第31話 お姉さんは嫉妬する
大学内の階段を降りたり廊下を歩き続けていたりして、暫くの間無言のまま黒峰と手を繋いでいた秋人。やがて正面玄関から外に出て、大学の敷地内のコンクリートが敷かれた道を踏み出そうとした彼女だったが、このままではいけないと思った秋人はすかさず手を引く彼女へ声を掛けた。
「く、黒峰さん」
「………………」
「黒峰さんっ! どうしたんですかっ?」
「あっ……」
きっと無意識だったのだろう。瞳を僅かに見開いて秋人の方へ振り向く黒峰だったが、その表情はどこか強張っている。慌てたようにすらりとした指をパッと離した彼女はそのまま言葉を続けた。
「ご、ごめんね秋人くんっ。急に手を掴んじゃって、痛くなかった……!?」
「いえ、それは全然大丈夫です」
「ほっ、良かったぁ……!」
「それで黒峰さん、いったいどうしたんですか? あれからずっと無言のまま歩きっぱなしでしたけど……?」
案じるような表情を浮かべた秋人は首を傾げながら目の前の黒峰へその理由を訊ねる。その直後顔を真っ赤にした彼女だったが、もじもじとしながらもやがて口を開いた。
「そ、その……」
「はい」
「さっき秋人くん、あの女の子二人に声を掛けられてたじゃ、ないですか?」
「まぁ、そうですね……?」
「その光景を見た瞬間ね、なんだか胸がギュッと締め付けられるような、重苦しい気持ちになっていったといいますか……」
「…………へ?」
「まぁ、その……簡単に言えば、嫉妬しちゃったといいますかっ」
潤んだ瞳でこちらを見つめる彼女に秋人は思わずどきりとしてしまう。
人生初の逆ナンパで動揺していたとはいえ、きっと彼女の瞳には秋人がデレデレとした表情に見えてしまったのだろう。もしかしたら黒峰の約束を破って声を掛けてきた二人に着いて行くと思われてしまったのかもしれない。
秋人は驚きこそしたが一目惚れなどはしないタイプなので彼女の心配は杞憂に過ぎない。しかし、意図しないところで無用に彼女の心を乱してしまったのも事実。
フォローしようと秋人が口を開こうとするも、それよりも先に未だ頬を染めた黒峰が恥ずかしそうに口早に言葉を告げる。
「教室を出るのが遅れた私の自業自得だけど……み、みっともないねっ? こんな身勝手な感情で秋人くんを振り回しちゃうだなんて———」
「なんだか、あの時とは逆ですね」
「逆? …………あ」
最初はきょとんとした表情だったが、秋人の言葉に直ぐにピンと来たのか小さく言葉を洩らす。
思い出すのは、カフェへ出掛ける日に黒峰と待ち合わせした時の出来事だ。故意ではないとはいえ、十二分に魅力を放っていた彼女を見る周囲の視線に秋人の心が酷くざわついたのを覚えている。
その感情に名前を付ける前に、今日とは逆に秋人は黒峰の手を引いてその場から去った訳なのだが、今にして思えばあの感情は嫉妬だったのだろう。
先程でいえば、普段明るくおっとりとした黒峰が嫉妬した。人間なので当たり前といえば当たり前なのだが、心優しく他人に分け隔てなく接するそんな彼女が人間的な屈折した感情を抱いたことに、不謹慎ながらも秋人は安堵してしまう。
(……まぁ、臆病な僕とは違って、そんな感情を吐露した黒峰さんの方がとても立派だけど)
やや自己嫌悪に陥ってしまう秋人だったが、不安な気持ちにさせてしまった彼女を安心させることがまずは最優先だ。
なので、所在なさげに頬を掻いていた彼女の手を秋人はそっと握った。
「あ、秋人くん……?」
「案外、僕たちは似た物同士なのかもしれませんね」
「ふぇっ…………!?」
「大丈夫です。僕は黒峰さんを置いて知らない人に着いて行ったりしませんし、一人にはさせません。だって約束したじゃないですか、黒峰さんと一緒にいるって」
「………………!」
「だからって訳じゃないですけど……その、頼りないかもしれないですが、こうして手を繋いで、黒峰さんを守らせてくれませんか……っ!」
言葉の途中でむくむくと羞恥心が沸き起こっていた秋人だったが、無事なんとか言い切る。繋いだ黒峰の綺麗な手からは、ほんのりと温かな体温が伝わった。
いきなりで申し訳なかったが、秋人にとって彼女を真摯に想うが故の行動だった。あの時の黒峰のように腕を組むなんて勇気はまだ持ち合わせていないが、少しでも安堵してくれたら、心の負担が和らいでくれたら嬉しい。
ストーカーへの抑止にも繋がるかもしれない、と言おうかとも一瞬考えたが、この場面でそう述べるのは些か無粋だろう。
秋人の顔を見て瞳をぱちぱちと瞬かせていた黒峰だったが、暫くして笑みを溢すと次のように言葉を紡いだ。
「うふふっ。そっちじゃないんだけど、そう言われちゃったらなぁ……」
「え、僕何か間違ってました!?」
「ううん、間違ってないよ。ありがとう、とっても嬉しい!」
「あ、あはは、なら良かったです」
彼女が抱いたという嫉妬の意味を履き違えていたのだろうかと焦ってしまった秋人だったが、どうやらこちらが捉えていた意味で合っていたようだ。
にこにこと笑う黒峰の様子にほっと安堵の表情を浮かべる秋人。すると次の瞬間、隣にいた彼女が耳元に顔を寄せた。
「それじゃあさ———ずっと側で守ってね、私の
「んぎゅ」
「うふふふふっ。なんなら腕を組んでも良いのになー?」
「ここ大学の敷地内なんで、勘弁してください……」
先程までの
ストーカーの件があるのでまだまだ油断は出来ないが、秋人はそんな彼女に柔らかく瞳を細めつつ、一緒にアパートへ向けて歩き出したのだった。
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