上がった。


 異世界に転生してうんたらという話なのだが、自分でも何を書きたいのかわからなくなっている。


 花村先輩は、そんな俺の文章を特にけなすわけでもなく、むしろ楽しんでくれていた。それが俺としては救いだ。



「……自分で書くって、難しいもんですね」


「まぁまぁ、始めはそんなもんだよ。むしろそんなもんで、こっちも安心したよ。世の中には、初めて書いた小説がいきなり書籍化したりアニメ化したりする化け物もいるからねぇ……。死ねばいいのに」


「花村先輩、怖いっすよ」


「おっと、つい本音が……。ま、最初はとにかくたくさん書く。もちろん、それだけだとすぐに成長が頭打ちになるんだけど、書いていく内に自分に足りないものも見えてくる」


「なるほど」


「文芸部に入ってくれたら、その辺の指導も順次していけるよ。まぁ、入ってくれなくても、作家仲間として相談に乗ってもいいけどね」


「ありがとうございます。他の部活も覗きつつ、文芸部に入ることも考えてみます」


「うん。是非考えてみて。……ところで、雨宮ちゃんがずっとチラチラ夜野君を見ているね。作品が気になってるみたい。見せてあげたら?」


「あ、いや、わ、わたしは、その……」


「俺は読んでくれて構わないよ。ただし、面白くないからって罵詈雑言を浴びせるんはやめてくれ。初日に心を折られるのは辛い」


「そ、そんなこと、しない。難しさは、わたしだって、知ってるから」


「そっか。良かった」



 タブレットPCを雨宮さんに渡す。小動物みたいにおっかなびっくり受け取る姿も、なんだか可愛らしい。


 クラスメイトに自作小説を読まれるのは気恥ずかしいものの、頑張って書いたものをちゃんと読んでくれる人がいるのは嬉しい。


 雨宮さんはさらさらっと読んでいき、五分ほどで読み終わる。執筆時間一時間、読書時間五分。このギャップはちょっと辛い。



「……これ、初めて、なんだ。夜野君。面白い、かも」


「え? そう? どこか面白い要素あった?」


「主人公が、ちょっとへんてこりん」


「へ、へんてこりん……」


「異世界に行って、友達をたくさん作りたいって、なんか、変」


「そうかな?」


「こういうのって、だいたい、女の子とイチャイチャしたいとか、すごい力で大活躍したい、とか。それなのに、目標が斜め上」


「俺みたいな小市民は、友達を作ることこそ人生最大の目標なんだ。それさえ達成できれば人生大成功なんだよ」


「……そう。ちょっとわかる」



 雨宮さんが小さく微笑んだ。


 俺との会話で! 女の子が! 小さく微笑んだ!


 しかも、花村先輩みたいに、コミュ力抜群でいつも笑顔を浮かべているような子ではない。


 引っ込み思案で、誰かと会話するのも苦手そうで、笑顔なんて愛想笑いがメインになりそうな子が、笑ったのだ。


 素晴らしい! 今日はいい日だ! 拙くても小説を書いて良かった!



「……え、えっと、夜野君? 急に天井を見上げて、ど、どうしたの?」


「なんでもない。ちょっと泣きそうになっただけ」


「え、ど、どうして? わたし、変なこと、言っちゃった、かな?」


「言ってない。変なのは俺だ」


「……そうなの?」


「うん。だから何も気にしないでくれ」



 浮かれて雨宮さんを戸惑わせてしまった。申し訳ないので、天の神様に感謝の祈りを捧げるのはやめる。


 いやしかし、女の子とのこういう交流が実に嬉しい。


 そう。そうなのだ。こういうのでいいのだ。


 別に、女の子とイチャイチャラブラブすることなんて望んでいない。そんな高望みはしない。


 普通に言葉を交わすことができて、ちょっとしたことで笑いあって、別れ際には「またね」とか言って手を振ってもらえれば、それでいいのだ。



「……ところで、俺、雨宮さんの小説も読んでみたいな。いい?」


「……ダ、ダメ。恥ずかしい……」



 おう……。拒絶されてしまった。まだ友情ポイントが足りなかったみたいだ。初日だから仕方ない。


 だが、いずれ雨宮さんももう少し心を開いてくれるだろう。お友達として。


 ともあれ、その後も俺は文芸部で楽しい時間をすごした。


 それぞれが書いている小説の話だったり、最近読んだ本の話だったり、ちゃんと盛り上がった。


 女の子のいる空間で! 俺の参加している場で! 話が! ちゃんと! 盛り上がった!


 実に素晴らしいことだ。俺の友達作り計画は順調に進んでいるといっていいだろう。


 文芸部入りをほぼ決めながら、俺は部活終わりのチャイムを聞いた。

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