第43話 お姉さんと膝枕




 それから暫くして、秋人は隣に住んでいる黒峰の部屋にお邪魔していた。



「改めてすみません黒峰さん。約束していた日でもないのに、いきなり訪ねてしまって……」

「ううん、そんなの全然大丈夫だよ! むしろお隣なんだからいつでも来て良いよ。そうだ、合鍵いる?」

「か、揶揄わないでくださいよ……」

「うふふ、別に揶揄ってるつもりないんだけどなぁ?」



 そう言って黒峰は隣で秋人の顔を覗き込みながら微笑む。きっと合鍵を渡しても良いと思える程、こちらを信用してくれていると受け取って良いのだろう。思わず嬉しさと気恥ずかしさで口角が上がる。


 案内された場所は昨日と同じ彼女の自室。目の前のテーブルには温かい紅茶が注がれたティーカップが置かれており、部屋中には女性らしい良い匂いと紅茶の上品な香りが漂っていた。


 紅茶に口をつけてホッと一息ついていると、隣でその様子を見守っていた黒峰から声が掛かる。



「それで、何かあったの?」

「え?」

「いきなりメールで私に会いたいだなんてすっごく嬉しかったけれど、秋人くんにしては珍しくちょーっと直球かなーと思ってさー? 昨日の今日だし何かあったのかな、ってお姉さんは考えた訳です! どやぁ!」

「あはは……流石黒峰さん、名推理ですね。まぁ、そんな感じです。えっと……」

「? 秋人くん、どうしたのぉ?」



 言い淀んでいると、彼女は不思議そうに首を傾げながら瞳をきょとんとさせる。やがて意を決すると、秋人は言葉を続けた。



「その、甘えても良いって言ってくれたので……来ちゃいました」

「んふッ」

「黒峰さん?」

「ご、ごめんなさいっ。ちょっと昨日のことを思い出したり今のといい、色々込み上げてきたものがあるといいますかっ!」

「……やっぱり気持ち悪いですかね?」

「ううんまったく! むしろカワ……こほんこほんっ、私のこと頼ってくれてとっても嬉しいよ!」



 もっとお酒強くならなきゃ……と羞恥心からか頬を染めながら小さくガッツポーズを決めている黒峰。詳細を鮮明に記憶しているかは不明だが、どうやら昨日の出来事を覚えているらしい。


 アルコールの許容量は人それぞれだし、女性はお酒に弱い傾向にあるので特に気にしなくても良いと思うのだが、彼女なりに思うところがあるのだろうか。何はともあれ、迷惑ひいては気持ち悪いと思われていないようでほっと一安心である。



「それでですね……」

「うんうん」



 それから秋人は今日あった出来事を隠すことなく黒峰に話していく。文芸サークルへ向かったこと。『ワールド・セイヴァーズ』の読者がいたこと。その際に肯定的ではない感想を言われてしまったこと。言葉を整理しながら、間違えないように伝えていく。


 その間も、黒峰は軽く頷いたりしながら耳を傾けてくれていた。

 別に阿久津に対し憤慨している訳ではないのだが、それでも彼の批評に大なり小なりショックを受けた部分もある。言葉に言い表せないもやもやが身体に重くのしかかっていたが、それでも自分の部屋で一人で抱え込んでいた時より心がだいぶ和らいだ。


 彼女がそばにいてくれているからだろうか。心が、温かい。


 やがて、すべて話し終えると一息つく。


 

「……ということがありまして」

「そっか、文芸サークルでそんなことがあったんだ。京香ちゃんは元気だった?」

「知り合いなんですか?」

「うん、同級生だよ。一時期ちょーっと色々あってねぇ」

「は、はぁ……?」



 そう言ってやや言葉を濁しながら小さく笑みを浮かべた黒峰。我が強いあの有栖川のことだ、きっと秋人が入学する前に色々振り回されたに違いない。


 秋人は不思議に思ったものの、自分の中でそう結論付ける。そうして彼女は間をあけずに言葉を続けた。



「でさ、秋人くん。とどのつまりその文芸サークルの子から、つまらない……”書籍化する前の方が面白かった”って言われたことを気にしちゃってるんだよね?」

「そう、ですね。別に怒っているとかそういう訳ではないのですが……」

「うん、秋人くんの正体を相手が知らないとはいえ、直接言われるのと言われないのとでは全然違うからねぇ」

「……僕、間違ってたんですかね」

「んー?」

「『ワールド・セイヴァーズ』の文章、全部変えてしまったので」



 ある程度執筆を続けてきた秋人からしてみれば自分が描いた小説の最初の部分など、文章が稚拙で荒削り、誤字脱字が多く見るに耐えないものだった。それこそ、文章を全て書き直したい程に。


 おそらく認識の違いなのだろう。阿久津はかつての秋人の文章を本音で訴えかけてくるような熱、殴り掛かってくるような言葉と表現したが、言い換えてみればただ勢いで書き上げた文章。勿論決して手抜きなどではなく、当時の自分が出来る限りの実力を存分に発揮して寝食を惜しんで本気で楽しみながら執筆に取り組んだ。


 やがて毎日投稿の努力が実り、ランキングに載り沢山の感想を頂いた。多くの読者の目に触れる分好感触のコメントを多数寄せられたが、ダメ出し———作品自体への指摘もちらほら散見したのだ。



(たぶん、それから息苦しいって思うようになったんだよな……)



 書籍化の話を貰ったときはとても嬉しかったが、それと同時にある意味チャンスだと思った。自分にとって未熟な文章を大義名分を以って修正出来るのだ。そうして書籍化作業に伴いweb版の方も差し替えると、最初は受け入れて貰えるか不安だったが概ね好評な感想ばかりだったので一安心した覚えがある。


 幸いなことに刊行を続けることが出来てコミカライズ、アニメ化と順調だったところに阿久津の忌憚ない言葉。様々な作家を担当して目に肥えた東堂がOKを出したのだから今更とやかくいう事ではないのだが、文章を変えるという自身の選択が間違っていたのではないかと思うと心が痛い。


 もしかしたら、拙作を読んで不満ややるせなさを抱えている読者は阿久津以外にも多くいるかもしれないのだから。



「秋人くん、作家に必要なものって何かわかる?」

「必要なもの……継続力ですかね?」

「うん、それも大事だね。でもそれよりももっと根本的な概念……精神って言った方がわかりやすいかな。作家というよりは全てのクリエイターがその道に踏み出した瞬間に秘めているものなんだけれどね」

「それは、いったいなんですか?」



 秋人は隣にいる黒峰へじっと視線を向ける。やがて彼女は口元に人差し指を当てると、柔らかくそっと頬を緩ませた。


 容姿など見慣れている筈なのに、心なしか不意に艶美に見えてどきりとしてしまう。



「———強欲ごうよくさ、だよ」

「強欲、ですか?」

「自分が作り上げたものを世の中に出したい。他の作品よりも自分の方が上手い。もっと作品を通して自分を認めて貰いたい。人によってそこは違うけれど、要は自己中心的な承認欲求だねぇ」

「黒峰さんも、その……あるんですか?」

「もちろんっ! 私は私の描いたイラストを沢山の人に見て欲しいし、喜ばせたい! それがお仕事に繋がれば、数多ある作品の中で私を評価してくれたっていう証明になるでしょう?」



 見た目がおっとりとした彼女にしては意外だが、現実的な行動理念を持っているからこそ有名なイラストレーターになれたのだろう。それは確かに、世界で戦うスポーツマンに通ずる”エゴイズム”に似ている。


 そこには包容力のあるおっとりとしたお姉さんだけじゃない、眩い輝きを放った人気イラストレーターsenKaセンカがいた。



「ほら、秋人くん。ここ」

「え? な、なんですか黒峰さん? そんな太腿ふとももをぽんぽんして……?」

「おいで、膝枕ひざまくらしてあげる」

「と、突然ですね。いくらなんでも恥ずかしいんですけど……」

「うふふっ。ほら、私って強欲だからね? それに一緒にお布団に入ったり、手を繋いだり、抱き締め合ったりしてるんだから今更じゃないかなぁ?」

「うぐっ」



 確かに、彼女は恋人という訳ではないが、何度かそういうラインを超えているのではないかと思うところもある。黒峰が嫌がっていない以上とやかく言うことではないのだろうが……これも自分に女性経験がない故に過剰に恥ずかしく思ってしまうのだろうか。


 しかし、折角甘えても良いと言ってくれているのだ。いくら自己肯定感が低いとはいえ、ここで断っては彼女に嫌な気持ちを抱かせかねない。


 据え膳食わぬは男の恥、というヤツである。



「それじゃあ、失礼します」

「どうぞどうぞ〜」



 仰向けで横になると、すべすべで柔らかい感触が伝わる。女性らしい感触にドキドキしっぱなしの秋人だったが、視界には更なる衝撃が全身を走る。



(黒峰さんの顔が、おっぱいで見えないだと????)



 本来ならば絶対に拝めない、下から覗く豊かな双丘。

 秋人も立派な男である。太腿の感触も相まって思わず下半身に血液が集中しそうになるが、全身全霊の理性を以ってしてなんとかそれを押さえつけた。


 そんな秋人の様子など露も知らない黒峰はそっと秋人の腹部に手を置くと、優しくぽんぽんと撫でる。まるで幼子を寝かしつけるような手付き。

 そうして彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。



「結局、クリエイター私たちはどんなことがあっても前に進むしかないと思うんだ」

「………………!」

「すべての人に受け入れて貰うなんて難しいけれど……それでも、は必ずいるから」

「そう、ですかね」

「うん、絶対にいるよ。私も」

「あれ……なんだか、眠くなって……」



 今日は心身ともに疲れたので、横になった途端に急に眠気が襲ってきた。


 きっと、彼女が側にいるからだ。安心出来る存在の。



「うふふ、良いですよ。おやすみなさい。秋人くん」

「……はい。おやすみ、なさい…………」



 そのまま優しげな声に包まれながら眠りに着く秋人。


 もしかしたらヘンに考えすぎなのかもしれない。彼女のように、自信を持って主張出来る信念を———強欲さをもっと磨いていければ、と思うのだった。





















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