第12話



「目に痛い衣装だね、父さま」


 チカチカする目を押さえながら、そう言った次男に父親は仏頂面で黙秘する。


 目に痛いと言われたのも当然で、綺羅びやかというよりも豪華絢爛の洪水とでも言いたくなるような派手な衣装だった。


 当時の正装は男子の物は膝丈のチュニックにローブ風の帯をつけたもので、身分があがるほど柔らかい生地が使用される。


 純白のチュニックに宝石で彩られた革の帯。


 肩に羽織ったマントを軽く肩に掛けている。


 全身が純白で統一されていて、それは彼の繊細な美貌によく映えた。


 マントの留め金は本物の黄金のブローチ。


 大きく胸元を飾る首飾りも黄金だ。


 右耳を飾って黄金のイヤリングによく映える。


 両腕を飾る腕輪は繊細な外見に似合うように細やかな細工が施されていた。


 額にあるサークレットも宝石をふんだんにあしらったものである。


 目に眩しい衣装だった。


 また着ている当人が衣装負けしない外見を持っているからタチが悪い。


 この時代ではかなりの長身に入る身長に細身だがしっかり鍛えられた肉体を持つ、所謂美少年である。


 風に靡く柔らかそうな黄金色の髪と不機嫌さを称えた蒼い瞳がとても印象的だった。


 その横顔は鋭利さを感じさせ、甘さがないとはいえ後の7代神帝リュシオンに瓜二つだった。


 似ているのではない。


 そっくりなのである。


 右耳を飾るイヤリングも皇家の紋章をモチーフにしているし。


 但しデザインはリュシオンの物とは異なるが。


 これで腰に宝剣を身に付ければ完璧である。


 傍らにはチカチカする目の対処に困った顔の次男。


 亜麻色の髪と薄い水色の瞳が知的な印象を与える物静かな少年だ。


 更にその隣には呆れた顔の長男がいた。


 年子なのかと思わせるほど外見的な差はない。


 但し人に言わせれば長男は外見は両親の特徴を良い方面だけ遺伝された外見をしていて、絶世の美形として知られる父親には似ていないが性格は瓜二つだという。


 対して弟の方は兄とは逆に性格は父親とは正反対だが外見はよく似ていた。


 父親似の息子なのである。


 但し父親が鋭い瞳をしていて、鋭利さを感じさせる顔立ちなのと比較して、息子の方は穏和さを感じさせる優しい美貌だったが。


 ある意味で彼の父親がリュシオンだと言われたら、外見も中身もそっくりな親子だったんだと納得しただろう。


 リュースが少年らしい勝ち気さを感じさせる容貌なのを思えば、このふたりは父親が入れ替わっているような関係だった。


 お互いの父親が持っている特徴をふたりの息子は持っておらず、ディアスの持つ特徴をリュースが持ち、ディアスの持つ特徴をリュースが持ち、リュシオンが持つ特徴をリオンが持っているのである。


 それは不思議な話だった。


 兄の外見はどこかで見た印象を与える。


 それは7代神帝の御世に舞踏会が行われる大広間に続く回廊に展示された歴代の神帝の肖像画。


 それにあるのだ。


 2代神帝エル・ディオン。


 彼によく似ているのだ。


 両耳を飾るイヤリングは彼と同じものである。


 その意味もすぐに明かされるだろう。


 父親より色素の薄い金色の髪と夜と朝では色が違って見える紺碧の瞳。


 弟と違いどこが気の強い印象を与える少年だった。


 よく似た性格の父親はムスッとした顔で長男を睨んだ。


「着慣れない服は着るものじゃないよな。借り着でもしてるみたいで落ち着かない」


 ムッつりそう溢す父親に長男が答えようとすると扉から優しい揶揄が返った。


「そうね。いつものあなたより5割増しは派手な装いかしら?」


 クスクス笑いながらそう言った声に3人が同時に振り返る。


 そこには黄金色の髪を結った優雅な姫君がいた。


 口許に手を当てて笑っている。


「5割増しで済むくらい俺いっつも派手か、シェルディーン?」


 不本意そうに文句を言われ、シェルディーンと呼ばれた少女は、笑みを浮かべたままかぶりを振った。


「でも、そこまできっちり正装したあなたを見られるのはこの日だけね」


「こんな日が年に2度も3度もあってたまるか。本当は一度だって嫌なんだぞ?」


 嫌で嫌でたまらない。


 何度もそう溢す夫に彼の妃はすこし残念そうな顔をした。


 この装いも似合っているのだが、口に出したら責められてしまう。


 彼は元来着飾ることを苦手としているから。


「あらあら。ディオンはまだ支度もしていないの? あなたには大切なお役目があるでしょう?」


 宴やパレードで主役を努める父親の代わりに臣下を取り仕切る役目を負う世継ぎの君はちょっとムッとする。


 父親に付き合って派手な格好をさせられるからだ。


「母さまはお仕度を終えられたようですね」


 ニコニコととっても綺麗ですよ、などと世辞を口にする次男を父親が末恐ろしそうに眺める。


 長男のディオンも怖いものでも見たように弟を眺めた。


 そう。


 彼こそが長じた後に2代神帝となるエル・ディオンその人なのである。


「あら。ありがとう。リオンはいい子ね」


「やめてよ、母さまっ!! ぼくだってもう子供じゃないんだからっ!!」


 さすがに子供扱いされると照れるのか、頭を撫でる母親の手を避けるリオンにディオンは内心で笑った。


 大人びた態度とは裏腹にやっぱりリオンも子供なのである。


 ムッとした顔を向ける弟をディオンは片手を振ってあしらった。


「ディオンはなにも言ってくれないのかしら?」


 ため息などついて母親にそう言われ、ディオンが気まずい顔で俯いた。


 豪快な気性のくせに彼はそういった褒め言葉を苦手としている。


 わざとそう言ったシェルディーンは、息子の困った顔に小さな声で笑った。


「シェル。さすがにディオンが可哀想だよ。答えられないってわかってて訊くなよ」


 横合いから長男を庇って口を挟んできた夫に妃は不満の眼差しを向ける。


「あなたが天邪鬼だから、ディオンも肝心なときになにも言えない子になったのよ。少しは責任を感じてもらいたいわ、ディーン・ディアス」


「あのな」


「妃相手に褒め言葉のひとつも言えないとは情けない神帝陛下ですけど」


 刺々しい嫌味にディアスが苦虫を噛み潰した顔になる。


 自分をダシに始まった夫婦喧嘩にディオンはそろそろと逃げ出した。


 いつまでも長居していると絶対に飛び火するので。


 ここでいつもなら揶揄ってくる弟も、何故か一緒についてきた。


 さすがに夫婦喧嘩だけは苦手と見える。


 大扉を閉めるとふたりして同時に安堵のため息をついた。


「ほんとに場所柄も考えずに夫婦喧嘩を始める癖だけはなんとかしてくれないかな」


 ディオンのことなんて本当に些細な切っ掛けに過ぎないのだ。


 あのふたりの夫婦喧嘩はほとんど日常と化している。


 端から見ればバカバカしい理由で、しょっちゅう夫婦喧嘩を繰り広げているのだ。


 ディオンが切っ掛けを作らなくても、どこからか理由をでっちあげてきて、懲りもせずに繰り返すだろう。


 独身時代……つまり恋人同士だった頃から、喧嘩が絶えなかったと乳母に聞いたことがあるが、絶対に事実に違いない。


 あのふたりが仲睦まじく過ごしている図なんて、子供の自分でも想像できない。


 かといって凄まじく仲が悪いのかと言えば、その反対であれはあのふたりなりの愛情表現らしいのだが。


 ダシにされる子供の身にもなってほしいとディオンはいつも思う。


 リオンはその点、要領がいいので夫婦喧嘩の理由を作るような真似はしないが。


「父さまが暫く留守にしていたからね。母さまもお寂しかったんじゃないかな?」


 隣を歩くリオンがため息と共にそう言って、ディオンは不機嫌に黙り込む。


 確かにふたりが夫婦喧嘩を始める時期は、大抵決まっている。


 ディアスが長期に渡って王宮を空けたときだ。


 帰ってくると途端に喧嘩を始める。


 おそらくリオンが言った通りの理由だろう。


 傍にいてくれない夫にシェルディーンが拗ねているのだ。


 わかっているから早々に席を外す、苦労性な子供たちだった。


「最近は特に留守が長いよね。一体どこに行っているのかな?」


 それはディオンたちにとって一番大きな謎だった。


 本来、神帝として多忙なはずのディアスだが、何故か長期間に渡って姿を眩ます。


 しかもかなり長い間留守にするのだ。


 これを知っているのはディアスの半身である母、シェルディーンとその力を受け継いだディオンたち家族だけなのだが。


 つまりディオンたちは時間を消費しないままに、次々も新しい知識や体験を得ていることになる。


 父親がいない状態で過ごした時は、存在しないものとして消えてしまうが、記憶に連なるものは残る。


 得をしているのか、損をしているのかは謎なのだが。


 重苦しい沈黙を纏ったまま、ふたりで回廊を移動していると驚いたような声が掛かった。


「これはこれは珍しいところでお逢いするものだ。エル・ディオン皇子」


 涼やかな声にまずリオンが顔を向け、ついで眉をしかめた。


 殊更ゆっくり振り向いたディオンだが、予期していた青年の姿に皮肉な笑みを口許に刻んだ。


「久しぶりだ、レオン殿。元気そうで安心したよ」


 絶対に王とは呼ばぬ、気高い皇子である。


 気さくな人柄だと有名だが、そんな一面に覇王としての、ディアスの想影をみるレオンハルトだった。


 エル・ディオン第一皇子とは何度か面識のあるレオンであるが、影のように付き従う弟皇子と対面したのはこれが初めてだった。


「失礼だが隣にいるのは」


「ああ。紹介が遅れたな。オレの弟、フィル・リオンだ。名前くらいは聞いているだろう?」


 いつもは柔らかな光を浮かべた水色の瞳を冷ややかに光らせてリオンが軽く一礼する。


 その様子に敵意を読み取ってレオンが軽く声を出して笑った。


 激情家の兄に似ず知略家として名高い弟皇子らしいと思った。


 なにを考え敵視しているか、レオンには肌で理解できる。


「そう睨まないでもらいたいな。神帝陛下とは旧交を温めたいと、こうして祝いに駆け付けたのだから」


 なんの旧交なのかと皮肉な笑みの下でディオンは思う。


 神帝の祝いに駆け付けるのは、リーン王国が下座に立っているからだ。


 それが義務だから国王たるレオンが直々に来訪する。


 その影でディアスに弓を引く姿勢を、未だ崩していないことなど、だれでも承知していることだ。


 ましてやディオンにそんなおためごかしは通じない。


 何故皮肉な気分で立っているか、レオンが知らぬはずはないのだから。


「父上が聞けばお喜びになるだろう。それが心からよりの祝辞であれば」


 皮肉まじりな返答にレオンは瞬間、返答に詰まって黙り込んだが、すぐにとってつけたような笑みを返した。


 これ以上の同席は無意味だと判断したのか、同時に背を向ける兄とレオンを見比べて、リオンが思い切ったように声を出した。


「あなたはなんのために父さまに弓を引く?」


「リオンっ!!」


 窘めるように名を呼ぶ兄にかぶりを振って、リオンは真摯な眼でリーン王国を見上げた。


「あなたは狭量な人物ではない。そのことはぼくにもわかる。父さまがあなたの生命を惜しんだ気持ちも理解できる。なのに何故未だに敵対する姿勢を崩さない? 最早あなた方が父さまに敵対することは無意味だ。神帝に敵対することは、王国に不利益しかもたらさない。なのに何故……?」


 レオンは決して狭量な人物ではない。


 その人柄もディアスが認めたいだけあって、大人物だと言わざるを得ない。


 だからこそリオンは理解できなかった。


 建国から続く因果関係を持続させる彼の真意が。


 ディアスとレオンなら友にもなれただろうに。


 端正な面差しに一瞬差した陰りにディオンは敏感に気付いた。


 レオンのそんな顔を見るのは彼も初めてだった。


「あなたはまだお若い。フィル・リオン皇子」


「……」


「その真っ直ぐな心根は素晴らしい宝だと思う。さすがは陛下のお子だ」


 この科白を聞いたとき、ふたりとも同時に知った。


 相手を認めているのはディアスだけではないと。


 レオンもディアスを認めている。


 友情にも似た気持ちを抱きながら不毛な関係を続けている。


 そのことが尚更不可解だった。


「だが、今のわたしには少々窮屈なようだ」


「レオン王?」


 無意識なのだろう。


 ポツリとそう呼んだリオンにレオンが皮肉な笑みを見せた。


「陛下は確かに世を統治するに相応しき覇王。それは認めている。わたしの敗北だ。いや。わたしひとりではなく当時の武将すべての敗北だ。だからこそわたしは認めない」


「レオン殿?」


「……」


「安穏とした今の世を受け入れるには、わたしは武将でありすぎた。ただそれだけのことだ」


 謎かけのような言葉にディオンが眉をしかめる。


「出逢いが違う形であれば……」


 言うつもりのない本音だったのか、そう漏らした後でレオンはバツが悪そうに笑った。


「……そう思ったこともあるが、すべてが運命だったと思うしかあるまいな。わたしも彼も二度とやり直しのきかない道を選んだのだから」


「あなたのそれは詭弁だ。やり直しのきかない道なんてないっ」


 我慢できずにそう叩きつけたディオンに、なにか眩しいものでも見るようにレオンが瞳を細めた。


「本当に真っ直ぐなご気性をされている。出逢った頃の陛下にそっくりだ、あなたは」


 なにを懐かしむのか、レオン王の黒い瞳は。


 なにを憂うのか、自ら修羅の道を選んでおきながら。


「ではこれにて失礼する。宴の折にまた」


「あなたのその優柔不断さが、臣下を駆り立てるとは思わないのか、レオン王」


 リオンの挑戦的な言の葉にゆっくりレオンが振り向いた。


 感情の見えない黒い瞳をふたりの皇子に向けて。


「兄さんにこれ以上の手出しは無用だ。そのときはぼくも赦さない」


「おいリオンっ!!」


 ここで正面切って口にされるとは思わなかったディオンは思わず慌ててしまった。


 キレた弟は振り向きもしなかったが。

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