第38話 約束

 弓親先生の指導が入った日の放課後、二人きりの帰り道で、雨宮さんは言った。



「わたし、本当に、誰かの支えが必要、なんだと思う。情けないと思う、けど……それが、わたしなんだと思う。一人では、きっと上手く、生きていけなくて……。なんにも、上手くできなくて……。でも、でも……夜野君が、いてくれるなら……。わたし、ちょっとだけ、強くなれる気がする……。一人のときより、頑張れる気がする……。夜野君。わたしと……ずっと、一緒に、いてくれる……?」



 なんとなくだけれど。


 俺は今、とても重要な決断を迫られている気がする。


 俺がどう答えるかによって、二人の今後が決まるのだと思えた。


 もし、俺が雨宮さんと別々の未来を生きたいなら、雨宮さんを突き放さなければならない。


 そうしなかったら、俺は、一生、雨宮さんと一緒にいる。


 単なる空想かもしれないけれど、そんな気がしたのだ。



「もちろん、一緒にいるよ」



 重要な決断でも、俺はあっさりとそう言えた。


 もう夏を間近に感じる季節。


 ブレザーは少し暑くて、歩いていると少し汗ばむ。帰り道の街並みは、もう見慣れたもの。比較的都会だけど、高層ビルに囲まれているわけではない。背の低いマンションが並んで、道路にはまばらに車が流れる。歩道には、俺たちと同じ高校の生徒たちが少々。夕暮れの日差しは少し眩しくて、風は柔らかく頬をなでていく。


 風に乗って、雨宮さんの髪の匂いがした。



「……ありがとう」



 雨宮さんがふうわりと微笑む。


 夏が近いのに、雪解けの季節に咲く白い小花のよう。


 その笑顔を見つめていると、胸の奥で、強い感情が沸き起こる。


 雨宮さんの笑顔をずっと見ていたいとか、その笑顔に触れたいとか。



「……ねぇ、雨宮さん」


「……うん?」


「将来……俺と結婚しようよ」



 さらりと思い浮かんだ言葉を口にして、ふと我に返って、頬が猛烈に熱くなる。


 いや、いきなり俺は何を言っているんだ? この流れはおかしいだろ。……おかしい、よね? あれ? でも、ずっと一緒にいようって話をしていたのだから、あながち間違いでもない?


 雨宮さんの方を見る。


 すると、雨宮さんも顔を真っ赤にしている。夕日に照らされたせい、なんてとても言い訳できない。



「あ、え……? ふぇ?」



 意味のある言葉を発することができていなくて、雨宮さんは無闇に口をぱくぱくさせるばかり。


 そんな姿も愛おしい、よね。



「……き、急に、とんでもないこと言って、ごめん。その……なんか、自然と言葉が出ちゃって……。お、俺たち、まだ高校生、だし、返事とか、求めてるわけじゃ、なくて……。願望を口にしただけ、というか……」



 言葉を紡ぐにつれ、顔だけじゃなく、体まで熱くなっていく。


 一気に季節が夏に移り変わったかのよう。


 長い沈黙が流れる。体感では十分くらい。でも、実際には数分かもしれない。



「よ、夜野、君」



 ようやく、雨宮さん意味にある言葉を発した。



「……うん」


「本当に、わたしで、いいの? わたしは……情けない人、だよ? きっと、夜野君に、いっぱい、いっぱい、迷惑かけるよ? たくさん、たくさん、夜野君に、支えてもらうよ? わたしが、いなければ……あんなことできた、とか。こんなことできた、とか。きっと、そんなこと、ばっかりだよ? それでも、いいの?」


「……うん。いいよ。まぁ、俺は雨宮さんのこと、情けない人だとか思ってないから、あまり心配もしてないけどさ」


「……そう」



 雨宮さんが、左手でそっと俺の右手を掴む。



「夜野君。これが、最後のチャンス、だよ。わたし……わたし……本当に、ヤバい子だから……。夜野君が、わたしと、け、結婚とか、言うなら……。わたし、本気にするよ? 裏切られたら……夜野君、さ、刺しちゃうかも……。考え直すって、言うなら……」


「考え直さない。結婚しようよ。本当に。俺、雨宮さんと一緒に、生きていきたい」



 一緒に生きていきたい。もう少し正確には、一緒に生きてみたい、かもしれない。


 一般的に言えば、俺と雨宮さんの付き合いは短い。お互い、知らないことがたくさんある。


 でも、俺は雨宮さんについて、知っていることもある。


 意外と積極的なこと。


 気持ちを素直に表現してくれること。


 面白い小説を書いていること。


 努力家で、ひたむきなこと。


 自分で思っているより強い心を持っていること。


 そして……笑顔が最高に可愛いこと。


 男子高校生としては、一緒に生きてみたいと思うのに、十分すぎる魅力だ。



「……本気、なんだね?」


「うん。本気だ」


「……わかった。ありがとう。すごく、嬉しい……。もう、離さない……」



 雨宮さんが強く俺の手を握る。小さくて、柔らかくて、でも力強い、そんな雨宮さんの左手を、俺も握り返す。


 少し強めに。離さないぞという思いを込めて。


 手を繋いだまま、俺たちは駅とは違う方向に歩いていく。いつも通り、一駅分を歩くのだ。


 そして、人通りが少なくなったところで、軽く尋ねる。



「俺たちって……付き合うことになった、のかな?」


「え、あ、それは……うぅ……付き合うのは、まだ、先で……」


「じゃあ、まだ先で」


「……ごめん。情けなくて、ごめん……。彼女って、どうやればいいか、わからない……」


「俺も、彼氏ってどうすればいいかわからないな。お互い様だね」


「……うん」



 俺たちの肩書は、友達。


 恋人同士ではない。


 今はそれでいい。


 恋人同士という肩書は、俺たちにはまだ少し重い。


 友達だからこその気安さが、俺たちには丁度良い。


 俺達が恋人になる日も、きっと遠くはないだろう。


 焦る必要はない。



「あのさ、雨宮さん。近いうちに、俺の家に来てみない? 何か特別なことをしようっていうんじゃなくて、ただ、一緒にゆっくり過ごせたらいいなって、思うんだけど」


「……か、考えとく」



 雨宮さんの顔がまた赤くなっている。何かを想像したのか、していないのか。


 写真に撮りたいくらいだけれど、まぁ、俺の記憶にだけ、残しておこう。


 形に残らないからこその尊さを、噛み締めながら。

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