第8話



 初代神帝、後に祖王の名で知られる皇家の始祖の嫡男の名をエル・ディオンという。


 彼は父親の死後に帝位を継ぎ2代神帝を名乗った。


 歴史に名高い苛烈王の誕生である。


 烈火の気性で苛烈王との異名をとった少年王は、父王に勝るとも劣らない名君として名を馳せた。


 そうして苛烈王の嫡子として生まれたのが、後の3代神帝レヴィンである。


 彼は父親の予言に則ってひとつの掟を定める。


『遥かなる未来にひとりの聖女が生まれる。伴侶に覇権を与える聖なる乙女、その名を聖稀という。我が父の予言は揺るぎなき真理である。ここに聖稀の乙女に関する幾つかの掟を定める』


 まず第一に聖稀の乙女が成人するまでは、異性との関わりを一切禁じる。


 時の神帝と言えども例外はない。俗世に染まり穢れることを防ぐために隔離しての養育を決定する。


 然るべき時がきて聖稀の女神が相応しき伴侶を選べるその日まで、彼の乙女の幸福と守護を祈って。


 これは悠久の時の流れの向こうで、3代神帝レヴィンの定めた聖稀の乙女に関する決定事項である。


 その当時では生まれるかどうかも定かでなかった聖域の乙女。


 しかし3代神帝の確言は決定事項として後の神帝たちに受け継がれ、やがて7代神帝の御世になる。


 そうしてリュシオンが帝位を継ぐのと、時を同じくして聖域の乙女は生まれた。


 2代神帝エル・ディオンの予言を裏付けるように。


 そこに幾つかの謎が隠されていたことを知る者はいない。


 エル・ディオンの予言が実は確かな事実に裏付けされたものであるということも。


 苛烈王が残したのは実は予言ではなく確言なのだ。


 遙かなる未来に、いつか現実になると知っていて予言という形を借り、未来を歪めないために言い残した事実であった。


 だが、七代神帝の御世にそのことを知るものはいない。


 予言を裏付けるように7代神帝と聖稀の乙女は運命的な出逢いを果たす。


 それが悲劇の幕開けであると、このときふたりには知る葦もなかった。





 7代神帝、リュシオンは6代神帝の世継ぎの皇子として生を受けた。


 彼の上には母親の違う姉がふたりいる。


 リュシオンの生母は6代神帝の正妃であり、ふたりの姉の生母は、第2妃なのだ。


 歴代の神帝は典型的な一夫多妻制であり、3人の妃を持つことを許されている。


 これは妃を意味する伴侶の数であり、妾妃になると制限はなかった。


 正妃が主を務める後宮に住む女人の多くが、そういった役割を兼ねることは有名だ。


 神帝は不老長寿であり妃を娶ることに、なんの不都合もない。


 肉体的には問題がないので、皇家の繁栄のためにも、そういったことを奨励する臣下も多かった。


 しかし歴史を振り返っても、第3妃を迎えた神帝の数はいない。


 5代神帝、ジュリアスと6代神帝、セラヴィンのふたりだけが第2妃を迎えている。


 残りの5人の神帝は(もちろん当代の神帝、リュシオンも含む)生涯、ひとりの女性を愛し抜いた。


 絶対伴侶(魂で結ばれた生まれながらの伴侶)の伝説を持つ皇族たちは、その多くが純愛主義を地でいくタイプなのだ。


 但し他の神帝については知らないが、リュシオンは正妃を異性として愛したことはない。


 何故なら彼が正妃と対面したのは婚礼の当日なのだ。


 このときまで彼は婚約者の顔も名前も知らされていなかった。


 世継ぎには誕生と同時に婚約を果たす義務があり、その相手は父親である神帝が選出する。


 セラヴィンも例外ではなく、彼の正妃は生まれたときに定められた義務的な婚約者だ。


 つまりセラヴィン自身が望んだ妃は正妃ではなく第2妃なのである。


 同じことは彼の父親であるジュリアスにも言えて、


彼もまた義務的な婚約者と婚礼を挙げた後に真実愛した姫君を第2妃に迎えた。


 この制度を「絶対婚約制度」という。


 これは当人にも解消不可能な絶対的な効力を持つ。


 つまりこの婚約に当人の意思は関係しないのだ。


「絶対婚約制度」を定めたのは実は4代神帝エドワードである。


 彼自身も婚約者と結ばれているが、どういうわけか彼には第2妃を迎えたという記録はない。


 リュシオンはこの「絶対婚約制度」を即位と同時に廃止した。


 そのため、彼の世継ぎの君、セインリュース皇子には生まれながらの婚約者は存在しない。


 4代神帝の御世から受け継がれてきた慣例を、リュシオンが覆すと宣言したとき、臣下たちはだれひとり反対しなかった。


 いや。


 できなかったのだ。


 それは臣下たちの背負う負い目であり、また贖罪であった。


 そうして時は流れ流れて、世継ぎの君は健やかに成長し、聖稀の姫君も順調に成長していった。


 絶世の美を誇ると言われる、聖域の女神。


 エディスターシャは驚くほど美しく成長していた。





「皇族は普通の方法では死ねないというけれど、本当かしら?」


 まだあどけなさを残す少女が、憂い顔でそう漏らす。


 中途半端に伸びた黄金色の髪が、彼女がまだ幼い少女であることを教えていた。


 湖の辺りに座り込んでぼんやりと呟く姿に、年齢に似合わぬ孤独と絶望がある。


 しかし憂いを秘めた表情を浮かべていても、眼を惹く美貌をもっていた。


 もうすこし成長すれば大層な美女になることが、約束された外見。


 太陽を弾く黄金色の髪も見事だが、湖よりも深い蒼い瞳は、もっと印象的だった。


 最高級のドレスに身を包み、意識せずにみせる気品が、身分の高い少女だと主張している。


 抑えても抑えきれない育ちの良さが全身が滲み出ている。


 惜しむらくは健康的な少女にはとても見えない細すぎる肢体だろうか。


 華奢と形容するのも憚れるような、とても繊細で頼りない肢体の持ち主だ。


 年齢は12、3といったところだろうか。


 だが、浮かべている表情だけを見ると、もっと年上に見える。


 それほど外見に似合わない表情をしていた。


 片手に細い短剣を握っている。


 どんなに硬い鉱物も斬れると言われた逸品だ。


 繊細な細工の施されたこれも極上の品だった。


 張り詰めた表情で湖を覗き込む少女をすこし離れたところから見守る影があった。


 こちらも少女と同じ黄金色の髪と同じ色の瞳をしている。


 一見すれば親戚かと疑うような、よく似た容姿の持ち主だった。


 面差しに似たところはない。


 髪と瞳の色が同じだというだけで。


 顔立ちには似通ったところさえなかった。


 だが、似ているのだ。


 身に纏う雰囲気のようなものが。


 不安そうに少女を見守っているのは、彼女より5つは年上に見える少年だ。


 まだ16、7といったところだろうか。


 伸び盛りといった印象の若々しい少年らしさを持つ美少年である。


 これといった装飾品は身に付けていないのだが、とにかく目立つ。


 生来の華のようなものが彼を際立たせていた。


 少女は見られていることに気付いていない。


 ここは神帝が居を構える王宮近くの聖域の森である。


 この森に人の姿があることの方が異例の事態であり、少女は第三者の姿があると想像もしてなかった。


(なにを……するつもりなんだ?)


 息を殺して少年は思う。


 あまりに張り詰めた雰囲気を纏う少女に当惑して。


 普通なら視界に映らないだろう小さな短剣に彼は気付いていた。


 光を弾く鋭い煌めきは、短剣の刃が放つものだとわかっていたのだ。


 不安に息を殺し見守る彼の目の前で、少女が緩慢な動作で短剣を目の前に掲げた。


 聞き取れるはずのない囁きを、このとき彼は耳にした。


「斬れるかしら? これで」


 なにを? と思う暇もなかった。


 彼女は一瞬の動作で手にした短剣で手首をかっ切った。


 ギクリと青ざめたことを意識すらしない瞬間。


 流れるはずの赤い血は少女の傷ひとつない手首から流れなかった。


 当然だ。


 皇族の肉体は普通の刃では傷ひとつ付けられない。


 傷付けられるのは同じ皇族の血を引く者の力だけなのだから。


 それでも動けなかった。


 彼女の意図が読めなくて。


「やっぱりできないのね」


 ため息のように呟いて、彼女は短剣を地面に置いた。


 隠しきれない落胆を全身で示して。


 傷ひとつない手首を眺めて深いため息。


 今度は懐からなにかを取り出すのが見えた。


(……小瓶?)


 遠目ではっきりとは見えないが、飲み薬に使用される小瓶によく似ていた。


「普通の毒薬も効かないのかしらね、やっぱり」


 ため息混じりの声にギクッとしたときには、彼女は躊躇いさえせずに毒を煽っていた。


 動けなかった自分を責める暇さえない。


「無味無臭ね。本当にこれ、毒薬なの?」


 ポツリとそう言って少女が小瓶を利き腕の左で湖に投げた。


 後の処理を湖の精霊に委ねるように。


 投げ込まれた穢れを水の精霊が受け止めた。


 人の形を自らなして。


『姫様』


「適当に処理してちょうだい」


『このような穢れを湖に投げ込まれては困ります。水が汚れてしまいますわ』


 本当に言いたいことは他にあると言いたげな口調だったが、美しい水色の精霊はそう文句を溢す。


 精霊に姫と呼ばれた少女は小さく口許だけで笑った。


「いつもいらない世話を焼くのですもの。そのくらいの事後処理はやってほしいわ」


『……』


「何度言えばわかってくれるの? 身を投げたときに助けないで。すこし見てみぬフリをしてくれればそれでいいのよ。どうして助けるの?」


 理不尽なことを少女は平然と口にする。


 手首を斬ったり毒を煽る以外にも、少女は自殺の方法を試したことがある。


 当然だが入水だってやったのだ。


 水に飛び込むと大抵水の精霊が助ける。


 高いところから投身自殺を図れば、空の子供たちが空中で受け止める。


 そういった方法は精霊に邪魔されて成功したことがなかった。


 精霊たちが助けなくても、それで死ねるという保証はなかったが。


『私たちには姫様を見殺しにすることはできません。姫様は生きなければ。彼の君と出逢うまでは』


「必要ないわっ!! 聖稀の枷がなんだというのっ!? 覇王の君なんて神帝がいればそれでいいじゃないっ!! 神帝以外の覇王を今の世が必要としているとでもいうのっ」


 感情のままに叩き付けられた言葉に精霊ではなく、背後の少年がハッとして息を飲んだ。


 震えそうになる唇を噛む。


 それでも握り締めた拳の震えは止まらない。


「聖稀になりたくて産まれたわけじゃないわ!! わたしが望んだ運命ではないのよっ!!

 だれかに望まれたように生きる。それだけの生ならいらないわ。

 それが生きるということなら、わたしは生きていきたいとは思わない。死なせてほしいのよ。なのに何故邪魔をするの?」


 言いたいことの半分も口に出せない。


 けれど胸に詰まっていた気持ちは吐き出していた。


 両手で顔を覆って泣き崩れる少女に責められて、水の精霊はすこし戸惑ったように沈黙する。


 その視線が当然の如く彼女の背後から見守る少年に向けられた。


 驚きに見開かれる蒼い瞳に口許だけで笑い、精霊は小さく会釈する。


 その仕種だけで彼女のことを頼むと。


 泣き崩れる少女の未来を同じ瞳を持つ少年に委ねて、そうして精霊の姿は消えた。


 ただ一言消え去る前に姫と呼んだ美少女に声を投げて。


『それでもあなたは生きなければいけないのです、姫様』


「わたしが生きていたくないと言っているのに?」


 自嘲に唇を歪めた問いに精霊は微塵の迷いもなく頷いた。


『あなたが生きてそこにいる。ただそれだけのことを望んでいる方がいるから。あなたはその方のために生きなければ。姫様の未来に待つ覇王の君の御為に』


 それだけが精霊からの答えだった。


 ふっと精霊の姿が消え、残されたのは妙に白々とした沈黙。


 少女は胸の内で精霊の言の葉を繰り返し、やがて深いため息をつく。


 聖稀という称号に課された枷に身動きもできない現実を噛み締めて。


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