第29話

「騎士団が会話していたところに、偶然居合わせた模様ですが」


 アリステアの説明に、リュシオンががっくりと肩を落とした。


 明らかな落胆の動作に、アリステアは目を丸くしている。


「まだリュースには知られたくなかったな」


 苦い、苦い口調には皇族としての裏側の事情があった。


 アリステアはそれを見抜き、幼い皇子には知らせたくなかったと自嘲する神帝に、複雑な視線を向けた。


「皇子はすべてご承知の上で、皇子として陛下に真実を問いたいと、その義務が皇子としてのご自分にはあると仰せでした。きっと大丈夫ですよ、陛下。皇子は知った事実に潰されるほど弱くはありません」


 親友としてのアリステアの説得に、リュシオンは満足そうな笑みを浮かべる。


 優しい瞳が秘書官の、親友の跡取りに注がれたが、彼はそれを理解できるほど大人ではなく、神帝を知っていたわけでもなかった。


 恐れ多いと眼を伏せる。


「ジェノール、戻ろうか。リュースが待っている」


「はい」


 答えた秘書官にリュシオンは頷き返し、今度はアリステアを振り向いた。


「アリステアも同行してくれないか。アリステアにも知る義務はある」


「陛下」


「知らなければ後でリュースの相談相手になれないだろう?」


 柔らかい口調で揶揄われ、アリステアはその意図を知った。


 極上の笑顔を浮かべ、神帝を見上げる瞳に純粋な尊敬の念がある。


 小さな笑みを浮かべると、ゆっくりとリュシオンは歩き出した。


 その後をジェノールが続き、息子の二の腕を掴み促した。


 まだまだ立ち入れない大人の政治の事情と諦めていたアリステアは、神帝に認められた事実にゆっくりと彼らの後を追い掛ける。


 その歓喜を胸に秘めて。





 少しの時差で勤務室で対面した神帝と皇子は、お互いに譲らないものを込めて、同じ色の瞳を見返していた。


 神帝は玉座に座り、その背後にはいつものように秘書官が控えている。


 皇子と相対としての正式な対面に返いからだ。


 机の正面からリュシオンを見返していたリュースは、小さく息を呑み込んだ。


 言うべき言葉を探しているのが、その動作から読み取れる。


 かけるべき言葉を、事情を聞いたリュシオンは持っていたし知ってもいたが、皇子が自ら言いだすのを待って、敢えて知っていることは口に出さない。


 それはわかっているのか、リュースは躊躇うような一瞬の間が空いた後で、肩から力を抜くと、いつもの調子で父親に話しかけた。


「今日、王宮を歩いていて、騎士団のみんなが立ち話をしている場面に出喰わしたんだ。昨日

の昼過ぎに、親父殿に従って視察に同行した面々だった。小耳に挟んだのは、視察に出た親父殿が民に派手に責められたってことだけで、俺には詳しい事情がわからないんだよ。訊いても答えてくれなくてさ。当事者だった親父殿に訊くしか方法がないんだ。皇子として知る義務のある事柄だと思う。正確な事情を教えてくれないか、親父殿」


 真っ直ぐに背筋を伸ばしたままで、皇子としての姿勢を崩さないリュースに、リュシオンがあるかなしかの微笑みを浮かべた。


 両手を組み、組んだ両手の甲に顎を乗せ、満足そうにひとり息子を見詰めた。


 意外な父親の反応に、リュースは小さく驚きの吐息を噛む。


「俺が昨日、視察に出る前に一体なにをしていたか、リュースは知っているか?」


「よく知らない。親父殿がこのところ、なにかの政策で忙しかったのは知ってるけど、どういうわけか俺のところには情報が入らなかったんだ。知られることを止めたのは、親父殿だろう?」


「どうしてそう思う?」


 面白がっているとしか思えない口調で問うリュシオンに、リュースは呆れて嘆息を漏らす。落胆から自然と肩が落ちる。


「俺を故意に完璧にやり込めることができる相手なんて、どう考えても親父殿以外にいないよ。俺だってなにも考えずに毎日を生きてるわけじゃない。皇子としての自分の立場は弁えているし、そのための動き方だって、自分で覚えてきたんだ。その俺をかわせるのは、俺以上の実力を持ち、知らせる必要のない情報を封じることのできる神帝陛下本人しかいないよ。俺が動いてわからないときに、親父殿が噛んでいないなんて、絶対にありえない」


 苛立ったように言い返すリュースに、自尊心を刺激され、苛立つ皇子としての誇りがあった。


 リュシオンはすでに皇子としての誇りを持ち、その矜持を己の身の内に宿しているリュースに、満足そうな笑みを浮かべた。


 教えられすに自分で、それを身につけたリュースに、親として満足したのだ。


 皇子の成長ぶりに。


「大体わかっているようだから、俺も素直に自分がやったことだと認めよう。まだ子供のお前が知るには早すぎる、裏の世界の話だ。正直に言えば、お前が噂を聞かなかったら、俺は今でも教えたくなかったと思っているんだ」


「裏の世界?」


 どこか暗さや淀みを感じさせる形容に、リュースが怪訝そうな顔をする。


 皇子として想像もしない裏側の世界など、彼はその存在そのものを、この頃は知らなた。


 それを思えば無理のない反応である。


 リュシオンは小さくため息を漏らし、真っ直ぐに疑問を訴えてくる皇子の瞳を見返した。


「俺も神帝の座に即くまでは、知識では知っていたんだが、現実には理解していなかった世界の裏側の話だ。具体的に説明するなら、俺たちが取り締まる隙をついて蔓延る現実の腫瘍の話だ」


「つまり発覚すれば確実に処罰される事柄?」


 想像できる範囲で、なんとか理解できるように努力しているリュースに、リュシオンはやりきれない表情で笑む。


「お前を相手に言いたくなかったんだが、説明を省いて事実だけを告げでも、きっと何故俺が責められたのか、お前に理解することはできないだろう。だから、敢えて言いたくない現実も口に出す。言っておくが望んだのは、リュースお前なんだ。絶対に聞き苦しいことだからといって逃げ出すな」


 鋭い瞳で釘を刺されて、リュースは小さく息を飲み込んだ。


 そのまま緊張した面持ちで頷く。


「俺が今回取り締まったのは売春窟だ」


「ばいしゅんくつ?」


 聞いたことのない名称に、リュースが首を傾げて、父親の科白を繰り返した。


 まるで意味を探るために反芻するように。


 理解できない様子に、リュシオンはため息を癖になったように漏らし、詳しい意味を説明することを決意した。


 避けられない以上、妥協するわけにはいかなかったから。


「少女だけとは限らないが、主に少年や少女、その他の世代の者もいるが、概ね若い世代の者が、その身体を売ることだ。それを男やあるときは女性が金で買う。俺の言っていることが理解できるか、リュース?」


 瞳を覗き込み、問われてリュースは息苦しさに、視線を逸らしたくなった。


 リュシオンの瞳の鋭さが、逃げることを許さなかったが。

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