第36話 酔いどれお姉さんは甘やかし全肯定ママ?




「それで聞いてくださいよ黒峰さん。今日出版社で一日中ずっとサインしてたんですけれど、東堂さんったら酷いんですよ?」

「うんうん♪」

「日頃の仕事で疲れていたのか僕がサインするページを開く作業が飽きたのか知らないですけれど、こっちが必死にサインしている横で部屋にあった椅子を簡易ベッドにしていきなり寝始めるんですからね」

「うんうん♪」

「明らかな職務怠慢ですし、正直勘弁してよって思いでした。その前にも少しでも早く終わらせようとサインに集中してる僕に対して、奥さんとようやく仲直りした娘さんの惚気話を何度も聞かされますし……」

「うんうん、大変だったねぇ♪」



 現在は夜の八時過ぎ。出版社の缶詰部屋からようやく解放された秋人は、アパートの自分の部屋の隣に住む隣人兼先輩兼仕事仲間である黒峰千歌の部屋で一緒に夕食を食べた後、ジュースを飲みながら彼女と楽しく談笑、そして愚痴を聞いて貰っていた。


 先日のストーカー事件から一ヶ月が経過したが、今でも時折こうして一緒に食事をする関係は続いている。


 さて、用意されたライトノベル一千冊の内、なんとか血反吐を吐きながら約半分の量にサインをし終えた秋人。次の日からは所々大学の講義が入っているので残りのサインする時間を見つけるのは難しいが、一週間という期限付きではあるものの東堂があの会議室での予定を空白にしてくれたおかげで、だいぶ精神的余裕がある。


 しかもいつでも出版社に来てサインする作業をしても良いというお墨付き。流石に受付での入場許可証は必要らしいが、出入り自由で出版社の終業時間ギリギリの八時まで作業して良いのは正直ありがたい。

 本日は効率重視で秋人は缶詰状態のまま東堂にコンビニで食事を調達して貰ったりしたが、外の空気を吸うのも大事な気分転換である。


 ———さて、現在秋人はちびちびとジュースを飲みながらリラックスした状態の黒峰と言葉を交わしているのだが、今どこに居るのかというと……。



「あの、黒峰さん。ずっと気になっていたんですけれど」

「んー、どうしたのぉ? 秋人くぅん?」

「距離、すごい近くないですか……?」

「えぇ〜? 気のせいだよぉ〜? なになにぃ、もしかして緊張してるのぉ?」



 プライベートルーム、つまり黒峰の自室にて肩が触れ合う程の超至近距離で体育座りをしながら秋人は彼女の隣に座っていた。黒峰がいつも寝ているベッドに背を預けながら前のテーブルの間に挟まれている形である。

 整理整頓された女性らしいおしゃれな内装と部屋中に漂うとても良い香りにドギマギとしてしまう。


 弁明しておくと、これまで彼女の部屋で夕食を一緒に食べる機会は何度かあったが、せいぜい片手で数えられる程度である。


 流石にお隣さんとはいえ男が女性の部屋に何度も出入りするのは外分的に宜しくない。なにより秋人自身女性への耐性があまりなかったので秋人の部屋で食事をする回数が多かったのだが、彼女のベッドのある自室へ足を踏み入れたのは今日が初めてだ。


 なので緊張するなという方が無理がある。現に額に汗を滲ませた秋人の身体はやや火照っていた。



「か、揶揄わないでください黒峰さん。……え、もしかして?」

「うふふ、いいじゃないですかぁ〜。こういう嬉しい日は酔いたいんですぅ〜」



 こちらに視線を向けながら頬をうっすらと赤らめてにこにこと口元を緩ませている黒峰。目元をとろんとさせながらやや舌足らずな口調から、だいぶ身体中にアルコールが回っているようだ。


 そう。秋人はオレンジジュース、対する黒峰はお酒を飲んでいた。所謂いわゆる食後の晩酌という奴である。



(えぇ……お酒好きなのって言ってた割に、黒峰さんお酒弱すぎじゃない……?)



 因みにだが、ここまで彼女がアルコールを開けたのはなんとチューハイ一本だけ。低度数のお酒一本でここまで酔えるのはある意味才能ともいうべきか。


 思えば、秋人は何度か実家で真面目で堅物な父の晩酌に付き合うことがあった。毎晩ウイスキーをロックで飲んでいた筈なのだが、毎回けろりとした表情のままで一切酔った様子は見受けられなかった。

 それらを鑑みると、きっと父はアルコールに強い体質に対し、黒峰はお酒が好きな割に簡単に酔いやすい体質なのだろう。人それぞれ酔い方が違うとはいえ、ここまで極端なのも珍しい。


 秋人のすぐ隣で女の子座りをしている黒峰。大層機嫌が良いのか、笑みを浮かべながら身体を横にふらふらと軽く揺らしていた。


 ふいに腕を前に伸ばした彼女は、チューハイの注がれた透明なコップについた水滴を指でつぅーと撫でる。そのままほっそりとした人差し指でゆっくりとテーブルにのの字を描いた。


 そうしておっとりとした声で言葉を続ける。



「だってだってぇ———今日は秋人くんがライトノベル作家として初めてデビューした記念日じゃないですかぁ」

「ま、まぁ確かにそうですね」



 まるで自分のことのように嬉しがる黒峰の言う通り、今日は秋人がライトノベル作家”萩月結”としてデビューした日。そして『ワールド・セイヴァーズ』が初めてこの世に送り出された日だった。


 サインによる疲労が蓄積していたおかげですっかり忘れていたが、彼女の発言で無事思い出せた。


 しかし、秋人の心中としてはどう反応を示して良いものか、些か微妙である。秋人はなんでもない振りをしながら笑みを浮かべるも、そんな僅かな違和感を彼女は読み取ったのだろう。


 こてん、と首を傾げるとあどけない表情で口を開いた。



「んー? ひょっとしてあんまり嬉しくない?」

「あぁいえ、嬉しくない訳じゃないですけれど……」

「けれどー?」

「その……喜んで良いのかなって、思いまして」



 テーブルに視線を向けた秋人は自分の腕をさすりながらそう呟いた。そのように考える原因は秋人の過去にある。


 秋人の両親は、新婚旅行中に不幸な交通事故により幼い自分を残してこの世を去った。よりにもよって、これからという時期にだ。当時はまだ物心がついていなかったので両親の顔は幼馴染であった父が見せてくれた写真でしかわからないが、秋人が生まれた時なんかは父が引くほど泣いて喜んでくれていたらしい。


 義父ちちが引き取ってくれたおかげで温かな家庭に囲まれ、心が荒むことなくここまで生きてこれた。


 しかし何か自分に嬉しいことがある度にふと考えるのだ。

 ———自分が生まれて来なければ、もしかしたら両親は生きていたのではないかと。両親の未来を奪った自分が自分のことで喜ぶなんて図々しいにも程があると。

 家族や他人のことなら素直に喜べるのだ。だが自分のこととなるとどうしても両親のことが頭をよぎってしまい、これまで喜びの感情を抱くことに抵抗があった。


 ネガティブな思考に支配されそうになっていた秋人だったが、間をあけず隣からおっとりとした明るい声が響く。



「あらあらー、うふふー」

「な、なんですか?」

「秋人くんって、案外自己肯定感低いんですねー?」

「……そう、ですね。そうかもしれません」

「どうしてなのかは敢えて聞きませんー。でもー、これだけは伝えておきますねぇ」



 そう言って黒峰はこちらへ身体ごと向き直ると、このように言葉を紡いだ。



「自分で自分を認めてあげるのも、立派な強さです」

「…………!」

「いつか、そんな自分を受け入れられる日が来ると良いですねー?」

「黒峰さん……」



 にへら、と蕩けるような笑みを浮かべた黒峰に視線を向けると、秋人は小さな声を漏らす。


 自分で自分を認める、謂わば『自己承認』である。一見簡単そうに聞こえてしまうが、実際のところ本当の意味でそれが出来る人間はそう多くはないだろう。少なくとも、一度根付いたという自覚を払拭させるのは難しい。


 しかし、どうしてだろうか。酒に酔っているとはいえ彼女の言葉を聞いていると、まるでそれが可能なのではないかと根拠のない自信が湧いてしまう。


 心が、温かい。



「さてさて、それじゃあ秋人くん。まずは自分自身を受け入れられるようにしてあげますっ」

「は、はぁ……。その、いったいどうやって……?」

「うふふー。こうやって、ですよー」



 そう言うや否や、膝立ちになった黒峰は秋人をぎゅーっと抱きしめる。

 顔中には暖かくてむにゅんとした柔らかい感触、そしてミルクのような甘ったるい良い香りが鼻腔に広がった。


 突然のことに思わず目を白黒とさせる秋人。「んぇ?」と戸惑うような声を上げるも、乳圧とも言うべきか、大きなおっぱいに声がくぐもってしまう。



「秋人くん、いい子いい子ですよー。キミはとっても頑張り屋さんなんですから、たまにはこうして甘えてくださいー。できれば、私にだけー」

「むぐむぐ……!」

「若くしてライトノベル作家になったからには、辛いこともあったでしょう。悩んだこともあったでしょう。それでも、秋人くんなりに、たくさんの努力をしてきたんですよねー?」

「むぐ……」

「私は、まだ秋人くんのことをほとんど知りませんー。自分に自信がない理由も知りませんー。でも、これだけは知ってますー」

「…………」



 最初こそ抵抗していた秋人だったが、気がつけば黒峰の言葉に耳を傾けていた。不思議と、じんわりと言葉が心に染み渡る。ゆっくりと頭を撫でる彼女の手が気持ち良い。


 そうして、次のように言葉を紡いだ。



「———キミがとっても優しい、良い子だっていうことを」

「…………!」

「うふふー。偉いね、すごいね。いっぱい頑張りましたね。例え一人ぼっちになったとしても、私だけは秋人くんの味方です。大好きですよー」

「ぷはっ……そういうの、軽々しく言っちゃダメだと思います」

「うふふふ、ごめんなさい。でも、それぐらいキミを想ってるってことですよー?」

「そう、ですか」



 頭を優しく撫でると同時に、まるで赤子をあやす様にして背中をポンポンと摩りながらそう話す黒峰にぎこちなく返事を返す秋人。



「ありがとう、ございます」

「んっ」



 やがて暖かく抱擁してくれる彼女を、秋人はこわごわと抱き締め返した。以前はあまりにも突然のことで自分から触れることが出来なかったが、こうしてみるととても落ち着いた。


 まるで創作物に出てくる、全肯定してくれる甘やかしママのようだと思ったのは内緒である。



「僕が僕を認められるように……まず、甘えるの、善処してみます。黒峰さん」

「うんっ! いっぱい甘えて下さいねー!」



 耳元でそう答えてくれる黒峰に、秋人は安心したかのようにぎゅっと腕に力を込めたのだった。
















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