第27話

 皇家と民間の年齢の数え方は全く異なっているので。


 少女名にも聞こえるややこしい名前だが、れっきとした少年であり、リュースと近しいことでわかるように、貴族の中でも大貴族と呼ばれる家系の直系であった。


 一般の貴族では皇子の身近にいることは許されない。


 これもまた一部の高貴な貴族だけに許される特権である。


 目の前で立ち止まり、屈託のない笑顔を向けてくる皇子に、彼の表情も和む。


 いつもどおりの優しい笑顔に、彼に兄代わりの感情を向けるリュースも、嬉しそうに微笑む。


「ちょうどよかったよ。アリステアなら知ってるかもしれないし」


「なにをですか?」


 全く話の内容の見えない皇子の科白に、アリステアが怪訝そうに眉を寄せる。


 リュースは破顔し、アリステアに向かって、小さくかぶりを振った。


「いきなり本題に入って悪かったよ。アリステアなら親父殿の居所を聞いてるかなって思ったんだ。ジェノールからなにか聞いてないか?」


 小首を傾げ、問う皇子にアリステアは苦い表情になる。


 ジェノールとは彼の実の父であり、神帝の懐刀とも呼ばれる現在の秘書官である。


 特権階級の役職であり、代々の秘書官は皆世継ぎの君の親友だったことでも有名だ。


 従ってジェノールもリュシオンの幼なじみであり、同時に無二の親友でもあった。


 ちょうど今のリュースとアリステアのような関係だったのだ。


 父親同士の繋がりを思うなら、アリステアがリュースの最も身近にいて、一番の信用を得る以上、将来の秘書官は確実と黙されている。


 秘書官の一人息子だった現実も影響しているが、個人的な関わりで、アリステアは信頼を得て、正式に後継者と思われていた。


 つまり将来の重臣で頂点に立つ位置にいる少年である。


 神帝のことを、秘書官を父に持ち、後継者として遇される彼に問うのは、ごく当たり前の行動だった。


 但し客観的に見れば、という条件を付けたくなるのが、アリステアの心境なのだが。


 秘書官という役職は息子だから、後継者だからと甘えられる程度のものではない。


 自然彼の表情は苦いものになるが、リュースはそれを承知で彼を見上げていた。


 揺るがない信頼の瞳。


 ゆっくりとアリステアの眉が落ちる。


「残念ですが今は存じません。わたしは確かに秘書官の息子ですが、だからといって優遇される立場でもありませんし。父はそんなに甘い人ではありませんよ」


「ふうん。俺が知らないときって、大抵、親父殿かジェルが、アリステアに居場所を教えれてくれてたのに、どうなってるんだろ」


 皇族としてすれ違う時間の長い(はっきりいって故意に一緒に過ごせる時間は、朝食の時刻と深夜の就寝時間のみと限定されるほど多忙なのだ)神帝親子にとって、秘書官親子を仲介にした連絡は欠かせないものだった。


 一人息子に甘いリュシオンは、連絡を取れなかったときは、大抵、秘書官を通じてアリステアに教えて行ってくれた。


 一言の連絡もないなんてかなり珍しい。


 ありありとその顔に浮かぶ疑問に、アリステアも困惑した顔になる。


 心持ち首を傾げ、


「そういえば今日は父上の姿も、まだ見かけていませんね。なにか緊急の執務でもあったのではないでしょうか。陛下なら、そういう不慮の事態というのも、ありえないわけではありませんし」


 と、尤もな意見を口にした。

 

 納得はしたものの、同意できないリュースは、不満げに唇を失らせる。


 年齢相応に見える幼い仕種に、アリステアは可愛い弟でも見守るように、優しい眼で皇子を見下ろしていた。


「なにか陛下に急用だったのですか、リュース?」


 まだ秘書官を意識しない彼に、愛称で名を呼ばれ、親しい相手の少ない皇子は、手放しの笑顔を浮かべた。


 親しく愛称で呼んでくれる、気兼ねしない相手なんて、皇子であるリュースにはほとんどいない。


 それだけに彼の存在は貴重で大切だった。


「さっき変な噂を聞いたから、親父殿に直接確認を取ろうと思ってさ。それだけなんだけどうしても知りたかったから」


「どんな噂ですか?」


 普通に問いかけられ、リュースは不思議そうに首を傾げる。


「それがさあ。昨日、街に視察に出た親父殿が、民に責められたとか、ものすごく失礼な態度を取られたとか、そういうなんか信じにくい噂なんだけど」


 口にするリュースの声も、どこか信じられないと小さくなっていく。


 それは受け止めたアリステアにしても同じだった。


 信じられないと大きく瞳を見開いて絶句している。


 この世界における、神帝の絶対的な権力とその影響力を知り尽くした者にとって、あり得ない事態なのだ。


 神帝を責める者など存在しているわけがないと、だれもが信じていた。


 だからこそ、リュースも驚いて実の父親を探していたのだが。


 その行動から読み取れるのは、否定しきれない信憑性のある噂だと、リュース自身が認めていることを意味する。


 アリステアが絶句したのも、リュースの行動の意味を、すべて正確に見抜いたからだ。


「どこから生じた噂なのですか? あまりにも無礼で悪質な噂ですが」


 掠れた声は彼の動揺の強さを示している。


 リュースは複雑な眼で彼を見上げ、少しだけ唇を噛んだ。


「視察に同行した騎士団が交わしてた噂話が出所。俺が問いかけたら、一瞬で真っ青になったんだ」


「それは」


 視察に同行した者が交わしていた会話に含まれた内容で、それを確認した皇子に青くなったとなれば、その信憑性は確実に跳ね上がる。


 皇子に知られて責められるからではない。


 彼らは事実を口にしていたからこそ、神帝の後を縦ぐ皇子に聞かれ、青ざめたのだ。


 それはリュースにもわかっていて、慌ててリュシオンを捜し出したのだろう。


「ものすごい罵倒を浴びたって言ってたんだ。近衛が青くなって止めたけど、親父殿が周りを制したって聞いた。どんな会話だったのかどんな罵倒を浴びたのか、何度聞いても言ってくれなかったけど、正直、びっくりしたよ。騎士団のみんなが一様に青ざめてて、凄く傷付いた顔をしてるのが、それが事実だって告げてるみたいで、信じられなかったけど親父殿を探し始めたんだ。直接聞かないと安心できなくて」


「そうですか」


「それに親父殿が責められたのが事実なら、皇子である俺にも聞く義務がある。そう思ったからね」


 俯いてしっかりした口調で話す皇子には、揺るぎない姿勢がある。


 覇王を継ぐ者としての自覚が。


 アリステアはなにも言えないまま、そんな皇子を見つめている。


 己の責任を自覚し逃れるつもりもない潔い覇王の後継者を。


「執務室でお待ちになられますか?」


「え?」


 突然の声に振り仰ぐとアリステアは臣下の顔に戻っていた。


 皇子の傍近くに仕える次期秘書官としての冷静な顔である。


 リュースは驚いて、そんな彼を見上げたまま絶句する。


「陛下がどちらに出向かれているとしても、この時刻では必ず一度は執務室に戻られます。わたしもできるかぎり、陛下のお行方を追ってみますし、捜し当てることができれば、皇子がお待ちしていることを必ずお伝えします。ですから、執務室で待たれては如何ですか? 皇子なら勝手に入室しても、青められることはありませんし」


 冷静な判断による進言であった。


 リュースは一度驚いて沈黙したが、すぐに涼れた声を出した。


「動いてくれるのか? 俺はまだ皇子で秘書官なんて使えない立場なのに、アリステアが協力

してくれるのか?」


「確かに世継ぎの頃に、協力者を得ることは禁忌とされていますが、それも時と場合があります。これは必要なことですから。わたしは自分の判断で必要と思われる行動を起こす。皇子が陛下への伝達を命じられるなら、それを担絶できる臣下など、どこを探してもいませんよ」


 柔らかい声で抜け道を暗示するアリステアに、リュースは呆れた顔になる。


 呆れた顔にはなったが、この際いいと思うことにして、嬉しそうな笑顔で頷く。


 優雅に一礼してアリステアが皇子の目前から立ち去っていく。

 

 それを見送って、リュースも踵を返した。

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