第3話 お姉さんの名前は
『———だまだ若いのに、折角の新婚旅行中に信号無視してきた車に轢かれて亡くなっちまうなんて可哀想になぁ……。この子、まだ二歳になったばかりなんだろう?』
おそらく葬式が終わった後なのだろう。礼服を着た人がぽつぽつと居る中で、1人の中年男性がちらりとこちらに視線を向けて声に出す。酒に酔っているのか、その顔は赤い。
———たまに、こういった鮮明でいて朧げな夢を見る。最後に見たのはいつだっただろうか、と秋人は首を傾げるも、答えが思い浮かばないまま話は進んでいく。
『そんなことどうでもいいわよ。それよりもこの子を誰が引き取るかって話でしょ? 言っておくけど私はイヤよ。多少の保険金は出るといっても他人を育てる余裕はないし……それに、お偉いさんに目をつけられたくなんて無いもの』
『おいっ、こんな場所で言うことじゃないだろう!』
『こんな小さいんだからわかりゃしないわよ。それに、どうせみんなも腹の中では私と同じこと考えてるんじゃないの?』
終始不貞腐れたような顔をした中年女性が、鼻を鳴らしながら周囲を見渡す。
『……まぁ、流石に向こう側に非があるとはいえ、相手さんが悪かったとは思うよ』
『あら、同情するんなら貴方が引き取れば、お義兄さん? 念願の一人目の子供になるじゃない』
『……おい、それは不妊治療をしてる妻への侮辱か? いくら姉さんの子とはいえ、生憎とそんな精神的余裕はないんだよ。……ふっ、そういえばそっちの方こそ保険金は入るんだから秋人くんを引き取ったほうが得なんじゃないか? 俺の給料よりも夫婦二人分合わせてさえ収入が少ないんだからさ』
『なんですって!?』
『なんだ、やるか!?』
『だから止めろって!!』
『———いい加減にしてください』
危うく殴り合いまで発展しそうになった寸前、ここで秋人は誰かに抱き抱えられている事に気付く。凛々しく、芯のある真っ直ぐとした男性の声音。若干現在よりも若々しいが、秋人にはとても耳馴染みのある声に聞こえた。
『この子は……秋人は、私が育てます。あいつらの幼馴染として、立派に育て上げて見せます。だからそれ以上の戯言を、この子に聞かせないで下さい』
秋人が上を向くと、その視線に気付いたのか男性は顔を下に向ける。慣れていないのか、彼はごめんなと口にすると申し訳なさそうな、それでいて温かい目でこちらを見遣りながら下手な笑顔を浮かべた。
そして大きな手で頭を撫でられると、そこで景色がぼんやりとしてきて———。
「…………う、ううん」
秋人は呻き声を上げながら目を開ける。辺りは蛍光灯の白い光で照らされており、眼鏡を外しているせいか視界はぼんやりとしていて天井は見慣れないものだった。
そこで、秋人はこれまでのことを思い出す。
(あぁ、そっか……。僕、確か足が絡んで階段から落ちたんだ。幸いにも二、三段くらいだったから無事だったんだな……)
ほっ、と安堵の息を吐きながら身体の力を緩めた秋人はぼんやりと天井を見つめる。どうやら転落した際に思いのほか地面に頭を強く打ち付けてしまい、今まで意識を失っていたらしい。現在はこうしてベッドの柔らかさと暖かさに包まれているが、運が悪かったらそのままあの世へと旅立っていたであろう。
これではあの女性に笑われてしまうな、と思わず笑みを浮かべると、ふと秋人の脳裏に疑問が浮かんだ。
「……あれ、僕ってどうやってここまできたんだ?」
秋人が契約したこの部屋は二階にある。あのまま放置されなかったのは一安心だが、一番下まで転落して今まで意識を失っていた以上、誰かが秋人をこの部屋まで運ぶ必要がある訳で。自分の部屋まで自力で戻った記憶が無いということは、つまりそういうことなのだろう。
それにあの後女性はどうなったのか、あれからどれほど時間が経過したのか確認もしないといけない。そう思いながらベッドから起きあがろうとするが、ここでもまた不思議なことが起こった。
どうしてか、右側の身体が動かないのだ。
(え、え!? いったいどうなってるの!?)
まるで柔らかいボールで強く押さえ付けられているかのような感覚。もしかして転落した衝撃で身体の一部が麻痺してしまったのだろうか、という不安が頭をよぎるも、首は動くのでなんとか顔を上げて視線を下へ向けた。
すると、なんだか不自然に掛け布団が盛り上がっているではないか。
思わず秋人はぎょっとする。動揺しながらも恐る恐る動く方の手で布団を捲り上げると、そこにいたのはなんと一人の女性だった。
「んぅ? ……え? あ、あの時のお姉さん……?」
「——————すぅ、すぅ」
長くて魅力的なまつ毛に、吐息が洩れる綺麗な唇。あどけない表情で無防備に寝息を立てている姿はまるで女神のように美しい。顔を近づけてまじまじと見つめていた秋人だったが、昼間転びそうになった女性だと判明すると思わず目を見開きながら顔を勢いよく離した。
静かに胸を上下させていることから生きているのは確かだろうが、それにしてもどうしてここで寝ているのだろうと秋人は戸惑いながらも首を傾げる。
動揺と困惑が先行してしまったが、これでも秋人の心臓はばくばくである。視力が悪くて良かった、と内心秋人がほっと一息つくも、現在進行形で問題が発生していた。
(これは夢かな……? 目が覚めたらその隣で綺麗な女性が寝ていたとかそれどんなラノベ……!?)
どうやら彼女の格好はグレーのタンクトップという薄着で、下に履いているのはおそらく下着だけのようだ。視力がぼんやりとしているとはいえ、腕に絡みつくムニュムニュとした柔らかくて暖かいその乳房の感触は未だ健在だ。
もしかして夢か、という疑問を一瞬で吹き飛ばす程の圧倒的存在感と非日常さに秋人はごくりと生唾を飲み込む。
とはいえ、いつまでもこのままという訳にはいかない。彼女には様々聞かなければいけないことがあるし、何より秋人はこれまで恋愛経験がないとはいえ性に敏感で健全な青年だ。魅力的な女性が秋人の腕や足に絡みついているこの状況は、とてもではないが色々と不味い。
顔を真っ赤にさせた秋人は、隣で寝ている女性を起こそうと声を掛ける。
「あ、あのぉー……! その、お姉さーん……!」
「うにゅー……」
「おはようございます。起きてくださーい……!」
「むにゃむにゃ……もうそんなに食べられないよぅ……」
「すっごいベタな寝言!?」
「うぅーん………んっ。………………はっ!?」
暫しの間、眠気と格闘していた女性は片手で目元を可愛く擦る。そうして身体を腕で支えながら軽く持ち上げると、ぼーっと焦点の合わない瞳でこちらを見つめた。タンクトップの肩紐がずれてしまいとても扇状的な姿だったが、肩を震わせると唐突に瞳を見開く。どうやらようやくこちらを認識したようだ。
その声に秋人も思わずびくりと身体を震わせてしまうが、なんとか平常心を保ちながら声を掛けた。
「おはようございます。ぐっすりでしたね?」
「お、おはようございます。あぁ、やってしまいました……っ。いえ、そのこれは違うんです……っ! 寝ている間苦しそうな表情を浮かべる秋人くんの様子が心配になって一緒に添い寝しただけであって、けけけ決してやましい理由があった訳じゃ……っ!」
「あ、あぁ……やっぱりそうですか。大丈夫ですよ、信じます」
「ほっ、よかったぁ……!」
「あと、そのですね……一つだけ、よろしいでしょうか?」
「ん、どうしたの?」
とろんとした包容力のある優しい瞳を向けながら、彼女はこてんと首を傾げる。暫し言い淀んでいた秋人だったが、なんとか勇気を出して言葉を紡いだ。
「あの、ですね……その姿は大変お綺麗なのですが、僕にとってはとても刺激が強いので、すぐに服を着てくれると嬉しいですハイ……!」
「んー? …………あら、あらあら、あらあらあらぁ」
「えっ、ど、どうして笑うんですかっ?」
「ねぇ、秋人くん。もしかしてだけど———」
「?」
彼女は頬に手を当てると、もう片方の腕で胸元を強調するかのように支える。その瞳がどこか蠱惑的に見えたのは、秋人の中にそういう気分が燻っていたからだろうか。
口角を曲げた彼女は、その綺麗な唇で言葉を紡ぐ。
「———私の身体で興奮しちゃった、とか?」
「なっ!? なななにをいってっ!?」
「うふふ。なーんて冗談ですよ、冗談。すぐに服を着るので待ってて下さいね、秋人くん」
「し、心臓に悪いですよ……」
「ごめんなさいね、反応が可愛くてつい揶揄っちゃった♡」
女性はベッドから降りるといそいそと服を着ていく。そうして彼女が服を着終えると、秋人は先程から不思議に思っていたことを彼女に尋ねた。
「あの、聞きたいことがあるんですが……」
「んー、なんですか秋人くん? お姉さんのスリーサイズ?」
「違いますよ! っていうかそれです、名前! どうして知ってるんですか!?」
「あぁ! 確かに私だけキミの名前を知ってるのはフェアじゃないですよね!」
おっとりとした口調でそのように話す彼女は、にこやかな笑みを浮かべながらぱんと両手を合わせる。
そうして女性は立ったまま秋人へ視線を向けると口を開いた。
「私の名前は
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ようやく名前が判明しました!
ぐいぐいくる千歌お姉さんにいつか陥落する日は訪れるのか、期待していただけると嬉しいです!
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これからもよろしくお願いします!!(/・ω・)/
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