第6話



「とにかくっ。昨夜のあれは出過ぎた真似だっ!!」


 語気荒くそう叩きつけ、リュシオンは同時に片手を机に叩きつけた。


 荒々しい叱責をぶつける神帝に眼前に立つ公爵は、僅かに不満そうな色を宿す瞳をうなだれたフリで隠す。


 傍らの秘書官がそんな公爵に気付き、往生際が悪いと呆れた嘆息をついた。


「だれが俺の部屋に令嬢を通せと言ったんだ!? 命じてもいないことを勝手にやるんじゃない!! そんな忠義など煩わしいだけだ!! わかったなっ!?」


 俯いたままなにやらぶつくさと溢す公爵に、リュシオンは「まだ懲りてない」と吐き捨てる。


 あまりの往生際の悪さに最終宣告を突きつけた。


「一度でも同じ愚挙を繰り返してみろ。俺は二度と舞踏会には出ないぞ」


「それは……」


 絶句してそれ以上言えない公爵をリュシオンは冷たく一瞥する。


「元々俺は舞踏の類も好きじゃないんだ。それでも神帝だからと言われて、渋々引き受けていたんだぞ。

 公爵たちがその気なら、俺だって妥協はしない。勝手にすればいい。

 俺は舞踏会にも出ないし、令嬢たちのお相手も金輪際御免だ。妃なんてこの世が終わっても迎えないぞ」


 両腕を組んで至極当然と言いたげに断言され、公爵は返す言葉が見付からず、絶句したままそんな神帝を凝視した。


 さすがにこれ以上は不味いと思ったのか。


 そこへ秘書官が割って入った。


 常と同じ穏やかな声音で。


「どちらにしろ、公爵がすこし焦ってしまわれたことは事実ですね。昨夜の出来事はさすがにやり過ぎかと存じます。陛下に謝罪なされては如何ですか?」


「ジェノール」


 全く情勢を無視する秘書官に公爵は恨みの眼差しを注ぐ。


 下から見上げるように睨まれて、ジェノールは軽く肩を竦めた。


「そのような卑劣な真似を陛下が嫌悪されていることは事実です。秘書官として申し上げますが、昨夜のような出来事を仕組むのは、陛下にとって逆効果にしかなりません。公爵はやり過ぎました。謝罪願います」


 リュシオンは嘘だけは言わない。


 意地を張ったための宣言であろうと、口に出した以上は成し遂げるのだ。


 そんな事態を招くことは秘書官として歓迎できない。


 公爵には折れてもらうしかないと見据える瞳に訴えられ、リオンクール公は苦い顔で渋々秘書官の申し出を受け入れた。


 形ばかりとわかる謝罪だったが、公爵は言うことだけ言うと退室を願い出て、そのまま執務室から姿を消した。


 頑固で融通は利かないが、結局のところ、リュシオン贔屓の公爵なのである。


 迷惑な行動もリュシオンのためを思ってのことなのだ。


 わかっているだけに見送ったリュシオンは、苦いため息をつく。


 溺愛される現実の矛盾した辛さに。





 世継ぎの君が政治に関わることを許されるのは、儀式年齢で10歳の誕生日を迎えてからだった。


 儀式年齢とは民と年齢に関する常識が違うため、便宜上の判断を意味する年齢のことである。


 従って実年齢ではない。


 皇家での成人は男子18、女子17を意味するが、年齢の数え方まで異なるので、実年齢はずっと上だったりする。


 成人といっても便宜上の区別に過ぎず、皇家ではだれもが大人(20歳以上の外見を意味する)にはなれない。


 リュシオンにしても16、7で外見は止まっているし、どんなに大人びた成長を終えても、19を越える外見には成長できない。


 この判断は20歳までの成長が、比較的順調な平民の外見を基本にしている。


 7代神帝リュシオンが即位したのは、儀式年齢で10歳を迎えるよりも前のことだった。


 従って未成年も未成年。


 まだ政治に関わることも許されない年齢の頃だ。


 それから現在までの時の流れを経ても、彼はまだ成人には程遠い。


 とかくカミュレーン皇家は非常識なのである。


 当事者に言わせると非常識の代名詞が皇家だ、となるが。


 リュシオンより後に生まれたジェノールが、すでに成人していて外見も25、6にまで達していることを思えば、どれほど非常識かは知れようというものだ。


 ジェノールは自他共に認める大人であり、すでに奥方を迎え家を継ぎ、今では3人の子供の父親である。


 20歳を越えてからの成長は、民も緩やかなものに変じるが、それでもリュシオンは異端的な存在だった。


 10歳の記念を迎えるのも呆れるくらい呑気な皇家である。


 世継ぎのセインリュースは未だに子供、子供した少年であった。


 異端に次ぐ異端の連続だったリュシオンは、あらゆる意味で皇家の異端児だったのだ。


 類を見ない時期の早婚といい、記念の儀式を迎える前の即位といい、すべてが前例のない事態の連続だった。


 文字通り7代神帝の御世の幕開けは波瀾に満ちたものだった。


 何故なら父親である6代神帝の自決により、その幕を開けたのだから。


 不老長寿の皇家では自分から死ぬことは難しい。


 病にも縁がなく、寿命を迎えるまでは気の遠くなるような時を生きねばならない。


 だから使用されることを目的としない「皇家の秘薬」といったものが実在する。


 死の手段を持たない子孫のため、祖王が自ら調合したと言われる秘薬だ。


 その秘薬には様々な種類があり、もちろん一口だけで生命を絶てる劇薬も実在した。


 注意書には「できれば使用されたくない。どれほどの苦しみの中でも、懸命に生き抜いてほしい。そして治癒不可能な病にかかった折りに役立ててほしい。自ら生命を絶つために使用されないことを祈る」と記されていた。


 おそらく調合した本人である祖王の手書きなのだろう。


 絶望的な時の長さを生きるのだ。


 長すぎる生とは当人にとって時には死よりも苦しいことがある。


 それを考慮して調合されたのだろうが、彼は使用されないことを願っていたのだ。


 だが、6代神帝はその劇薬を使用し、突然その生命を絶った。


 幼い世継ぎの君に強制的な譲位を遺言して。


 この譲位の背景は歴代で類を見ない動乱を意味した。


 これほど劇的な即位をした神帝は初代を除いて実在しない。


 異例の事態ばかりを引き起こす祖王の寵児リュシオン。


 その波乱の幕開けとなった彼の譲位の影に異なる背景も隠されていた。


 即位と時を前後する世継ぎの生誕。


 その直後の皇妃の崩御。


 死因は不明と発表され、一時期は騒がれたものだった。


 そして止めが伝説に記された予言の乙女の生誕である。


「彼の乙女が選ぶ伴侶は事実上の覇王。この世の頂点に立つ覇王のみ手に入れる権利のある聖女。その名を……聖稀という」


 悠久の時の流れの向こうに生まれると言われていた伝説の聖女。


 その称号を「聖稀」といった。


 彼女は伝説に記された女神であり、彼女が選ぶ伴侶には名実共に覇王の称号が用意されている。


 愛した伴侶に世界を委ねる聖女、聖稀。


 傾国すら意味する乙女は、7代神帝の御世が始まるのとほぼ同時に誕生した。


 波乱含みな幕開けに相応しい幕切れ。


 7代神帝の治世はこうして始まり、動乱の予感を孕んだまま時は……流れた。

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