第36話 支え
雨宮さんの様子を見て、弓親先生はふっと微笑む。
「……あたし、如月さんにもこの話をしたんだけどね。あの子、専業作家になるって、全く譲ろうとしないの。若い子って、とっても真っすぐで、頑固よねぇ……。全員がそうだとは言わないけど……。あ、如月さんの話は花村さんから聞いてるわよね? 最近、コンテストで賞を取った子」
俺と雨宮さんが頷く。
「如月さんはね、もう、どうしようもなく作家なの。小説を書く以外のことにはろくに興味が持てなくて、当たり前の人間性が大きく欠如している。才能はあるのでしょうけど、とても危うくて、いつ折れるかもわからない。作家として大きな壁にぶち当たったとき、別の生き方を選ぶのではなく、自死を選びかねないくらいに、不安定……」
弓親先生は、真剣に如月先輩の将来を憂う顔をする。賞を取った誇らしい生徒、などと思っている雰囲気はない。
「あたし、本当は如月さんには、小説を書く以外のことにも興味を持ってほしかったの。高校生らしい当たり前の青春とかも、ちゃんと経験してほしかった。
でも、如月さんはそれを拒否した。そんなものはいらないって言った。そのとき、この子には、まずは高校生活を楽しみなさい、なんて言葉は無意味だとわかった。この子の心を動かすには、まず、何かしらの結果を出させてあげて、心の余裕を持たせてあげるべきだと思った。
だから、仕方なく……あたしは、如月さんに賞を取るための指導をした。あたしにも一応はコンテストの受賞経験があるから、できる限りのことを教えてあげた。創作に関する色んな相談にも乗った。如月さんはもう文芸部を辞めていたけれど、まぁ、問題にすることでもないからね」
うん? 弓親先生って、受賞経験もあるのか? ただのお飾りの先生かと思っていたが、意外と実力者なのか? 知らなかったな……。
「結果、如月さんはコンテストで賞を取った。本人はとても喜んでいたけれど……同時に、また大きなプレッシャーも抱えてる。
今までの目標は、コンテストでの受賞だった。でも、これからは、何百万部、何千万部とか売れている作家たちと競わなければならない。コンテストの受賞とは比べられないくらい、高い高いハードルよ。その領域にたどり着けなければ、ただただ埋もれて消えていくだけ。
そして、もし人気作家になれたとしても、その状態がいつまで続くかわからない。一作品でめちゃくちゃ売れて、それ以外は全く売れないということもざらにある」
自分がその状況に置かれたところを想像すると、俺には上手くやっていく自信がない。
「兼業だったら、売れても売れなくても構わないと気楽に構えていられる。専業でやるなら、売れないというのは自分の生活が破綻することを意味する。
大人になったらわかるけど、これは途方もない重圧よ。一流大の受験が確定していて、それに失敗したら即死刑、みたいな感じ。常人の精神ではとても耐えられない。
ねぇ、雨宮ちゃん。あなたには、その重圧に耐える精神力がちゃんとある? 作家として生きていけないのなら、もう死んでも構わないと思うくらいの狂気を持ってる?」
穏やかな声。だけど、決して逃げを許さない、真っ直ぐな問いかけ。
雨宮さんを責めているわけではない。ただ、覚悟を問いただしている。
「わ、わたしは……」
雨宮さんは、即答できない。それどころか、険しい顔のまま、俯くばかり。
雨宮さんが答える前に、弓親先生が続ける。
「嫌な質問をしてしまってごめんなさい。でも、あたしは先生で、あなたの今後にとってとても大事なことだから、確認しておきたかった。……ちなみに、如月さんは、同じ問いかけにあっさり答えたわ。
重圧に耐えられるかどうかは実際に体験してみないとわかりませんが、作家として生きられないのなら潔く死にます、なんて」
うーん……如月先輩、想像以上にヤバい人だな。そんな覚悟、普通は持てないぞ。
「雨宮さん。別に、あなたが如月さんのようになれないからといって、作家としての適性がないと言っているわけではないの。むしろ、雨宮さんの方が、作家としての適性は高くて、長くやっていけると思う。ただただ小説を書くだけの人生は、いずれどこかで行き詰まる。
小説は人間を書くものだから、当たり前の人間性が欠如して、普通の人の気持ちを理解できない人間には向いていない。
雨宮ちゃんは、今から専業を目指すのではなくて、まずは兼業を目標に、学校の勉強もして、高校生活も楽しんで、大学に行って、就職するなりして。そうやって、作家としてゆっくり成長していくべきよ。そうするうち、専業ではたどり着けなかった高みに、いつの間にか届いていると思う」
弓親先生が優しく微笑む。本当に、雨宮さんを責めたり否定したりしたいわけではないのだ。雨宮さんの将来を思えばこそ、厳しさを突きつけている。
雨宮さんは、言葉を発さない。ただ、小さくコクリと頷いた。
「まぁ、素直に受け入れられないところはあるかもしれないけれど、よく考えてみて。すぐに答えを出さなくていい。ゆっくり悩んで、そして苦しむのも、高校生には必要なこと。先生がこう言ったから、両親がああ言ったから、で安易に結論を出すと、もやもやした気持ちがずっと続いていく。しっかり悩んで、自分と向き合って、苦しみ抜いた末に、納得できる答えを出しなさい」
雨宮さんがもう一度頷く。その動作は、さっきよりも大きかった。
「じゃあ、重い話はこの辺にしておきましょうか。雨宮さん、高校生の内に何かしらの賞を取りたいのよね? 専業作家を目指すのはやめるべきだけど、目標を持つのはいいことだよ。さっきも言ったけど、あたしにも一応受賞経験はあるから、顧問らしく、指導でもしてあげましょうか?」
「あ……えっと……でも……」
雨宮さんが俺をチラチラ見る。
雨宮さんは俺に作品を見せてくれたけれど、やっぱり、まだ他人に見せるのは怖いと思っているのだ。
しかも、相手は受賞経験のある実力者。そんな人に作品を否定されようものなら、雨宮さんは酷く落ち込んでしまうかもしれない。
ただ、雨宮さんが作家を目指すなら、弓親先生に意見を求めるのは良いことだ。専業になるか、兼業になるかには関係なく。
「……雨宮さん。弓親先生にも見せてみなよ。俺は、雨宮さんの作品、とても面白いと思う。ただ、俺には雨宮さんに何が足りないのかはわからない。足りないものを知るチャンスは、逃さない方がいい。
まぁ、もしかしたら、何か厳しいことを言われるかもしれないけど、それでも、雨宮さんはきっとそれを乗り越えていける。俺の知る雨宮さんは、奥底に熱いものを持っている、とても強い人だ」
内気で引っ込み思案に見えて、俺に真っ直ぐに気持ちを告白してくれた雨宮さん。そんな人の心が、本当に弱いわけがない。
「……ありがとう。夜野君が、そう言うなら……」
雨宮さんが決意を固めて、弓親先生にぺこりと頭を下げる。
「あの……ご、ご指導、お願い、します……」
「はーい。ま、あたしは小説の先生じゃないから、あくまで参考程度に考えてね。早速読ませてくれる? 投稿してるなら、ペンネームとか教えてー」
「あ、はい、ただ、あの……先生だけに、でも、いいですか……?」
「いいよー。作家の心は繊細だからね。身近な人に誰彼構わず見せないのも、続けていく上では大事だよ」
それから、雨宮さんと弓親先生がこそっとペンネームなどを知らせる。
弓親先生は、雨宮さんの作品を読み始める前に、俺に向かって一言。
「夜野君は、大事なところで人を支えられる子だね。君と一緒にいる子は、きっとなにかしらの分野で成功していく。二人はいい組み合わせだと思うよ」
どうやら褒められたらしい。それは素直に嬉しくて、これからも雨宮さんを支えてあげられたらいいと思った。
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