第32話 お姉さんとのエスケープ
それから何事もなく駅構内から出た二人は、アパートへ向けて歩みを進める。ストーカーの影がないか、すれ違う通行人や背後など周囲を警戒しながら大学内での出来事や仕事の様子など雑談をしていたが、ふとあることが気になった秋人は隣で手を繋ぐ彼女に何気なく話し掛けた。
「そういえば黒峰さん。僕に大学で話し掛けてきた女の人って友達なんですか? 随分親しげと言いますか、下の名前で呼んでましたが……?」
「うーん、私と同じ三年生だからよく講義とか一緒になるけれど、お友達ではないかな? 話したのはさっきのが初めてだし、お名前も覚えてないし……。顔見知りっていう表現の方がしっくりくるかなぁ」
「そうなんですか」
てっきり彼女らの様子から頻度は少なくても何度か話したことがある仲だと思ったのだが、どうやら違うようだ。
例え同じ学年であろうとも、大学生ともなれば人数が多い。普通であれば名前など一致しにくい筈なのだが、一方的に黒峰の名前が知られていたのは彼女の美貌故の知名度か。もしくは逆ナンしてきた彼女らのコミュ力と記憶力が偶然合わさった結果か。
いずれにせよ、同じ大学なのであの二人と遭遇する可能性は無きにしも非ずだが、そもそも学年が違うのだ。おそらくあちら側も話し掛けてくる事はないだろう。
「あ、そういえばこの前アップしてた短編小説見たよ。ランキング一位おめでとう!」
「あ、ありがとうございます。見てくれてたんですね……!」
「勿論だよ。しっかり秋人くんのSNSアカウントはフォローしてるからね。内容もすっごく良かったよ!」
そう言って笑みを深める黒峰に秋人はそっと頬を緩める。
側から見ればありきたりな賞賛なのだろうが、こうして直接感想を貰えるのはとても嬉しい。いつもはSNSの投稿や小説投稿サイトの感想欄、ファンレターといった文面だけだし、もし直接感想を貰えるとしてもそれは担当編集である東堂だけだった。
そういえば、以前のサイン会でも読者の方々からたくさんの心温かいお言葉を頂いた。ふと当時の出来事を思い出した秋人は笑いながら言葉を紡いだ。
「あはは、そう言って貰えてとても嬉しいです」
「それで気になったんだけど……」
「はい、なんですか?」
「も、もしかしてヒロインの子にあーんして貰う描写って、さ……」
「あー、っと……まぁ、そう、ですねっ。……その、黒峰さんのを、参考にさせて頂きました」
「あ、あらあら……! あんな風に見えてたのかなって思ったら、なんだか恥ずかしいなぁ……っ」
「あ、えっとその……あ、あくまで創作! フィクションですから! ヒロインの魅力を爆発的に上げるには、大袈裟かな? っていうくらい時には脚色も必要でして……!」
なんだか言い訳染みてしまったが、秋人の言い分も間違いではない。
物語上、登場人物はキャラ付けがあると読み手が想像しやすい。勿論ストーリーの内容も大事なのだが、その為には登場人物の心理描写、性格、行動を会話文や地の文に巧く反映させていく必要がある。
数ある表現の中で一つ挙げるとするならば、ずばり比喩表現。今回秋人がラブコメを初めて執筆する上で、悩みに悩んで勇気を出した部分がそこだった。
例えば「その微笑みはまるで慈悲深き女神のような〜」や「その身体つきはモデル顔負けの〜」といった具合である。これが現実でしか表現出来ないラブコメの洗礼か、と思ったのは内緒だ。
拭いきれない羞恥心を思い出して顔が真っ赤になってしまう秋人だったが、勘違いしてほしくないので咄嗟に言葉を続けた。
「あーいや、決して黒峰さんの魅力が足りないという訳ではないですよ!? むしろ黒峰さんにああして食べさせて貰ったからこそ今回のようなラブコメを書きたくなった訳ですし、お綺麗な黒峰さんだからこそ自然に比喩表現や感情の籠った仕草が多めになってしまったといいますか……!」
「あ、ありがとうございます…………っ」
「あっ、いえっ、こちらこそ、ありがとうございます……!」
秋人の隣にいる黒峰は動揺したかのように瞳を揺らしながらそっと俯く。その頬はほんのりと赤く染まっていた。
彼女の様子から判断するに、きっと先程の弁明が原因で照れているのだろう。事実とはいえ、心の中に仕舞っておけば良かったかなと後悔しながら秋人は内心冷や汗をかいてしまう。
なんだか墓穴を掘ってしまったような気がしたが、時既に遅し。もう発言は取り消せないので、更に恥ずかしい気持ちを抱えながらそのまま歩みを続けた。
彼女と手を繋ぎながらも身体中にじんわりと熱が帯びる。手汗を掻いてしまわないかと心配になるが、大丈夫だろうか。
「………………」
「………………」
互いにそわそわとしながらもしばらく無言でアパートへ向かう二人。すると、ふと背後から強い視線を感じた。
立ち止まった秋人は背後を振り返りながら視線を巡らせる。
「…………?」
「ど、どうしたの? 秋人くん?」
「…………いえ、なんでもないです」
先程のやりとりが尾を引いているのか、声を上擦らせながらそう訊ねる黒峰。なんでもないようにそっと返事を返す秋人だったが、その内心では違うことを考えていた。
(気の所為……じゃないかも。上手く通行人に紛れていたとはいえ僕達、強いていえば黒峰さんをかな。分かりづらいけど、じっと観察するような視線だった。……ちょっと様子を見てみるか)
すれ違う通行人から優れた美貌を持つ黒峰に向けられるような気の抜けたものではない、こちらを伺うような視線。今はまだ気持ち悪いとか粘着く視線でないだけまだマジだが、無遠慮にこうした視線を向けられるのは良い気分ではない。
秋人は彼女と繋いだ手にぎゅっと力を入れる。
いずれにせよこのことを黒峰にも伝えて、警戒心を引き上げて貰う必要があるだろう。いざとなったらすぐに逃げられるよう、相手に違和感を悟られないように近くにあった自販機の方へ歩みを進めながら、きょとんとした表情を浮かべる彼女へと小さく声を掛けた。
「黒峰さん。絶対に後ろを振り向かないでくださいね」
「っ! う、うん。わかった……!」
どうやら無事彼女もこちらの意図を読み取ってくれたようだ。唇をぎゅっと引き締めながらこくりと頷くと、やや緊張感を纏わせながら秋人に倣う。
やがて自販機の前にたった二人。ポケットからスマホを取り出した秋人は周囲へ細心の注意を払いながら言葉を紡いだ。
「黒峰さん、何か飲みたいものはありますか?」
「え、えっとー……じゃあ、いちごみるくがいいかな」
「わかりました。ちょーっと待ってて下さいね」
最近の自販機は現金以外にもスマホやカードといった電子決済での購入も可能である。
そうして秋人は淀みなくスマホのロックを解除、電子決済で支払いをするフリをしつつカメラを立ち上げた。そして指を画面の前で動かしつつ何気なくこれまで二人が歩いてきた方へスマホを向けて画面を覗き込んでみると、とある人物を捉える。
(ん……? 一体誰だろう……?)
サングラスと黒のスーツというこれ見よがしな怪しい格好に、秋人は思わず目を細める。どうやら相手側も建物の影に隠れてこちらを観察しているようで、この距離では残念ながら男女の区別はつかない。
秋人はスマホに視線を向けつつ、意識を黒峰へと向けて口を開く。
「黒峰さん。一応念の為に聞きますが、黒スーツにサングラスといった容姿の人物に心当たりありますか?」
「えーっと、アニメや漫画、参考資料で触れる機会はあるけど、日常ではあまりないかなー……」
「そうですか」
いくら最近のスマホカメラの性能が良いとしても、ズームして鮮明な姿を捉えるには限度がある。それら以外の外見の特徴を読み取るのは難しかったが、おそらくこれで黒峰にストーカーが付き纏っている事実は確定的だろう。
秋人は心を落ち着かせるように深呼吸すると、自販機へスマホをかざす。
今のところこちらの様子を伺っているだけだとしても、いつどんな行動を起こすのかわからない。事実、昨日黒峰は正体不明のストーカーにしつこく追い掛け回されたのだ。このまま歩いてアパートに戻るのは危険だろう。
緊急事態だが、一応黒峰のご所望するいちごみるくを購入しつつ言葉を続ける。
「黒峰さん、どうやらストーカーらしき人に尾行されてるようです」
「や、やっぱり……」
「このままだとアパートの場所を突き止められる可能性があります。僕が合図を出したら走って逃げましょう」
「う、うんっ。わかった……!」
秋人は不安な表情を浮かべる黒峰と再び手を繋ぐ。明らかに緊張した様子がその掌から伝わるが、少しでも和らげるように秋人はぎゅっと力を込めた。
固い表情のままゆっくりと息を吐く。そしてカウントダウンを始めた。
「三、二、一……行きましょう!」
「っ!」
秋人は黒峰と一緒に駆け出す。一人とは違い、手を繋ぎながらであり街中なので全力では走れないが、少しでも多く距離をとりたい。
そうしてあわよくば、ストーカーの正体も暴けたらとも考える。相手の性別といった詳しい特徴が分かれば警察にも注意喚起しやすくなるし、何より隣人として、先輩として、そして仕事仲間でもある彼女の心を不安にさせたのだ。このまま恐怖に怯える黒峰を見るのは忍びないし、付き纏われ続けるというのも
と、ここでふと秋人は走り続けながら内心首を傾げる。
(……あれ、僕ってこんなに感情的だっけ?)
本来、悪漢に立ち向かおうと考えるなど普段温厚な秋人としてはあり得ない思考である。一瞬でもそういった考えが頭をよぎってしまったのは今現在、大切な存在となりつつある黒峰が側にいるからだろうか。
ちらりと彼女の方へ向くも、秋人はすぐに視線を前へ集中させる。
(取り敢えず余計なことを考えるのはあとだ。このまま走り続けて、ストーカーの姿が見えなくなったら一目散に警察に駆け込もう……!)
ひとまず目標を定めると、黒峰を先導しながら秋人は足を止めることなく走り続けたのだった。
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