第39話

 そうしてエディスが平常心を取り戻したのは、執拗なキスの後で、リュシオンの膝枕で仮眠を取ってからだった。


 すぐに元の明るいエディスに戻るには、精神的な負担が酷かったのだ。


 眠っていても流れる涙。握ったリュシオンの手を放そうとしない、幼い手。


 眠るエディスの髪を続きながら、リュシオンは苦い気分を捨てきれなかった。


 限界だとそう思えた。


 エディスを隔離したまま育てるのは、そろそろ限界だと。


 急に外界に戻せないとしても、少しずつ外界と触れ合うことを覚えさせた方がいい。


 そのときがきたのだ。


 今度の出来事はリュシオンにそう判断させていた。


 このままではエディスの心が壊れてしまう。


 今のエディスなら徹底的に隔離する必要性も感じない。


 リュシオンから見ても、以前ほど似ているという印象を感じなくなったのだ。


 社交界に出しても、疑いを持つものはいないだろうと思えた。


 なによりもエディスにあんな怯えた眼をさせたくない。


 自分は孤独だときらわれることに怯えるエディスを見たくない。


 二度とあんなエディスを見たくなかった。


 決意はさっきの出来事で不動のものとなっていた。





 何度か購毛が震えて、ゆっくりエディスが験を開いた。


 現れる煙るような着い瞳に、優しい微笑を浮かべたリュシオンが映る。


 ほんの一瞬、エディスの類に朱が差した。


 何度も何度も彼が与えてくれた、優しいキスを思い出して。


「おはよう、エディスターシャ。今度こそ俺がわかるな?」


 心配に瞳を陰らせた問いだった。


 我を失ったエディスを見て、リュシオンがどれほど傷ついたのかが伝わってくる、そん声音だった。


「わかるわ。ずっとずっと待っていた兄さまよ」

 

 答えるエディスの声も涙まじりだった。


「泣かないでくれ。俺が悪かったよ。くることができないなら、連絡のひとつでも入れればよかったのに、エディスの立場を考慮して遠慮した。俺が間違っていたんだ。こんなに傷付けていたなんて思わなかったんだ。許してほしい、エディスタージャ。こんなに傷つけて追い詰めた俺を」


「兄さまのせいじゃないわ。信じることができなくて、自分の寂しさに負けたわたしもいけなかったのよ、兄さま」


 泣きながら、それでもリュシオンを責めず、自分に非があるといったエディスに、リュシオンの胸の痛みは増した。 


「本当はくるつもりだったんだ、俺は」


「兄さま?」


 すぐにはなんの話かわからなかったけれど、エディスはすぐに気づいた。


 問題となっている誕生日に関連する言葉だと。


「それが抜けられない仕事が入って、どうしてもくることができなかったんだ。エディスのことは気掛かりだったが、そこから先は別の仕事に追われていたし、自由に時間が取れなかった。贈り物に手間取っていたこともあって、完成してから逢おうと気楽に考えていたんだ、俺は。エディスがこんなに傷ついているなんて考えもせずに」


 エディスの心を気遣うことを忘れた自分を、激しく責める口調だった。


 自責の念に駆られるリュシオンの姿を目の当たりにして、エディスはそれまでの孤独が薄れていくのを感じていた。


 どうすることもできない、誤解と悲しいすれ違いだったのだ。


 お互いを気遣う心は確かにあったのに、どこかですれ違ってしまっていた。


 そう思うだけで心が軽くなるような気がした。


「きらわれていなかったのなら、もうそれたけでいいわ」


「どうして俺がエディスをきらうんだ? こんなに好きなのに」


 ささやくような告白の後で、リュシオンは何故かはっとしたように息を噛んだ。


 しかし彼の動揺の意味は、エディスには伝わらなかった。


「あなたにきらわれることが怖かったの。もう逢いにきてくださらないかもしれない。そう考えるだけで恐ろしくて眠れなかったの。馬鹿みたいね。あなたはそんなに真っ直ぐわたしを見詰めてくれるのに」


 隔離された境遇が、彼女をこんなにも臓病にしたのだ。


 人付き合いに慣れていないから、すこしのことできらわれたと思い込む。


 彼女をこんなふうに追い詰めたのは、やはりリュシオンなのかもしれなかった。


 リュシオンの膝に顔を埋めたまま、まだ震える彼女の髪をを梳く。


 そのとき慰める気持ちと同時に悪戯心が湧いてきた。


 なんの前触れもなく横髪を梳き、手作りの髪飾りを身につけさせる。


 はっとエディスは顔を上げ、手で触れてみた。


 そこに覚えた感触に端正な彼女の顔に、徐々に驚きが広がっていく。


「かなり遅れてしまったが、誕生日の贈り物だよ、エディスの」


「え?」


「エディスは着飾らないタチだからな。そのままでも綺麗だが、俺は女の子らしく着飾ってってほしかったんだ。だから、時間がかかるとわかっていたが、今回の贈り物は髪飾りにした。おかげで誕生日には間に合わなくて、大幅に遅れてしまったが」


 苦笑を刻んだリュシオンの説明に、エディスは呆然としつつ上半身を起こした。


 髪に手を当ててみれば、確かに固い感触がある。


 途惑いながら外し、掌に転がすと、それは素敵なデザインの支飾りだった。


 蒼月華の花束がモチーフなのか、薄く切られた花びらの形をした石が、風に揺れる。


 中央の紅い宝石が一際見事だった。


「これも兄さまの手作りなの?」


「ああ。世界にひとつしかないエディス専用の髪飾りさ。気に入らなかったか?」


 派手な装飾品は好きではないと、いつか冗談まじりに言ったことがある。


 そんな些細なことまで覚えていてくれたのだろうか?


 華美にならないていどに抑えられた、可憐なデザイン。


 女の子なら気軽に身につけてみたいと思わせる、そんな髪飾りだった。


 それでいて値段なんてつけられない高級品でもあったが。

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