第39話 ラブコメ

「夜野君さぁ、ラブコメ書いてみたら?」



 五月三十一日、金曜日。


 今日も部室にやってきた弓親先生は、俺にそんなことを言った。


 俺の書いたファンタジー作品の感想も求めていたので、その話をされるのだと思った。想定外の言葉に、俺は驚く。



「え、ラブコメですか? 俺、恋愛ものとか超苦手ですよ。たぶん、男子高校生のヤバい願望の垂れ流しになります」


「うん。それでいいんだよ。文学とか一般文芸は話が違うけど、ライトノベルって呼ばれる分野だと、もはやヤバい願望の垂れ流しがむしろ評価される。人間のヤバい願望って面白いでしょ? 男子で言うなら、可愛い女の子たちに囲まれるハーレム展開で、なんか皆主人公のことを全肯定する、みたいな」


「まぁ、それは否めませんね。過度に変態的なものでなければ、ヤバい願望を表現した作品は面白いです」


「でしょ? 娯楽小説を書くっていうのはさ、人間の欲望と向き合うってことでもあるんだよ。リアルな世界では口に出すのも恥ずかしいような欲望を、リアルとは違う世界の中で表現するの。夜野君も、もっと願望を思いっきり吐き出してみたらどうかなと思うわけ」


「……願望を吐き出す、ですか」


「高校生男子だったら、女子には言えないようなヤバい願望もたくさん抱えてるんでしょ? 催眠術使って学校中の女の子を意のままに操ってやりたい、とか」


「……俺の名誉のため、コメントは控えさせていただきます」



 この場には、俺と弓親先生の他、雨宮さん、花村先輩、岩辺先輩の三人がいる。特に雨宮さんがいるのに、俺のヤバさを浮き彫りにするわけにはいかない。



「心配しなくても、ここにいる皆は人間の薄汚い願望に寛容だよ。皆それぞれ、自分のヤバい願望を反映させて小説を書いてるんだからさ。ね? 皆もそうでしょ?」



 真っ先に答えたのは花村先輩。



「まぁ、そうですね。私は自分の願望を大いに反映させてます。リアルでありえない、理想の超イケメンとか書いてますよ」



 岩辺先輩と雨宮さんも、控えめながら頷いた。


 その様子に、弓親先生は満足気に頷く。



「創作ってのはね、自分の薄汚い願望を、どうにか人様にお見せできる形に加工して垂れ流すことなの。たくさん書いていくうちにそれも少し変わっていくかもだけど、原点はそんなもん。どんな人間も、想像するだけで苦痛な物語を書こうなんてしない。自分の願望が反映されて、想像するだけで気持ちいい物語だから、小説という形にしようとするの」


「……まぁ、わかります。確かにそうですね」


「それでだよ、夜野君。君の小説を読んだ感じ、君はまだ吹っ切れてないね。本当はこういうキャラが好きだけど、こんなの皆に見せられないから抑えよう……なんて自制が感じられる。誰に見せても恥ずかしいくらいのヤバい願望を、もっと全面的に出した方がいい」


「……思い当たる節はありますけど、それ、公開処刑みたいになりません?」


「なるよ。でも、それが創作ってもんだよ。ま、もう少し正確には、それが創作の一面だよ、かな」



 弓親先生が妖しげに微笑む。真っ当な教師としての顔ではなく、創作者としての顔だと、俺には感じられた。



「……創作物を人に見せるって、すっげー精神削られますね」


「そうだよ。だからこそ、雨宮さんは基本的に知り合いに小説を見せないことを選んだ。あたしはその気持ちもよくわかるから、雨宮さんの意志を尊重する。花村さんや岩辺君だって、知り合いには見せないヤバい作品もたくさん書いているはず。ね?」



 花村先輩はにこやかに微笑んで、岩辺先輩も渋い顔で頷く。


 弓親先生は、また満足気に微笑んだ。



「創作者って、こんなもん。人間の薄汚い願望と向き合って、自分のヤバい願望とも向き合って、それなりに他人に見せられる形に加工する。夜野君も、そういうのを意識してやってみな。めちゃくちゃ恥ずかしいし精神も削られるけど、創作を続けていくなら、どうしたって乗り越えないといけないところ」


「……それで、俺にラブコメを書け、と?」


「そう。ファンタジー書くより、ラブコメを書く方が、誰に見せても恥ずかしいヤバいアイディアがたくさん出てくるでしょ? おすすめだよ」


「……つまり、俺に死ねってことですね」


「うん。そういうこと。まぁ、あくまで、夜野君が本気で創作を続けていくつもりがあるなら、だけど。なんとなーくの創作活動を続けるだけでいいなら、なんとなーくそれっぽく書き続ければいい」


「俺の本気度次第、ですか……」


「うん。ま、どうするかは夜野君次第だけど……君が、本気で創作に取り組む人の隣に立ちたいなら、自分も本気になった方がいい、とは思う。その人が何を考え、何に悩み、何に苦しんでいるのか、理解するためにね」



 俺は、右隣に座る雨宮さんに視線をやる。雨宮さんも、俺の方をチラリと見ていた。


 正直、俺には雨宮さんの創作にまつわるお悩みなど上手く理解できない。俺と雨宮さんとでは、立っているステージが違いすぎるからだろう。見ている景色が違えば、理解できないのも当然だ。


 俺は、曲がりなりにもずっと雨宮さんと結婚の約束までした。


 雨宮さんのことを、俺はできる限り深く理解したい。 


 ならば。



「……俺、ラブコメ、書いてみます」


「ん。辛いだろうけど、頑張って。あ、ただ、一応これも言っておくけど、本気になるにしても、周りの人を敵だと認識しないように気をつけてね。自分は人気ないけど他の人は人気が出てる……みたいなとき、創作者って病みやすい。それで人間関係が壊れることもある」


「……危険ですね。結局、創作者の隣に立つとき、自分は創作に本気にならない方がいいんですか?」


「そこは君の人間性次第だね。すごい人を素直に尊敬して、自分と他人を比べて落ち込まない……そういう人なら、本気になって、創作についての理解を深めたほうがいいんじゃないかな」


「……なるほど」


「ま、あたしの言っていることが常に正しいわけじゃないし、手探りで頑張ってみるしかないよ。それじゃ、その他の諸々の指摘については、来週にでも書面で渡すからー」


「あ、はい。ありがとうございます」



 弓親先生が席を立ち、部室を出ていこうとする。


 その背中に、俺は最後に質問を投げる。



「先生。俺、実は漫画を描くことにも興味があるんです。日輪先輩に色々と教わってて。でも、あまりあれこれ手を出すんじゃなくて、小説に集中した方がいいでしょうか?」


「そんなことはないと思うよ。自分の真の適性がどこにあるかなんて、現時点でわかるわけもない。漫画を描いていた人が、案外小説に適性があったとかね。興味があることは、バランスを取りつつ全部やってみるといいよ」


「そうすると、全部中途半端になりません?」


「はっきり言うけど、高校三年間、何か一つのことに集中したところで、それも中途半端なものにしかならないよ。甲子園優勝校の選手が、プロ野球の世界でいきなり大活躍できるわけじゃないでしょ? どうせ何をやっても中途半端なんだから、今は興味のあることを何でも挑戦すればいい。強いて言えば、重点的にやるのは二つか三つで、あとはほどほどにやる。夜野君の場合、小説、漫画、あとは恋愛、かな?」



 弓親先生は愉快そうに俺と雨宮さんを見比べる。先生も人間だから、他人の恋愛事情が気になるようだ。


 弓親先生が部室を出ていき、扉を閉める直前で、再度部室に顔を覗かせた。



「言い忘れてたけど、もちろん、学校の勉強もちゃんとやるんだよ! 勉強は全ての基礎だからね。疎かにすると、将来意外と困ることがある。理科を知らない人が、わけのわからない霊感商法に引っかかるとかもあるからね! 勉強は大事! じゃね!」



 今度こそ、弓親先生が去っていた。


 流石大人と言うべきか、ためになる話をたくさん聞けたのは良かった。


 しかし……ラブコメか。


 俺に書けるだろうか。というか、俺が願望や欲望を全面に押し出した作品を書いたとして、雨宮さんはどう思うだろうか。


 先行きを不安になりながら、ラブコメの案を考え始めた。

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