第32話

 なんとなく誰でも好きな教育を受けることができると信じ込んでいた。


 その過ちを指摘され、リュースは苦い表情で黙り込む。


 背後では意味が違っても、同じ特権を得る私書官の息子も、同じ顔で俯いて秘書官の説明を無言で聞いていた。


 リュシオンが、小さくため息を吐き出した。


 皇子とアリステアの視線が、行動を起こした神帝に向けられる。


 そんなふたりを見据えながら、小さく微笑んだリュシオンは、もう一度両手を組み手の甲に顎を乗せた。


「医師になるために必要な金額は、正直に言えばかなりの額になる。そのせいで医師になれる者も最終的には特権者ということになるんだ。その金額を用意できない者に、医師の資格を得ることは、絶対にできないからな」


「それはどうしてなんだ?医師は人が生きていくために必要不可欠な職業のはずだよ。病に罹らない者なんて、一般ではいないって聞いてるし。その医師になれるのが、一部の限られた者だけなんて不自然だよ」


 片腕で肘を押さえ、もうひとつの腕で顎に手を当てているリュースが、考え考え口にする。


 皇子としての意見にリュシオンは苦い笑みを返した。


「おまえの高い方で問い返せば、人の生命を預かる医師に、それなりの教育を受けさせずに誰にでも資格を与えて、間違いは起きないのか?」


 短い問いだった。


 だが、それだけで自分の無責任さに気づいたリュースは、言い返すこともできずに、無言でかぶりを振った。


「確かに金額の問題だけで、本当に才能のある者が医師になれないのは、俺もどうかと思う。家柄的に経済力があれは、それだけで医師になる条件のひとつは満たされていることも意味する現実だからな」


「じゃあどうすればいいんだ?」


 困惑しているらしく、眉を寄せ、苛立った様子で問いかけるリュースに、リュシオンは同じ表情でかぶりを振る。


 ゆっくりと小首を傾げ、皇子の瞳を見上げた。


「俺が彼女に言いたかったのも、そこなんだ」


「え?」


「そんなに多くはないんだが、どんな職菜にしても、奨学制度がある。ある条件さえ満たすことができれば、一切の免除が受けられる制度のことだ。つまり医師で例えるなら、実務につくまでの学費面はすべて免除される。生活費を例えば福祉制度などを受けることで補えば、医師になるまで、全くなんの不安もなくなる。そういう制度が確かにあるんだ」


 淡々と神帯としての顔で口にするリコンオンに、リュースは訝しげに眉を寄せる。


「そんなに多くないってことは奨学制度を受けるのは、凄く難しいんじゃないのか?  誰もが不可能だって思えるくらいの難関なんじゃ」


「当たり前だろう。仕事に就くまでの費用を、すべて政府が賄うなんて、それは理想論で現実では通用しない。民のすべての生活を、片方だけが満たすなら、そこには供給しかなく需要がない。一方的な負担など絶対に不可能なんだ」


 素っ気なく返された答えに、リュースは困ったように唇を失らせた。


 確かに生まれてから成人するまでの費用のすべてを、政府が負担して、民がなにもしいいなら、理想的だとは思える。


 だが、それでは生きていくことになんの意味もなくなってしまう。


 当人の気力も失われるし、苦労することなく、なんでも叶うと思い込んでしまうだろう。


 夢は困難だからこそ強く望み叶えようと頑張れるのだ。


 なにもしなくても叶うなら、本人のやる気が、どんどん低下していくだろう。


 それは喜ばしい事態ではなかった。


「現には今までに何人もその制度を利用して、有名なな歴史に名を残す名医となったこともまた事実なんだ」


「へぇ」


「すべてが金銭的に恵まれない、ごく普通の生まれの者だった。医師になるためには、制度を受けるしか方法のない。だが、彼らは誰も諦めなかった。無理だと思われる難関をで乗り越え、医師への道を目指した。言い換えるなら、それだけの覚悟と、どうしても夢を叶えるんだという意思の強さがあったから、彼らは歴史に名を残せる医師になれたことを意味する。わかるか? 本当にやりたいことなら無理だから不可能に近いから、そんな理屈で自分を甘やかすことなど絶対にできないんだ」


 神帝として諭す姿に、その少女の甘さを指摘する、彼の本音があった。


 本当にやりたいことなら、この程度の障害で諦めていては意味がないと。


 厳しい主張であったが、その正当さの理解できるリュースは、否定することもできなかったが、肯定することもまたできなかった。


 望めばなんでも叶う。


 それこそ理想論のようにも思えて。


「納得できないらしいが、リュース、なら、おまえは無理だから、絶対に叶わないから、そんな理由から、たとえ不可能に思えても夢を諦めることができるのか? それがどうあっても叶えたい希望だとしても」


 鋭い瞳で問われて、リュースは数瞬の沈黙の後、無言でかぶりを振った。


 諦めることなどできないと。

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