第28話
その頃、リュシオンは不愉快な天敵、リーン王国から難癖をつけにきた、面白くもない謁見を終えて回廊を歩いていた。
リーン王国の現国主はウィルフリートというのだが、彼はとにかくリュンオンに敵対している事で有名だ。
その最たるものがリュシオンが起こした政策と、全く正反対の政策を起こし、失敗の責任をリュシオンに転嫁しにやってきては難癖をつける事だった。
これにはあいた口が塞がらないリュシオンであった。
他にも例を挙げればキリがないほど、王国からの無理難題や責任転嫁にしか思えない抗議などがあげられる。
ウィルフリート王は過去に何度となく、こちらに密偵を放っている。
エディスの所在を掴み略奪するために。
略奪された結果であれ、彼女が花嫁とされた時点で、こちらの負けだ。
エディスは今やカミュレーン政権の旗頭や象徴といった乙女だったので。
それだけに向こうの動向が透明な間は安堵できるのだった。
嗅ぎ回る密偵の処理に頭を悩ませていても、今はまだ彼女にまで害は及んでいないのだと思えて。
前を歩いていたリュシオンが、不意に驚いたように顔を上げた。
反射的に立ち止まる。
何事かと後ろ姿を凝視する秘書官に、柔らかい声が届いた。
「珍しいな。ひとりか? アリステア? リュースはどうしたんだ?」
息子の名が出て驚いた秘書官が、背後から神帝の前方に視線を向けた。
そこに緊張した面持ちで立ち尽くす、息子の顔を見て、怪訝そうに眉を顰めた。
ゆっくりと頭を垂れ、姿勢を正したアリステアは、躊躇うような素振りで、神帝を見る。
少し意外な緊張を感じ、リュシオンが眼を瞠った。
「皇子が陛下をお待ちです。執務室に戻っていただけませんか?」
「何故?」
いつもと違った伝達を受け、リュシオンが不思議そうに首を傾げる。
アリステアは躊躇うように眼を伏せたが、ややあって決意を固めたように顔を上げた。
「皇子として、どうしても陛下に訊ねたい事柄がおありだそうです」
「俺に?」
一言の説明に秘められた意味に、リュシオンはすぐに気づいた。
息子としてではなく。皇子として訊ねたいことがあると、アリステアが暗示したことには。
「わたしの口から申し上げることができません。お願いいたします。すぐ皇子の下へお戻りください」
頭を下げて頼み込まれ、リュシオンは困惑した眼を背後に控えていた秘書官に向ける。
心当たりはないかと訊ねるような視線に、ジェノールは少しだけ目を細める。
きっきの王国との会見で、ふたりとも多少、冷静さを欠いていたので、突然のアリステアの言動に、かなり本気で困惑していた。
冷静に判断できずにいる。
それでも事態が急を要することは、礼儀を無視できずに、それでも臣下としての礼を尽くす息子を見れば、ジェメールには見抜けた。
皇子に対する礼儀は、彼が直接叩き込んだのだ。
その態度の違いは一目瞭然だった。
世継ぎの皇子が、それほど性急に神帝との対面を望んだことを主張している。
「取り合えず執務室にお戻りください、陛下。皇子のご用件がなんであれ、陛下が直接応対された方がよろしいでしょう。あの方は世継ぎです。そのための疑問も、やはりおありでしょうから」
「仕方がないな。せっかくいやな会見を終えたところだというのに、また堅苦しい話題か」
ため息と共に漏れる愚痴に、ジェノールは苦笑する。
だが、この愚痴を聞いたアリステアは、つい皇子を弁護するように口を挟んでしまった。
「皇子は陛下にお伺いを立てる以外に、知りえない噂について、お聞きになりたいだけですから、誤解なさらないでください。皇子は衝撃を受けておいでです」
「なんだって?」
反射的に振り向いたリュシオンが、大きく驚いた顔を向けた。
アリステアは返容に迷い、困ったように俯いてしまう。
息子の非礼にため息をついた秘書官は咎めるような声を投げた。
「アリステア。そこまで口にしたなら、事情を伝えなさい。それでは陸下に対して失礼というものだ」
父親の厳しい忠告に、アリステアは躊躇うように瞳を揺らす。
口にするには憚られる内容だからだ。
臣下が直接、神帝に訴えるには不都合の多い内容だった。
それを見抜いたのか、リュシオンはため息を漏らし、柔らかい声を投げた。
「なにを聞いても責めない。皇子に逢う前に事情を言ってくれないか? これでは気になるだけで落ち着いて皇子に逢えないだろう?」
柔らかな声音で促され、アリステアが息を飲む。
真っ直ぐに見上げる視線に、覚悟に似た色があった。
さすがにリュシオンも息を殺した。
一体どんな噂なのかと。
「では、ご無礼を承知で申し上げますが、簡潔にご報告申し上げるなら、昨日の陛下のご視察についての異様な噂のことです」
「あっ」
やっと合点がいって、リュシオンが驚いたように黙り込む。
その後ろでは秘書官も苦い表情になっていた。
つまり事実だと、ふたりとも無意識だが主張していることになる。
アリステアは驚いたように、父親と神帝を交互に見比べた。
「どこで聞いたんだ、リュースの奴は」
唖然とした口調には自責の色が濃い。
知られたことを後悔しているのは疑いようがなかった。
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