第25話 誘い
「ねぇ、夜野君。漫画、描いてみない? たぶん、夜野君なら描けると思う」
意外な誘いに、俺は驚いてしまう。
「え? 俺が、漫画ですか……? いや、俺の画力で漫画を描くのは難しいですよ……」
「ううん。そんなことないよ。例えば……」
日輪先輩がスマホを操作。それから、漫画の表示された画面を俺に見せる。
「この作品、アニメ化までされてるんだけど、絵自体は特別に上手くはないでしょ? もちろん、素人からするとすごく上手いんだけど、プロの中ではたぶん下手の部類。この絵なら、夜野君だって、頑張れば描けると思わない?」
確かに、その漫画の絵はあまり上手ではない。俺からするとそれでも上手いのだが、プロの中ではレベルは低いだろう。
この絵で良ければ、真剣に頑張れば描けないこともないように思える。
「まぁ、確かに、この画力で良ければ……」
「漫画は、必ずしも画力で勝負する必要はないよ。見やすくて、面白さがちゃんと伝わればいい。プロとしてトップレベルを目指すのは難しくても、最低限の画力は、意外とちょっと絵が上手いだけの人でも身につけられる。夜野君も挑戦してみなよ。わからないことがあれば、私ができる限り教えるからさ」
熱心に誘われると、断るのは申し訳ない気がしてしまう。
それに、漫画を描くことに興味がないわけではない。
俺が応える前に、花村先輩が言う。
「おいおい、うちの大事な部員を引き抜くのはやめてくれよ。せっかく小説を書き始めたし、うちにも馴染んでるんだからさ」
「別に美術部に引き抜こうとかいう話じゃないよー。文芸部でストーリー作りを学んで、部活以外で漫画の描き方を学ぶ。それで完璧!」
「まぁ、本人が漫画を描きたいというなら、私にとめることはできない。しかし……何故そんな熱心に勧誘を? 夜野君に何か光るものでもあったかい?」
「そうだねー。単純に描けそうだとも思ったけど、何より……私、漫画を描ける友達がほしいんだよ……。この学校で私以外に割と本気で漫画を描いてる人はいないし、ネット上にちょこちょこ知り合いはいるけど、深く関わるのは怖いし……」
「……漫画を描く人もなかなか少ないからな。寂しくもなるか……」
「そうだよー。私は寂しいんだよー。花ちゃんはいいなぁ。小説を書く仲間に囲まれて……」
日輪先輩が目を拭う動作。涙は流れていないが、本当に寂しいのだろう。
俺としては、色々と教えてもらえるのなら、漫画を描いてみてもいいとは思う。
ただ……。
俺は雨宮さんに視線をやる。
雨宮さんは、悩ましげに俺を見つめていた。
そして、意を決したように、口を開く。
「あ、あのっ。日輪、先輩!」
「ん?」
「わ、わたし、その……わたし、夜野君のこと、す、好き、なんです! と、盗らないで、ください!」
何もオブラートに包まない、真っ直ぐな言葉。
俺は思わず赤面してしまい、先輩三人はぽかんと口を開ける。
そして、日輪先輩が、にんまりと笑う。
「大丈夫だよー。私、夜野君を盗っちゃおうとか、考えてないから。欲しいのは彼氏じゃなくて友達」
「そ、そう、ですか……なら、いいです……」
「けど、わたしが好きな人を盗らないでー、なんて、少し不思議なことを言うね。そ
んな大胆なことを言うくらいだったら、二人って付き合ってるんじゃないの?」
「つ、付き合っては……ない、です。でも、気持ちは、伝えてます……」
「ふぅん……?」
日輪先輩が俺を見る。睨むと言っていいくらい、その視線は鋭い。
「これはつまり、雨宮ちゃんが夜野君に告白したけど、夜野君は返事を保留にしてるっていうことかな……? 二人は仲がいいって聞いてたし、実際にそうだろうなって思ってたけど、夜野君、雨宮ちゃんの何が不満なのかな……? まさか、こんな健気な子をもてあそんでるわけじゃないよね……?」
「あの、それは、ですね……。話すと少し長くなるといいますか……」
「あの、日輪先輩! これは、わたしと、夜野君の問題、なので、別に、いいんです……! まだ、友達で、いいんです……!」
日輪先輩が俺と雨宮さんを交互に見て、最後に花村先輩を見る。
「花ちゃんの意見は?」
「二人の問題に外野が首を突っ込むのは野暮ってもんだよ。見守っておけばいい。悪いことにはならないさ」
「そ。なら、別にいっか。当人同士にしかわからないことって、たくさんあるもんね」
「そういうことだ。よく知らない外野が口を挟んでも、余計にこじれるばっかりだよ」
「そうね。じゃあ、とにかく! 夜野君! 興味があるなら漫画を描こう! 大変だけど、大変だからこそ得られる充実感もあるよ!」
「……興味は、あります。でも、本当に描けますかね?」
「描けるようになるまで描けば、描ける」
「脳筋発想じゃないですか。さては、日輪先輩って意外とマッチョな性格ですね……?」
「漫画を描く人なんて全員脳筋だよ。間違いない」
「断言しちゃった……。あくまで個人の見解です、と付けるのが必須とされるこの時代に……」
「とにかく、興味があるなら描いてみて。コツを掴めば、意外となんとかなるから」
少し迷って。
漫画を描く自信なんてないけれど。
もし描けるようになったら、ちょっとは自信に繋がるかな、なんて思う。
小説を書けるようになれば、またそれも自信に繋がるのかもしれない。けれど、それは雨宮さんにもできることで、雨宮さんと並ぶと、少し自信も陰ってしまう。
「……わかりました。俺、描いてみます」
雨宮さんの隣に、自信を持って立てるように。
「思い切りが良くていいね! ようこそ地獄の入口へ!」
「……いや、地獄って……。人のやる気を削ぐようなことを……」
「まぁ、漫画を描いている身としては、嘘はつけないよね……」
「そうですか……」
先行き、不安。
しかし、諦めるなら、描き始めてからでもいい。
とにかく、やってやるさ。
将来の不安は、将来の自分に解決してもらうのが俺のスタイルだ。
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