第2章

第35話 一ヶ月後




 白い明るさが目立つ会議室のような広い一室。秋人は長方形の大きなオフィスデスクの上に積み重ねられた大量の本から瞳を背けるようにして、頬を机に付けながら突っ伏していた。


 心なしかげっそりとしているようにも見える。どうやら疲労を抱えているらしい秋人は、声を出すのもやっとといったようにか細い声を上げた。



「つ、疲れた……っ」

「ほらほら萩月先生、サインする冊数はまだ沢山残ってるんですから頑張りましょう?」

「……東堂さんの嘘つき。鬼っ」



 すぐ側でこちらを見下ろしながら立っている東堂へ睨みつけるようにしてなんとか視線を向けるが、笑みを浮かべる彼のその表情はどこかぎこちない。


 ———あれから一ヶ月が経過した。現在は秋人は出版社の一室にて今度発売される『ワールド・セイヴァーズ』の新刊を含めたライトノベルに自らのサインを記入している途中である。


 早朝に建物内に訪れてからもう既に小休止を挟みながら何時間も作業しているが、同じ筆跡で何度もサインを書いているせいか心身ともに限界に達しており、正直頭がおかしくなりそうだった。


 もはや慣れ親しんだ自分のサインなのに、ゲシュタルト崩壊が起こりそうな程である。



「いやいや、当初は本当に五百冊限定の予定だったんですよ。ただそのー……ね? 折角アニメ化するんだから、今回発売する最新刊と、プラス五百冊で合計千冊限定サイン本にした方が注目されやすいじゃないかー、って会議内でそのような話になりまして……」

「……まぁリバーシブルカバーとして重版する件はこの前聞いたので良いとしても、流石にその数は多くないですか……? 東堂さんは止めなかったんですか……?」

「萩月先生が高校生だったのなら私も全力で止めましたが、ある程度自由のきく年齢ですしね。それにアニメ化を控えているということもあり、そういった話題作りは我々としてもどうしても避けて通れないんですよ。今回のようなSSペーパーにサイン、新装巻といった重版は特に、ね?」

「そう言われれば、何も言えないですけれど……」



 秋人もラノベ作家の端くれなので、出版社側の諸々の事情はある程度把握しているつもりだ。作家、出版社、制作会社、声優、広告といった多くの関係者が集いアニメ化されるのだから、そういった話題作りを怠って大コケしてしまったら目も当てられないのだろう。


 とはいえ、それでも秋人の心境は複雑だった。がばっと顔を上げると、瞳を真っ直ぐ東堂の方へと向けた。



「でも東堂さん」

「なんですか?」

「数はともかく、新装版第一巻にサインを記入するのはまぁ良いとしましょう。購入してくれる読者さんが喜んでくれるのなら僕も本望ですから。……でも、どうしてっ、その冊数を事前に教えてくれなかったんですか!?」



 五百冊ならばまだしも、その倍である千冊は明らかに尋常な数ではない。



「だって伝えたら面倒がって絶対ここに来ないじゃないですか」

「当たり前じゃないですか。サインより小説を書きたいです」



 今朝から積み重なった疲労の所為もあり、秋人は真顔のまま言葉の端々にやや不機嫌さを滲ませながらそのように呟いた。


 いつもは自宅に段ボールで送られてくるので、出版社でサインをして貰うと聞いた時は不思議に思ったものだ。幸いにも以前と違いとても遠い距離ではないので二つ返事で了承したが、どうやら東堂は元からこういう魂胆だったらしい。流石伊達に人生を生きていないというか、海千山千というべきか。


 三度の飯より小説、とは言い過ぎだろうが、秋人としてはサインよりも執筆に時間を割きたい性分だった。我儘だ、と言われてしまえばそれまでだが、今回に限っては流石に多すぎる。


 すると東堂は大きく溜息をついた。



「はぁ……寧ろ私に感謝してほしいくらいですけどね。こんな膨大な量のラノベが入った段ボールが幾つもアパートに届いたら流石に迷惑でしょう。加えて萩月先生はまだ大学生。講義や勉強、プライベートの時間があることも理解しています。そんな中いつでもここに来て集中してサインを書けるように、この会議室も今日みたいに大幅に時間をとってわざわざ一週間空けたんですよ? このわ・た・し・が!」

「うぐっ」

「因みにサインを急かしているのも萩月先生の為です。待っているファンの為に心を込めることも大事ですが、早く終わらせて小説を執筆したりプライベートに時間を割きたいでしょう?」

「そ、そうですね」

「それなら……はいっ! 他に仕事がある中こうして先生に付き合ってあげている私の為にも、適度に休みつつ早く仕上げましょうねー」

「…………はい」



 どうやら東堂は秋人がサボって小説を書き始めないか見張る為にここにいるらしい。その心温まる配慮とわざわざ付き合ってくれている彼に申し訳なさに涙がちょちょぎれそうである。


 こうして秋人は再び自らの著書へと必死にサインを繰り返していったのだった。

 
















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第二章スタートです!


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