第31話
「俺を責めてきた娘も、そんな夢を持ったひとりだった。姉を病で亡くしたらしいんだ。医療費、入院費、二人分の生活費。それらをただひとりで賄いながら、彼女はまだ夢を捨てなかった。
救えずに弱っていく姉をずっと見守っていて、いつしか医師になりたいと夢見るようになっていたらしくてな。
だが、それまでの費用にしても、ひとりの少女が得る限界を越えている。そのための方法はあっても、この上に進学を望めば正当な働きではられない金額となる。
医師にならないで一般の仕事をしながら、普通に生きていくなら、別に苦労することもない。
おそらく無礼な抗議を止めるためだったんだろうが、その時同行していた騎士団のものが、そんな高望みなどせずに、与えられた仕事をこなしていればいいのだと、そう言ったんだ。
そうしたら彼女が更に激しく責めてきた。
当然だ。
どういう理由からにしろ、そこまで望んだ夢を、分不相応だから諦めて、苦労しない生き方をしろなんて、俺にはとても言えない。
それは貴族の傲慢だと思えたし。
彼女のどうしても医師になりたいという情熱は評価する。そのために自分を汚しても、医師になるという夢だけは捨てなかった。その屈しない精神と姿勢は評価できる。
だが、彼女は売春という間違った方法で、夢を叶えようとした。それで俺が売春窟を潰してしまったせいで、勉学を続けていくのが、ほぼ不可能になったらしい。
どうしてくれるんだと責めてきたのはたったひとつの夢を希望を取り上げられた絶望からなんだ。俺にはその罵倒を受ける義務があった。意図していなかったとしても、彼女を追い詰めたのは事実だし。
だが、謝罪するわけにもいかないし、自分が完全に間違っていたとも思えない。罪は罪で間違いは間違いなんだ。俺にできることは、彼女の激情を受け止めて、また頑張るだけの気概を取り戻させる手伝いだけ。
本当に諦められない夢なら、諦めなければなんとかしようと頑張れる。叶えたいなら自分で最大限の努力をするしかないんだ。
そこまでの覚悟で夢を叶えようとしたことそのものを否定する気はないし、それを責めるつもりもないが、あくまでもそれは間違った方法だ。神帝として統治していかなければならない俺に、認めることのできる主張ではない。どんなに激しく責められても、な」
リュシオンはかなり大雑把に、事情の説明を行ったが、リュースはそれでも衝撃を受けていた。
すぐにはどう言い返すべきなのかがわからず、躊躇いに瞳を揺らしていた。
どう言えばいいのかが、まだわからなくて。
「どうしてそこまでしないと夢を叶えられないんだ? その話が事実なら、姉の医療費や生活費などはむしろ払わなくて済む手続きを、なにか用意する義務があるんじゃないのか?
両親がいないなら、それは最低限必要な行動だよ。確かに死に瀕するほどの病に罹った家族の医療費をひとりの少女に賄えと望むのは無理があるよ」
「この俺がその程度のことをしていないとでも思っているのか?」
低い声で問うてくるリュシオンには、神帝としての怒りがあった。
確かに彼がその程度の手を抜くとは思えない。
失礼な言い方だったかと、リュースは唇を噛んで俯いた。
「それだけの手は打ってある。たが、恒久的な支援を受けるためには、彼女がそれなりの手続きを踏まなければならなかったんだ。なんの下調べもなしに、制度を動かすわけにはいかないからな。もし、彼女が売春に手を染めていたら、制度を利用することはできない。少なくとも売春行為をやめないかぎりは、その資格がないからな」
「それは彼女がしなかったってことか? もしくはできなかったって」
驚いた顔で問いかけてくるリュースも、半分くらいは理解していないらしかった。
息子の気持ちがわかるリュシオンは、知らず知らず苦い笑みを浮かべ、小さくため想を漏らした。
「これは俺が事件の後でジェノールから聞いたことだが、俺がどれほど救済処置を設けてもできるかぎりの手を打っていても、それを知っている者というのが、全体の半分にも満たないらしいんだ」
「え? どうして?」
驚いたリュースの声には、苦笑したジェノールが答えた。
「その村や街、そこに住む人々の知識。そういったものによって制度の把握にも差が生じます。制度をよく理解するには法に詳しい者が必要になります。残念ですが現時点では法に詳しい者というのは、ごく限られているのですよ、皇子。その娘も娘の周囲にいた者も、そういう保護法があるということは、どうやら知らなかったようです」
「どんな制度も知られていないと役に立たないってことか。でも、そういうのを徹底するのって、きっと難しいんだろうな」
複雑なリュースの顔にリュシオンも同じ顔で頷いてみせた。
「おまえは王宮にいて最高学府の教育を、無条件に受けることができる。もちろんアリステアにしても、一般では信じられないほどの教育を受けている立場だ。それが貴族の特権だと彼女は言っていたよ」
「皇子は生まれながらに支配級の者です。皇子が現在受けている教育を、一般の者が受けようとしても、生涯不可能であることだけは事実ですよ」
「ジェノール」
「あなたが受ける教育を、一般の教育に置き換えるなら、最高学府と言われるだけあってかなりの金額が必要となります。あなたにその義務がなくても、普通は教育費を支払うことで、それに見合った教育を受けるのですから。つまり無条件にそれだけの教育を義務づけられるからこそ、あなたはその価値を自覚することなく、ご自分がどれほどの特権に恵まれて暮らしているのか、気づけなかったのですよ」
ジェノールの説明は、確かにリュースの知らない現実の側面だった。
確かにリュースには最高の教育を受ける義務がある。
後に神帯として頂点に立つためには、それだけの教養も必要とされるからだ。
だが、それは皇子だから必要とされた義務であって、一般から見れは特権に見えるのだと秘書官は一般の立場から、世継ぎの君に説明したのである。
所詮は支配階級の頂点に立っていた皇子だ。
そんな現実など、リュースは全く知らなかった。
なんとなくだれでも好きな教育を受けることができると信じ込んでいた。
その過ちを指摘され、リュースは苦い表情でり込む。
背後では意味は違っても、同じ特権を得る秘書官の息子も、同じ顔で俯いていた。
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