第38話
両腕に抱えた花束から一輪の花を抜いては、水面に浮かべ流す。
その横顔もどこか虚ろだった。
彼女が抱えている花束が、すべて蒼月華であることに、初めて気付いた。
薄紫に蒼の混じった微妙な色の花を、一輪また一輪と水面に流す。
彼女が味わった半月間の孤独を目の当たりにしたようで、すぐには動けなかった。
半月、逢わないあいだに彼女はまた大きくなっていた。
皇族の成長期は早い。
すでに彼女は女性を意識させる、たおやかな姫君に成長しつつあった。
眼を奪う美貌をもっているのに、彼女の瞳に浮かぶのは、ただ深い憂いと孤独なのだ。
口元に浮かぶ諦めきった微笑が、リュシオンを硬直させた。
背後に移動して動かない喉を無理に動かした。
出ない声を無理に絞り出そうとして。
「なにをしているんだ? エディス?」
涼れた問いかけになった。
いつもならリュシオンだと気づいて、満面の笑顔を向けてくれるはずの少女は、彼の声を聞いても振り向かない。
振り向かないまま、また水面に一輪の花を投げた。
「このお花はね。逢いにきてくれないあの人への願花なの。森中に咲く蒼月華を湖に満たしたら、きっと逢いにきてくれるわ。だってどこを捜せばあの人に逢えるのか、わたしにはわからないのですもの。蒼月華はあの人に似ているの。あの人の瞳と同じ色だもの。だから、きっと願いを叶えてくれるわ」
今になって初めてなにが彼女を追い詰めたのか、わかったような気がした。
気が狂いそうな孤独が、脆い少女の心をズタズタに引き裂いたのだと。
誕生日に逢いにくることさえできたら、エディスはこんなふうにはならなかった。
今までは一ヶ月くらい逢えなくても、彼女は気丈に耐えていたのだから。
たった一度、誕生日に放り出されたことが、これほどまでに彼女の心を切り裂くのか。
自分で自分を支えられないほど、孤独だというのか、エディスはっ!
神殿長を責める言葉より、彼女の孤独に気づいてやれなかった、己の不徳を呪うしかなかった。
わかっているつもりで、なにもわかっていなかった傲慢さを。
「俺はすぐ傍にいるよ、エディス」
「だあれ? あの人はいないわ。だってずっと逢いにきてくださらないもの。出逢ってから初めて誕生日にきてくれなかったもの。きっとわたしのことなんて、きらいになったのよ。たくさんわがままを言ったから、たくさん甘えたから、きっと呆れて愛想が尽きたのだわ。わたしのことが重荷になったのよ」
「そうじゃない、エディス。きらいになんてなってない!」
花束を取り落とし、泣き崩れる少女の細い体を抱いた。
しばらく逢わないあいだに、エディスはまた痩せたようだった。
熱っぽい細い身体を、ここにいると教えるために、力強く抱きしめた。
「だったらどうしてきてくれないの?なにも望まないのに。ただ傍にいてほしいのに。どうし
て逢いにきてくれないの? ひとりにしないでつ。きらわないでっ。もうわがままなんて言わない。兄さまの重荷になるなら甘えたりしない。だから、お願いよ。わたしをきらわな
つ。ひとりにしないで!」
心と身体を引き裂く孤独に押しつぶされかけて、悲鳴を上げる魂があった。
崩れてゆきそうな臆い魂を抱えた少女がいた。
孤独に平常な心を崩されても、まだ毅然と顔をあげていられた少女は、小さなぬくもりを知って崩れてしまった。
そのぬくもりを失っただけで、自分を見失うほど。
たすけてっ!
魂が上げる悲鳴を聞いた。
全身全霊でリュシオンにすがりつく華奢な腕を感じた。
どうして見捨てることができただろう。
痛いほどの力ですがりつく、エディスの腕を振り払うことができただろう。
泣き崩れる少女のおとがいに指をかけ、強引に上向かせた。
焦点を結ばない蒼い瞳が、虚ろに揺れる。
ゆっくりと眼を閉じて、無防備に開いた唇に、己のそれを重ねた。
幾度目の口接けだったろうか。
浅く深く重ねられる唇。
俺はここにいる。エディスの傍にいる。
ただその事実を伝えるためだけに、エディスにキスをした。
虚ろだったエディスの瞳が、ゆっくりその焦点を結ぶ。
唇に感じるぬくもりを客観的に理解しはじめる。
強引にけれど優しいキスをくれるのが、リュシオンだと気づいても、エディスはまた夢の中にいた。
「俺はここにいるよ、エディス。エディスの停にいる」
優しいささやきに、エディスは初めてそこにリュシオンがいるのだと自覚した。
切れ切れのキスの合間に、ささやく睦言。
「兄さま」
涙で途切れそうな声が名を呼んで、リュシオンはそうだと何度も頷いた。
ぬくもり越しに伝えるために、何度もキスを交わす。
「きらいにならないで」
「ひとりにしないで」
「おねがい」
涙まじりに何度も懇願するエディスに、リュシオンは答える代わりに、深い口掛けを返した。
間違っていたかもしれない。
多感な年頃の少女を隔離して育てるべきではなかったかもしれない。
エディスの心はこんなにも傷ついている。
エディスの心を苛む孤独に、こんなにも長く気づいてもやれなかったなんて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます