第20話 言いたいこと

 食事を終えたら、俺たちはまたのんびりと周辺を散策した。


 景色も綺麗だし、遊具やアスレチックもあって、童心に帰って遊ぶこともできた。


 格別に刺激的な何かがあるとは言わないけれど、開放的な気分を味わうにはいい場所だった。俺はこういう場所が結講好きらしい。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、時刻は午後四時に迫る。


 一通り面白いところは見て回ったので、そろそろ帰ろうということになったのだが。



「雨宮さん、大丈夫? だいぶ疲れてない?」



 公園の出入り口付近にて。また歩いて船着き場まで行こうかと話し合っているときに、雨宮さんは悲壮な顔をしていた。


 雨宮さんは元々生粋のインドア派で、一日中歩き回って既に疲労が溜まっている。ここから更に何キロも歩き続けるのは辛いかもしれない。



「あ、その……が、頑、張る……」



 頑張れば、確かに歩けるのかもしれない。でも、せっかく遊びに来たのだから、なるべく辛い思いはしてほしくなかった。



「バスも丁度出るみたいだし、あれに乗って行ってもいいと思う。っていうか、そうしよう。花村先輩、俺と雨宮さんはバスで行こうと思います」


「そう? わかった。んー……じゃあ、私と岩辺君は歩くから、二人でごゆっくりぃ」



 花村先輩が意味深に微笑んで、岩辺先輩と並んで歩いていった。


 俺と雨宮さんを二人きりにしたところで、何も面白い展開にはならないけどね。



「じゃあ、雨宮さん。バスに乗ろう」


「……うん。ありがとう」


「お礼を言うところなのかは、わからんけども」



 俺は雨宮さんを伴い、バスに乗り込む。


 座席も半分ほど埋まっていたが、二人横並びの席が空いていたので、そこに並んで座る。俺は通路側、雨宮さんは窓際。


 雨宮さんは、ほっと一息ついたようだった。


 間もなくバスも発進する。



「はぁー、何もしなくても勝手に進んでくれるって、ありがたいなぁ」



 俺がぼやくと、雨宮さんがクスリと笑った。



「本当に、そうだね……。歩き続けるって、大変……」


「せめて自転車は欲しい。ああ、でも、こんな坂道じゃきついか。何かを楽しむって、体力がいるんだなぁ……」


「うん……。体力は、大事……」


「雨宮さん、今日、楽しかった?」


「うん。疲れたけど……」


「それは良かった」


「あ、あの、さ」


「うん?」


「わたし、体力、つけるから……。頑張るから……夜野君と、色々なところ、行きたいな……」


「うん。行こう。今から楽しみだ」



 俺が気軽に答えると、何故か雨宮さんは少し不満げ。


 むぅ、と小さく唸る。



「えっと、俺、何か変なこと、言った?」


「……夜野君は、その……本当に、はっきり言わないと、ダメ、なんだね……」


「……何の話?」


「……後で、話す。ここじゃ、ちょっと」


「そう……? わかった」



 何の話をしているのかはわからない。でも、後で話してくれるなら、そのときでいい。


 俺たちばぼちぼちお話をしている間に、バスは粛々と進む。


 十五分程度で、あっさりと船着き場まで到着。バス停に降り立って、俺は花村先輩に連絡。



『俺と雨宮さんは船着き場まで着きました。先輩たちも到着したら、知らせてください』


『わかった。まだ二、三十分かかるから、待っててねー』



「これで良し、と」



 花村先輩にも知らせて、俺はスマホをポケットへ。



「ねぇ、夜野君。少し、歩こ」


「ああ、うん」



 雨宮さんに袖を引かれて、数百メートルほど歩く。



「足は大丈夫? 疲れてない?」


「少し、元気になった。平気……」


「良かった」


「ん……」



 歩いていくと、視界が広がり、海を見渡せる場所に出る。ビーチと呼ぶほど景色の良い場所ではないが、小規模な砂浜が広がっている。まだ空は明るく、空と海の青が爽快だ。俺たち以外に人はいないので、この景色は独占状態。


 雨宮さんが砂浜に入っていくので、俺もついていく。


 波打ち際で雨宮さんが立ち止まり、帽子をそっと脱ぐ。風がその髪をさらさらと撫でた。



「……ねぇ、夜野君」


「うん?」


「花村先輩の、こと、好き……?」


「ああ、好きだよ。いい先輩だと思う」


「……その好きは……先輩、として?」


「うん。そうだね」


「つ、付き合いたい、とかじゃ、ない、よね?」


「付き合えるなら付き合いたいさ! でも……まぁ、花村先輩が好きで好きでしょうがなくて、もっと仲良くなりたいんだ、みたいな話じゃない。あんな人と付き合えたらいいなー、っていう、浅はかな願望」


「……そう。夜野君には、好きな人、いないの?」


「そういうのは考えないようにしてる。俺が誰かと付き合うなんて、無理な話だし」


「……それでも、好きになるときは、なるんじゃ、ないの?」


「いやー、案外、意識しなければ誰かを好きになることもないもんだよ。自分の気持ちから全力で目を逸らすのも、非モテ男子には必須のスキルなんだ」


「な、なんか、すごく悲しい話、するね……」



 雨宮さんが引いてしまっている。


 だがしかし、俺のような男子高校生が心を守るには、こんな悲しいことをするしかないのだ。



「……俺、中学のときには、女子の間でよく言われてたんだ。夜野っていい人どまりだよね、なんて。まぁ、それもわかるよ。俺にはなんの取り柄もないし、女子からしたらなんの魅力もないんだと思う。女子目線に立ってみても、俺と付き合ったって別に面白くはないし、トキメキとかもない。そりゃ、いい人どまりだよ」



 自分で言っていて悲しくなる。


 自分を客観視するなんて、本当にろくでもないことだ。自分は本当は魅力的で素晴らしい男なのだと、根拠のない自信を持てた方が人生は幸せかもしれない。



「夜野君」


「ん?」


「……違うよ。夜野君は、そんな、悲しい人じゃ、ないよ……」



 雨宮さんが俺の方を向く。風が彼女の前髪をなびかせて、普段は隠れがちな目があらわになる。


 優しそうで、そして、可愛らしい目だった。


 でも、その目は酷く悲しそうだった。



「雨宮さん……?」


「夜野君は、わたしに、当たり前みたいに、話しかけてくれる。わたし、人付き合い、苦手だから……すごく助かってて、嬉しくて……。それに……わたし、上手く付き合えない人ばっかり、だけど……夜野君と一緒にいるのは、平気で……。夜野君は、普通の子と、変わらないみたいに、わたしに、接してくれて……。わたしが、全然、明るくなくても……皆と同じ話題、ついて、いけなくても……こんな変な、しゃべり、でも……嫌な顔も、面倒って顔も……しなくて……。その心の広さは……特別、だよ……。小説の話も、たくさんできて……わたし、楽しいよ。夜野君と、話すの……」



 雨宮さんの言葉の一つ一つが、俺の心に突き刺さる。


 話の中身は、岩辺先輩の言っていたことと似たようなものかもしれない。


 でも、こうして雨宮さん本人から言ってもらえると、俺は、何か特別なことをできたのかもしれないと、思えた。



「わたし……あのね……わたし……わたし……」



 次の言葉がなかなか出てこない。雨宮さんは顔を赤くして、今にも泣きだしそう。


 俺から何か言うべき場面だろうか。だとすると、何を言えばいいのだろうか。


 俺の残念な頭脳は、この場に相応しいセリフを生み出してはくれない。



「夜野君」


「……う、うん」


「き、急に、こんな話……わけ、わかんないかもだけど……。空気、読めてないかも、だけど……。わたし、そういうの、ダメで……ごめんなさい……でも、今、伝えたいって、思っちゃって……。伝えなきゃって、思っちゃって……」


「うん……」


「わたし……好きだよ。夜野君の、こと」



 雨宮さんの目は、真っ直ぐ俺を見つめている。潤んだ瞳はキラキラと輝いて、眩しいくらいだ。


 なんの冗談でも、からかいでもなく、本気の気持ちをぶつけてくれているのが、俺にもよくわかった。



「……好き? 俺のことを?」


「……うん」


「お、お友達として?」


「違う。……たぶん、違う。自分でも……ふわってしてるけど……恋、だと思う。この気持ちは、恋に、なるんだと思う……。他に、表現、できない……」


「そう、なんだ……」



 晴天の霹靂へきれきとは、こういうことを言うのか。


 嬉しいことのはずなのに、意外過ぎて脳が状況を理解してくれない。


 誰かが、俺に恋をしてくれるだなんて、思っていなかった。


 ありえないと思っていた。



「ありがとう……。嬉しい……。いや、何が起きているのかわからない、って感じが強いんだけど……」


「……わたし、夜野君と、恋人として、付き合いたい」


「ええっと……それなら……つ、付き合って、みる……?」



 俺が半端な返事をすると、雨宮さんが首を横に振る。



「でも、今は、いい。夜野君は、わたしのこと……ただの友達としか、見てない、みたいだから……。ちゃんと、わたしに、恋、してほしい……。それから、付き合いたい……」


「……そう」


「わたし、頑張る、から。夜野君が、ちゃんと、自分の気持ち、見つめられるように。わたしのこと、好きに、なってくれるように……」


「……うん」


「……わたしの、言いたいこと、終わり」



 雨宮さんが帽子を被り直し、すたすたと歩き去っていく。


 俺はその後を追って、でも、なんと声をかけていいかわからない。


 無言のまま二人で歩いていく。


 俺の頭はふわふわしていて、思考が全くまとまらなかった。

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