第23話 図書館
* * *
文芸部の日帰り旅行から一夜明けて。
『今日、一緒にお出かけしない?』
雨宮さんからそんなメッセージが来たので、俺は即座に了承の返事をした。
そして、雨宮さんの希望により、雨宮さんの家の近所にある図書館に行くことになった。
『夜野君と一緒にいたいだけで、どこに行ってもいいんだけど、お金もかからないし、二人とも本が好きだし、どうかな』
そんな誘い方をされて、断る男子がいるだろうか。いや、いない。少なくとも、俺は断らない。
図書館の営業時間は十時からだったので、俺たちは十時に市立図書館で待ち合わせた。
「お、おは、よう……。昨日の今日で、呼び出しちゃって、ごめん……」
晴天の空の下、もじもじしながら謝る雨宮さんは、フリルの付いたピンクのワンピースを着ていた。昨日は歩き回る想定で動きやすい服を着ていたが、今日は可愛さ重視、なのだろうか。
今日も髪をサイドで編んでいて、目を隠す面積が僅かに少なくなっている。ちらりと覗く黒い瞳を、俺はいつまでも見つめていたくなる。
「雨宮さんから連絡が来てなかったら、俺から誘ってたと思う。誘ってくれてありがとう」
「そ、そう……それなら、良かった……」
「それじゃあ、とりあえず、中に……」
俺が図書館に入ろうとすると、雨宮さんは俺の服の袖をちょこんと摘んだ。
「中に入ると、静かにしなきゃ、だし……。もう少し、ここで、お話、したい、かな……」
こんなことを言われて、断る男子がいるだろうか。いや、いない。少なくとも、俺は断らない。二回目。
それにしても、雨宮さんは奥手に見えるくせに積極的という、不思議な性格をしているな。恋は人を変える、ということか? あるいは、親しみを感じている人に対しては思ったことを言える、とか?
「じゃあ、中に入るのはもう少し後で。ただ、今日も晴れてるし、どこか日陰に入ろうか? ベンチとかは……中に入らないとないか。立ちっぱなしで大丈夫?」
「うん……。しばらくは、大丈夫……」
「そっか。ちなみに、昨日の疲れとか、残ってない?」
「……大丈夫。少し、筋肉痛なだけ……」
「わかった。きつくなったらすぐに言ってよ。俺が椅子になるから」
「よ、夜野君が、椅子になるの……? それ、悪くない、かも……?」
「いや、そこは拒否するところだから。バカなこと言わないで、って」
「ふふ……。そうだね……」
雨宮さんのはにかみには、男子の心に一万くらいのダメージを与える破壊力があると思う。
俺のライフポイント、もうとっくにゼロだわ。
ゼロのくせに、まだ立っているのは矛盾だけれども。
とにかく、俺は雨宮さんと日陰に入り、そこでおしゃべりをする。
中身なんてあってもなくても構わない。ただ一緒にいて、言葉を交わすことが重要なのだ。たぶん。
昨日の話を少しして、小説についての話をして、好きな作家の話をして。
それから、思い出したように、雨宮さんは昨日聞いた花村先輩の話を始めた。雨宮さんも、俺が聞いたような話を聞いていたらしい。
「……世界で一番、好きだった人が、世界で一番、嫌いな人になる……。何かを間違えたら、そんな風に、なっちゃうのかな……」
「うーん……そんなことも、あるんだろうな……。ネット上には、恋人や結婚相手の愚痴とか、たくさんあるし……」
「……うん」
「夫や妻に死んでほしいと思ってる人たちだって、世の中にはたくさんいる。俺にはいまいち想像つかないけど……」
「そうだね……。不思議、だよね……」
「真剣に向き合うからこそ、嫌な部分を知ってしまって、心底相手を嫌いになってしまう……。怖い話だ」
「……そんな風になるなら、好きな人とは、友達とかでいた方が、いいのかな……」
「どうなんだろうね。俺にはまだなんとも言えないことだよ。本を読んでも、人から聞いても、わからないことはたくさんある。そういうのは、自分で経験するしかない」
「……うん」
「ちなみに、雨宮さんのご両親は、仲いいの?」
「……うん。たぶん」
「そっか。俺のところも、たぶん、悪くはない。これって、結構恵まれてるのかも」
「うん……」
「まぁ、あんまり暗い想像しててもしょうがない。悪いことが起きるときはどうしても起きちゃうものだし、今から心配することはないさ」
「ポジティブ、だね」
「俺の頭脳はぽんこつなんで、将来の漠然とした不安を考える余裕がないんだ。今後の進路とか将来設計とかも、全く考えてない」
「もう……。進路は、ちょっと、考えてもいいんじゃない、かな?」
「まぁねぇ。逆に、雨宮さん、今後の進路は考えてる?」
「……考えは、する。でも、ふわふわしてる……」
「考えるだけでもすごいね。将来は作家になるの?」
雨宮さんはゆるゆると首を横に振った。
「作家は、無理、だと思う……。わたし、心が弱いから……。批判とかされると、ダメになる……」
「そう……」
「普通に、就職して……でも、きっと、わたしは何かを書き続ける、かな」
「うん。書き続けるのはいいことだと思う。まぁ、雨宮さんの作品、いまだに読んだことないけど」
「……ごめん。誰にも、見せたくなくて……」
「いいよ。気にしないで。あ、そろそろ疲れてきた? 中、入る?」
雨宮さんが足をゆらゆらさせることが増えた。そろそろ疲れているのだろう。
「……そうだね。そろそろ、入ろっか」
結局、三十くらいは立ち話をしたことになる。雨宮さんは、ただ立っているだけなら、割と体力ももつようだ。
二人で図書館に入り、ひっそりと会話をしながら読む本を探す。
お互い、読む本はなんでも良かった。ラノベも置いてあったので、そこから気になった本を取って、二人並んで席につく。
雨宮さんは、少しだけ席を俺に近づける。
近いけれど、触れることはない。
そんな距離感がもどかしく、心地良くもある。
俺、普通に、雨宮さんのこと、好きだよな……。
誰かに対する恋愛感情なんて、全力で目を背けてきた。
でも、そんなことする必要はないと思ったら、雨宮さんに対する好意を自覚せずにはいられない。
ただ、今すぐ雨宮さんと付き合いたい、という気分にもなっていない。
俺は、自分のことをまだ空っぽの人間だと思っている。
優しさだとか、人の良さだとかは、あるのかもしれない。それは雨宮さんにとって、価値のあることだったのかもしれない。
でも、俺は中心になるものが何もない。
何が好きだとか。何ができるだとか。これからどうしたいとか。
こんな空虚な自分を、雨宮さんにさらすのは、怖い。
優しいだけのつまらない人だな、なんて思われたくない。
自分に自信を持てるようになったら……きっと、俺は雨宮さんと付き合いたいと思えるだろう。
たぶん。
実際に自信を持てる日が来てみないと、わからないけれど。
静かな時間が過ぎて、ちらっと雨宮さんを盗み見る。
雨宮さんが俺を見ていて、目が合った。
雨宮さんは一瞬目をそらすけれど、また俺を見つめ始める。
じっと見つめ合っていたら、だんだん雨宮さんの顔が赤くなって、雨宮さんから目をそらした。
「……あ、あんまり、見ない、で……」
ぼそぼそと呟く雨宮さんも、大変素敵だった。
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