第33話
「必要なのは叶うと宿じ、自分の意思を貫く強さだ。例え叶わなかったとしても。
できるかぎりのことを、自分で納得できるまでやれば、後悔だけは感じない。あのとき、こうしてすればよかったなんて、そんな意味のない後悔だけは。諦めるときも、これ以上は自分には無理だと納得してやめることができる。志半ばにして道を諦める者は確かにいる。力が及ばなくて諦めるしかなかった者たちが。それでも本当の後悔を感じるのは、やれることをせずに諦めた自分に対する自責の念からなんだ。本当に無理だと感じるまで、どんな無理をしてでも頑張れば良かった。そうすれば同じように無理でも、納得して諦めることが出来たかもしれないのに。そんな後悔を意味してるんだ」
「やれるだけのことをやらずに、自分から諦めてしまったから、だから、後悔するんだって言いたいのか?」
複雑な顔で問いかけるリュースに、リュシオンは小さく頷いた。
「本当になにを増生にしても医師になりたいなら、不可能に近いからと諦めずに努力するべきだ。絶望して嘆く前に動きだすべきだ。立ち止まっているかぎり夢は叶わないのだから」
「凄く厳しい言い方だよな。厳しいけどそれが正しいってわかるよ。でも、言われた方は、さっきの説明だと理不尽だって思わないか? 俺たちは特権階級の貴族だから、そんなことを言えるんだって思われそうだけど」
不安そうな皇子の声に、リュシオンも苦い表情で頬杖をついた。
やりきれないため息が漏れる。
「確かにな。俺たちは一般的な生活のための苦労は知らない。放っておいても食べることはできるし、眠ることもできる。手に入らない物もなければ、叶わない望みもない。大抵の望みは叶えられる立場にいる。それを一般人が羨むのは無理もないことだ」
「自分ではなんにもしなくていいもんなあ」
珍しく落胆と共に思痴るリュースに、リュシオンは苦笑する。
「だが、その反面一般にはない責任を俺たちは担っているだろう?」
「うん?」
「例えば昨日の出来事にしてもそうだ。貴族だから。支配階級の者だから。そんな理由から誰にでも責められる立場にある。失敗したときにまで民は寛容じゃない。生きている境遇は確かに違う。一般的な苦労など必要のない暮らしをしている。だが、同じように一般も俺たちの生活なんて知らないんだ。
確かに生活面では困らないし、金銭的にも困館することのない生まれだ。でもな。だからといって楽な暮らしでもないんだ。俺たちには俺たちにしかない苦労もあれば、貴族や皇族として辛いこともある。
物事の一側面だけを見て、それがすべてだと決めつけられても、俺には認めることはできない。俺にしてみれば気儘に生きることのできる、自分の未来も自分で切り開ける民たちが、余程羨ましいものさ。
自由で自分でなんでも決めていくことができて、いやなものはいやだと言える権利があって。確かに夢を叶えるために苦労はするだろうが、それでも俺には羨ましいよ。誰でもいいから代わってほしい心境だ」
苦笑いしながら、さらりと口に出すリュシオンに、リュースはなにも言えず、小さく肩を竦めてみせた。
確かに支配階級の者には、それなりの苦労がある。
一般とかなり意味は違うが、時にはその重責が重くなり投げ出したくなるときがあるのだ。
束縛が多すぎて、自由がほとんどない。
リュースにしても、普通の親子だったら、もっと親子らしい暮らしができただろうかと憧れたことは何度もあった。
神帝として頂点に立っているリュシオンは、普通なら考えられないほど多忙な毎日を送っている。
物心つく前からすっとそうで、リュースは親子らしい触れ合いという、普通の経験がほとんどなかった。
周りの子供たちが両親と過ごす様子や、楽しげな笑顔を見るたびに、何度も憧れた。
神帝と世継ぎの皇子として生まれなかったら、父と子としてもっと普通に暮らせたのではないか、と。
贅沢かもしれない。
両親と触れ合う時間の少ない子供など、そう珍しくはないだろう。そのうえに更に金銭面でも恵まれていない子供だっているだろう。
なのに皇族に生まれ、何不目由ない暮らしを送れるリュースが、そういう望みを持つなんて贅沢だと責められるかもしれない。
でも、どんなに責められても贅沢だと、貴族の我儘だと言われても、そういう寂しさを感じてしまう境遇なのは事実だった。
何事も良い面ばかりでは成り立たない。
誰も視界に入れない事実だとしても。
「貴族だから無責任だと言ってくる気持ちが、理解できないわけじゃない。それでも羨むばかりでは堂々巡りだ。一歩も前に進めないまま立ち止まるしかない。なら、その悔しさをバネにしてでも、夢を叶えればいいんだ。俺が彼女に言いたかったのは、そんなことだよ。直接口にしたら、すいぶん驚いていたようだが」
「え?」
意外な料白を聞いた気がして、リュースが固まってしまった。
じっと父親の端正な顔を覗き込み、ややあって大きく瞳を見開いた。
「まさかその娘、親父が神帝だってわかっていなかったなんていうんじゃ」
「ああ。どうもそうらしいな。いきなり掴みかかってきたから、俺もかなり驚いた。どうやら一番若く見えたらしくて、言いやすかったらしいんだ。いくらなんでもわかっていたら言えないと思うぞ、俺も」
複雑な口調には神帝に対する尊敬の念の強さを、彼が知め尽くしている感じがあった。
リュースもさもありなんと何度も頷いてしまった。
確かに神帝に向かって抗議を口にできる者など、どんなに無謀でもいるわけがない。
それほど神帝の権力が浸透しているのだ。
普通なら自殺行為であり、口に出す前に萎縮して、なにも言えなくなるのが関の山だ。
「後から集めた情報によると、あの少女は売春を続けるために使用していた葉のせいで、どうも眼が悪かったらしいですね」
「「え」」
これにはリュシオンまでが驚いて、背後の秘書官を振り向いた。
「朧げに見えるらしいのですが、色の区別はできないのだとか。あの後で卒倒したそうですよ。自分が抗議した相手が神帝陛下ご本人だったと知って」
「気の毒に、と言うべきなのかなあ?」
さすがに複雑な気分を捨てられない。
なにやら悩みたくなるリュースの言い方に、リュシオンは不本意そうな眼で睨む。
呑気でで太平楽な皇子には、全く意に解する気配はなかったが。
「矛盾しない正義はない、か」
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