第30話 お姉さんと逆ナン
「よし、もうそろそろ黒峰さんが受けてる講義が終わる時間かな」
ストーカーに追いかけ回されているかもしれないと黒峰から打ち明けられた次の日。秋人は黒峰が講義を受けている教室の前で、彼女と一緒に帰宅するべく廊下の壁に寄り掛かりながら終わるのを待っていた。
その合間にも秋人はスマホの時計を確認してポケットに仕舞うという行動を意味もなく繰り返す。そうして今日の朝、黒峰と一緒に大学へと向かった時のことを思い出していた。
「結局、朝は何事もなかったとはいえ帰りもそうだとは限らないからなぁ……。うん、気を引き締めないと」
今朝、予定通り黒峰と一緒に大学に向かった秋人だったのだが、極力目立たないように周囲を目配せしても特に変わった事はなかった。
昨日はあのまましばらく秋人の部屋で雑談をして自分の部屋に帰っていった黒峰。来たばかりは不安げな表情だったが、途中からは勿論、幸いにも今日迎えに行った時もだいぶ調子が戻っていたようだった。
流石にカフェへ出掛けた時のように腕を組む事はなかったものの、彼女は周りの目を引くとても魅力的な女性である。歩くだけでたくさんの視線に晒されてしまうのは仕方がないとはいえ、今日大学へ向かう際に隣を歩いた秋人でさえげんなりとしたのだ。
カフェに出掛けた時もそうだったが、知らない人間からの不躾な視線というか、美人が故の彼女なりの苦労が伺えた。
「……なんとなくだけれど、ストーカーは大学の中にはいないと思うんだよなぁ。ま、これといって根拠はないけどさ」
通学時には何事もなかったので、黒峰とは大学の敷地内に入ってから別れた。それまでに好奇的な視線はあったものの、悪意的……強いていえば粘着質な視線などは感じられなかったのできっと敷地内では大丈夫だろうという判断だ。
大学ではいつも女友達と一緒に行動してると満面の笑みで話していたので、その部分も加味した上だ。その方も信頼出来る女性らしいし、多くの目がある中で近くに友達もいるというのにストーカーも悪手は打たないだろう。
「遊びに誘ってくれた駿平たちには悪かったけれど、今は黒峰さんの一大事だからね。今度埋め合わせしなきゃ」
黒峰には余計な気を使わせまいと三コマ目まであると言った秋人だが、実は今日は講義が午前中の二コマ目までだった。なのでそれまで一緒の科目を選択していた駿平、三嶋、東雲に午後からカラオケに行かないかと誘われた訳なのだが、丁重にお断りさせて頂いた。
何かを察して歯を食いしばりながら形容し難い表情を浮かべていた駿平はともかく、美少女である三嶋までもが笑みを浮かべながら妙に据わった目をしていたのが気になったが、何か黒峰のことで気に触ることでもあったのだろうか。そういえば以前黒峰と三嶋が顔を合わせた時も、それに似た雰囲気だったような気がする。
(うーん、僕の気の所為かな?)
あまり深く考えずに彼らとは分かれてしまったが、ストーカーの件が解決したら今度こそ一緒に遊びにいきたい。
そうして暫く廊下で待っていた秋人だったが、どうやら講義が無事終わったらしい。がららっ、とスライドして開かれた扉からは受講していた学生がぞろぞろと出てきた。耳にイヤホンを当てながら無言で素早く離れていく学生もいれば、「疲れたー!」「ようやく終わったしどっか遊び行く?」などと
稀に視線がこちらへ向かう時もあるがそれは仕方ないだろう。黒峰が受講しているこの講義は学年が上の先輩が必ず受けなければいけない講義らしいので、少しの我慢だ。
若干気まずかったが、まだかなと黒峰が教室から退出してくるのを待っていると、突然近くから声が掛かる。
「ねぇキミ、見ない顔だけどもしかして一年生とか?」
「こんなところでどうしたのー? 誰かと待ち合わせ? それとも先生に用事?」
「あっ、いや、その……!」
壁に寄り掛かっていた秋人にいきなり声を掛けてきたのは黒峰とは系統が違う、どこか遊び慣れていそうな女性二人だった。髪を明るくして容姿が整っているにこやかな笑みを浮かべた彼女らは、戸惑っている秋人を
「え、もしかして緊張してる? 初々しくてカワイイじゃん」
「こら、立派な男の子なんだから可愛いは失礼でしょ。確かに大人しめな顔だけど……うん、ちゃんとカッコイイし磨けばもっと光る、かも♡」
「へぇ、じゃあ決まりだ。———ねぇキミ、良ければこれからお姉さんたちと遊びに行かない?」
「え、えっと……!」
蠱惑的な笑みを浮かべながらそのように訊ねてくる彼女らに、終始戸惑い続ける秋人。
もしかしてこれは、逆ナンというやつなのだろうか。黒峰と一緒に帰ろうと思い教室の外で待っていたのだが、まさか人生初の逆ナンを大学内でされてしまうなんて完全に予想外だ。
あまりのスムーズさに驚愕を通り越して恐ろしさまで感じてしまう秋人だったが、どのように丁寧にお断りの返事を返そうかと言葉に詰まっていると、とても聞き馴染みのある声が掛かる。
「———お待たせ秋人くん。ごめんねー、待った?」
「黒峰さん……! いえ、全然待ってないです!」
「そっか。……で、二人はいったいこの子に何の用かな? 私達、これから一緒にお家に帰るんだけど……?」
「ちぇー、なーんだ千歌チャンのお手つきかぁー」
「ならしょうがないねー。黒峰さんも案外やるじゃーん」
彼女たちは諦めたようにしてそう口にすると、こちらに向かってばいばーい、とにこやかに手を振って立ち去った。
まるで嵐のようだった、と秋人は安堵しながらほっと息を吐く。こんな経験は初めてだったので、黒峰が来てくれて本当に助かった。
「えい」
「…………っ」
軽く会釈をして呆然とその姿を見送っている秋人だったが、急に手を掴まれた。突然のことだったので秋人が驚いて顔を振り向くと、どうやら黒峰がこちらの手を掴んでいたようだ。
そうして彼女はどこか圧を感じる笑みを貼り付けると、次のように言葉を紡いだ。
「じゃ、早速帰ろっか」
「え、でも黒峰さんのお友達にも一応挨拶しようかと……?」
「そんな気を遣わなくていいから。早く帰ろう?」
「は、はい……?」
やや強引に秋人の手を繋いだ彼女は、どこか焦ったような雰囲気を滲ませながらも足早に入り口へと足を向けたのだった。
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