第5話 入学式




「ふわぁぁ……ちょっと夜更かししすぎちゃったかな」



 そうして大学の入学式当日。電車を乗り継いでから徒歩で入学式会場に向かっていた秋人は、大きな欠伸あくびをした後にぼんやりと呟く。


 元々何事に対しても準備を怠らないようにするタイプで、昨日は一日中部屋にあった荷物の荷解きをしていた秋人。適度に休息を挟みつつなんとか深夜になる前に荷物の収納・整理を終えて、入学式に着ていくスーツや持参するバッグに筆記用具やクリアファイルなどを詰めて準備万端の状態にしていた。


 本来ならば入学式の為にしっかりと睡眠を摂るべきなのだろうが、ちょっぴりと言えどこのように眠気を覚えていたのには理由があった。



「深夜テンションだったとはいえ、流石に入学式前日に新作のプロットを書き進めたのは間違いだったな……」



 秋人はこれから大学生としてキャンパスライフを歩むが、実はこの世に幾多のファンタジー小説を輩出させた売れっ子ラノベ作家でもある。


 『萩月はぎつき むすび』の名義で活動しており、その中でも特に有名なのは男主人公が神の権能を駆使して悪神と契約した人間と戦い世界を破滅から救う異世界ファンタジー小説『ワールド・セイヴァーズ』シリーズだ。

 累計発行部数は約五百万冊越え。コミカライズを経て、ついにはこの間アニメ化が決定した長寿作品である。


 一番最初に小説投稿サイトに掲載した処女作ということもあり、とても思い入れのある作品だ。


 それはともかく。


 実家から持ってきた無線LANルーターでWi-Fiを飛ばし、いざノートパソコンを立ち上げて気分転換にと少しだけプロットの内容を煮詰めるつもりだったのだが、いつの間にか深夜の二時を過ぎていたことに気付く。

 その後すぐに寝たのでなんとか就寝時間は確保出来たのだが、そういった経緯があって現在は目がしばしばしていた。つまり自業自得である。


 さて、入学式会場まではまだ距離がある。周辺の建物を眺めながらスマホの地図アプリで位置を確認、目的地を目指して足を進めるも、ふと秋人の脳裏によぎったのは一昨日に出会った女性のことだった。



「あれ。そういえば、黒峰さんってどこの大学に通ってるんだろう?」



 結局、あの後彼女が作ってくれた料理はすべて美味しく頂いた。


 様々な話をしながらどこの大学か気になってはいたものの、これまで何もしていないという罪悪感と申し訳なさに押し潰されそうになった秋人。時間も時間だったのでせめてとこちらで食器を洗う旨を伝えて、挨拶品を渡し感謝を述べてお帰り頂いたが、つい訊きそびれてしまった。


 昨日はアパートの他の住人に挨拶をした後ずっと荷解きをしていたので会えなかったが、彼女は偶然仲良くなった同じ二階のお隣さん同士。一緒に食事をする約束をしたので、近いうちにまた顔を合わせる機会があるだろう。


 もし同じ大学だったら嬉しいな、と思いつつ秋人は再びスマホに目を落としたのだった。










「うわぁ、ここで入学式をするのかぁ……!」



 徒歩を続けて約三十分後。無事入学式の会場に到着した秋人は、大きな建物を見上げながら感嘆の声を洩らす。


 とある国立大学などは日本武道館で入学式を行うらしい。有名どころと比較してしまえば流石に負けてしまうが、こちらも十分敷地は広いし、外観は立派である。

 周囲を見渡せば、秋人と同じスーツを身に纏っている新入生らしき人が既に結構いる。きっと入学式の受付を終えたのだろう。一部の彼らの手には大学名が書かれた青色の紙袋があり、入学式の看板の前で両親と写真撮影をしたり、おそらく出身高校が同じ者同士で談笑したりしていた。いずれにせよ、微笑ましい光景である。



「おぉー、リアルな噴水って何気に初めて見たかも」



 中央の広場へ視線を向ければ、一際ひときわ目を引く大きな噴水があった。激しくも細かな水飛沫は宙を跳ねて小さな虹を作っており、陽に照らされて透き通る水は流麗。澄み渡る青空も相まってか心なしか清涼さを感じる。まさに入学式に相応しい綺麗な光景である。



「……って、見惚れている場合じゃないや。先に受付に行っておかないと」



 思わず見惚れてしまう秋人だったが、はっとしながら思い直す。

 まだ入学式まで時間があるとはいえ、会場内で自分が座る座席などを事前に確認したいので、早めに受付を済ましておくべきだろう。あの紙袋に入っているであろう大学の資料なども念の為に目を通しておきたい。



「えーっと、受付はどこかな。……あ、二階かな」



 秋人はガラス越しから中の様子を伺いながら入口の開放された扉を通ってホールの中に入る。視線を巡らせると階段の近くで受付はこちらという案内が張り出されていた。人の流れも階段の方へ集中してるので、秋人もそれにならって階段へと向かう。


 どうやら中も新入生や来賓、大学関係者が多く行き来しており、その内装は思っていたよりも煌びやかだ。床一面赤いカーペットが敷かれているので、まるでホテルのロビーのような印象を受ける。


 内心感嘆の息を洩らしながらも、秋人はきょろきょろと辺りを見渡して足を進めた。



「よし、で……この通路を道なりに真っ直ぐ進むと受付があるんだね」



 やがて階段を上り終えると、壁がガラス張りで外の景色が一望出来る広い通路に出る。やはりというかこちらもスーツや着物姿の通行人がとても多く、中には新入生をすぐに案内出来るようにか、腕に腕章をつけている職員らしき人らもちらほらと見受けられた。


 受付があるというだけあって、様々な声がたくさん入り混じっている。



「受付は……お、あった。あそこか」



 奥の方へ視線を向けると、小さな人だかりができている。どうやら長机が等間隔に並んでいる場所が受付のようで、周囲へ呼びかけている職員の内容によると、それぞれ学部によって受付が分かれているらしい。

 秋人は様子を伺いながら静かに列に並ぶ。



(えっと、人間科学部は……っと)



 進学にあたり様々な学部の選択肢があったが、その中で秋人が選んだのは人間科学部。当初は何をする学部なのかいまいちピンとこながったが、簡単に言えば、人間の思想や行動、心理を科学的に深く掘り下げて広い視野で分析をするという学部である。


 ラノベ作家として収入を得ているとはいえ、現代は流行り廃りの情報社会。物語を描く以上人間関係は絶対に外せないし、その登場人物の行動や心理は今を生きる人々の領域に重なるものにしなければいけない。

 人間への理解を深められたら心情描写などのスキルアップがますます期待出来るだろうし、何より認定心理士などといった将来的に食いっぱぐれることのない資格取得も見込めるのも強みだろう。何より家族を心配させるのだけは嫌だった。


 そういった考えもあり、秋人は人間科学部のある大学へと進学を決めたのだった。



「はい、それでは次の方どうぞー!」

「よろしくお願いしま……え?」



 そうこう考えている内に秋人の受付の順番になったのだが、その聞き覚えのある明るい女性の声に思わず戸惑いの声を上げる。


 その受付のスーツを着た女性の顔へ視線を向けると、つい最近知り合った彼女の表情は秋人の顔を見てにこにこと微笑んでいた。



「やっほ、秋人くん。おはようございます」

「え、あ……く、黒峰さん? お、おはようございます! って、どうして受付に……!?」

「うふふ、元々在籍する大学の方で入学式の運営アルバイトを募集してたから応募してたんですよ。キミがこの学部のパンフレットを持っていたから、もしやと思ってましたが……案の定、でしたね」

「っていうことは、黒峰さんって———」

「はい、秋人くんの先輩にあたります♪」



 そう言って彼女はふわりと笑みを浮かべる。入学式という思わぬ場所で顔を合わせるも、どうやら目の前の先輩は関係者故に薄々見当をつけていたらしい。きっとサプライズ感を演出したかったのだろう。よくよく見ると、腕元には腕章をつけていた。


 蕩けるような笑みに思わず見惚れてしまう秋人だったが、目を細めた彼女はそのまま言葉を続けた。



「今まで黙っててごめんね? どう、びっくりした?」

「えぇ、それはもう」

「実を言うと、キミがこちらの列に並ぶときから気付いてたんです。きょろきょろしてて可愛かったですね?」

「揶揄わないでくださいよ。緊張してるんですから」



 知らなかったとはいえ、様子を見られていたのかと思うと少々恥ずかしさが込み上げる。おそらく黒峰のその態度は、先に経験したからこその余裕なのだろう。まるで昔の自分を見ているような微笑ましげな視線に思わずくすぐったくなってしまった秋人だが、じとーっとした目で負けじと見つめ返した。


 うふふ、と笑みを零している辺りどうやら意味はないようだが。



「大丈夫です。今日は何を食べようかなって考えているうちにすぐに終わりますよー」

「えぇ……」

「あ、そうだ! 入学式が終わったら———」

「ごほんっ」

「す、すみません」



 黒峰が言葉を続けようとしたら、隣に座っていたもう一人の眼鏡をかけた女性から咳払いをされた。本来入学者名簿をチェックして資料などが入った紙袋と胸元に付けるコサージュを渡すだけなのだが、おそらく時間が掛かりすぎたのだろう。


 慌てて秋人は謝るが、注意を受けたにも関わらず黒峰は変わらずにこにことしたまま言葉を紡いだ。



「はい、それではこちらを受け取ってください。中には大学の資料と今後の予定が記載された用紙が入ってますので、必ず目を通すようお願いします」

「は、はい」

「———またあとでね、秋人くん」



 囁くように小さな声でそう呟いた黒峰。可愛らしくウインクをする彼女の姿を至近距離で見た秋人は不意にどきりとしてしまうが、元気な声で次の方どうぞー、と促されてしまえば、おずおずと横にずれるしかなかった。



(…………ずるいよなぁ)



 にこやかに受付の対応をする黒峰と、彼女の美貌にでれでれと鼻を伸ばす男の新入生とのやりとりを少し離れた場所から横目で見つめる。意図的にという訳ではないのだろうが、ときたま見せるおっとりとした彼女の可愛らしい仕草は恋愛経験のない青年にとってはやや心臓に悪い。


 落ち着こうとすーはーと深呼吸を行なう。

 入学式までまだ時間がある。どこかで時間を潰そうと思い立った秋人はやがてその場を離れたのだった。














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