第9話



 それが彼女の現状を知った1番始めの想い出だった。


 愛した伴侶に覇王の称号を与える聖女、聖稀。


 その枷故に誕生する以前から、隔離されることが決定していた聖なる乙女。


 身近にいるのは生母や仕えてくれる侍女たちだけ。


 親しい友人もなく知人さえいない。


 異性とは知り合うことさえ禁じられた窮屈な毎日。


 どれほどの絶望を与えるか知っているつもりだった。


 それでも動かせない現実というものがある。


 神帝という最高権力を持っていても覆せない現実はあるのだ。


 己の姪姫にどれほどの苦しみを与えるか知っていて、それでも命を下さなければならない。


 それが神帝だ。


 本心ではなくても命じなくてはならない。


 神帝なんてそれだけの意味しかなかった。


 不老長寿のカミュレーン皇家。


 老いるということを知らぬ肉体。


 永すぎる生命。


 でも、彼女は不老不死だ。


 現神帝であるリュシオン。


 つまり自分自身が歴代で初めての不老不死だった。


 当然のように世継ぎの君も不老不死として産まれている。


 姉姫の娘である彼女にも可能性はあったのだ。


 皇家の始祖である祖王が元来不老不死だったのだから。


 カミュレーン皇家の異端的な特徴は、すべて祖王が不老不死だったという現実に端を発している。


 先祖返りしたのだと人々は言う。


 だが、老いることのない肉体が、死というものすら受け入れないなら、虚弱なままならない。


 どれほど不老不死でありながら、生来の虚弱体質だ。


 生まれつき健康というものに縁がない。


 それだけでも生きることを放棄したくなるほど辛いだろうに、彼女は聖稀として隔離されて暮らしている。


 いや。


 孤独に暮らすことを強いられているのだ。


 歴史が彼女に課した枷。


 死を望むほど嘆いてもだれに叱ることができるだろう?


 ましてや元凶を招いた神帝を叔父を恨んだとしても、抗議する権利はない。


 わかっていた。


 彼女の嘆きを知る前から恨まれていることは。


 なのに彼女の唇から迸る神帝という名に込められた恨みに胸を貫かれた。


 嫌われている現実を突きつけられて、呼吸すら満足にできない。


 焦げるような痛みに身を焼いた刹那に精霊がリュシオンを見たのだ。


 まるで彼女を頼むと無言で訴えるように。


 どうして頷けよう?


 彼女が苦しませているのも、またリュシオンだというのに。


 まして彼女が主張するように聖稀が愛し選ぶ覇王神帝が同一人物だという保証はない。


 今の世に覇王はふたりいらない。


 祖王が頑強に作り上げた現実は揺らがないのだから。


 だから、現実的な意味合いの覇王なら神帝がいれば十分だ。


 聖稀の予言が正しければ、彼女が選ぶ覇王が現実の覇王である必要はない。


 身分や姿形ではない。


 選ぶのは心なのだから。


「カミュレーンの系譜」はひとつの英雄譚から始まる。


 世界が混沌とした戦乱の直中にあった古代。


 ひとりの少年が奇跡的な手腕で、世界を掌中に治め覇王となる、神話に近い英雄物語だ。


 世界最古の覇王。


 その名を神帝という。


 現人神というよりも生き神、いや、正真正銘の神だったのかもしれない。


 なにしろ彼は元々は不老不死であり、不死の寿命を手放した後も、悠久の時を神帝として生きたのだから。


 信仰ともいうべき人々の支持を証明するように、最期の瞬間まで彼は若々しい少年の姿であったという。


 今は個人名すら残っていない。


 かつての英雄は祖王という名に、ただその名残を残すのみ。


 しかしかの英雄王の末裔は実在する。


 末裔といっても民衆の感覚でいえばの話で、皇族として答えるなら、先祖というほど前の話でもない。


 歴史的な意味合いで言えば、祖王が治めた時代が古代となり、現代は中世の全盛期となる。


 リュシオンが崩御することがなかったとして、いつしか時が流れ即位から、それほど時が経っていない現在のことを書記が書き記すとき、おそらくそう書かれるはずだった。


 祖王の時代は神話の時代、あるいは古代と呼ばれる時代で、リュシオンが神帝となって治世を始めた現在は、文化的な意味合いで中世を意味するのだから。


 民衆の世代交代はすでに祖王の英雄物語を、ひとつの神話として捉えている。


 しかし現神帝にとっては、すこし前のご先祖の話に過ぎない。


 何故なら初代神帝(祖王)から数えて7代目の神帝なのだから。


 人間の感覚でいうなら7代目の王なら王国としては若い方だ。


 新興国と言っても間違っていないだろう。


 だが、同時期に祖王に建国を許された唯一の国、リーン王国では49人の王が実在している。


 現リーン国王の名をウィルフリートといい、彼が49代目の国王なのだ。


 リーン王国の初代国王、レオンハルトは祖王との覇権争いに敗れ、その温情によって建国を許された。


 その由来のためか、リーン王国は現在まで徹底した鎖国を行い、帝国(これは王国側の呼び名であり、蔑称の意も込められている)の人間を受け入れない。


 従って皇家の血が、分家や他の貴族から広がっていくことで、長寿化の恩恵が民にまで行き渡った本土とは、根本的な寿命の長さが違う。


 リーン国民は短命の種族なのである。


 そういった事情があるにせよ、同じ歴史の長さを誇っていても、世代交代にそれほどの差が出るのだ。


 皇族にとっては神話と思えるほど過去の話ではなかった。


 ひとりひとりの神帝の在位が、それほど長いのだ。


 現神帝、リュシオンにとっても、祖王のことはごく近い先祖といった意識が強い。


 なにしろリュシオンの祖父が5代神帝であり、曾祖父は4代神帝だ。


 この場合、逆の立場でいうと祖王にとって、4代神帝は曾孫に当たる。


 これで神話の時代の先祖だと思えといわれても、正直にいえば無理だった。


 敬えと言われても現実味がありすぎて、全然英雄だと思えない。


 時代背景でいえば、初代と7代ではかなり違う。


 蛮勇な時代とも言われた初代と、お洒落な人々が贅をこらす現在とでは、世界の様子が違うのだ。


 例えば初代の頃に流行ったお酒といえば、原始的な表酒、つまりビールが主流だった。


 上品な蒸留酒が製造されはじめたのは、4代神帝の御世である。


 創世の頃の製造酒の方法というのも残っていて、今でも造ろうと思えば可能だ。


 現実に古代のお酒を飲みたいと試した学者もいる。


 リュシオンは飲んだことはないが、味見をしたものの話によると、かなり苦みがきつくて癖のある味だという話だった。


 飲みやすくまろやかな蒸留酒が主流の現代とは、ずいぶん違うらしい。


 面白いことにそれぞれの神帝が治める時代には、その神帝特有の文化が生じている。


 例えば戦乱の時代を抜けて、古代の直中にあった2代神帝エル・ディオンの御世に1番流行ったのは賭博場である。


 盛大に流行ったわけではないが、ようやく日々の暮らしに楽しみを見出だせるようになった人々が選んだ娯楽がそれだったということだ。


 3代神帝レヴィンの御世になると今度は急激に観劇など、そういった文化的なものが流行り出す。


 歴史に名を残す小説家や俳優など、そういった芸術に秀でた者を多く輩出したのもこの時代である。


 4代神帝エドワードはさっきも記したように、1番大きな変化は蒸留酒の登場であった。


 そして5代、6代と時代は流れていき、リュシオンの父セラヴィンの時代になると、後にリュシオンの御世に全盛期を迎えるオープンカフェの先走りのようなものが流行った。


 その時代、時代を投影するような流行の動き。


 初代の頃は特に他の時代との落差も大きく風紀もかなり乱れていて、あまり想像したくはないが、寝台の相手に男女の区別がなかったとも聞く。


 戦乱が長かった時代の話である。


 さすがに戦場に女人を同行することは、当時から禁忌とされていたらしく、結果としてそういった傾向のものが増えたと、史実にはあった。


 現代でもそういった性嗜好のものがいないとは思わない。


 古代ほど堂々と言えないだけで、そういった嗜好のものもいるのだろう。


 この点に関してだけは、リュシオンは寛容になれない。


 恋愛は自由だとは思うが、自分に関与するとなれば問題は別である。


 風紀の乱れといっても限界はある。


 この話を聞くたびに生まれたのが現代でよかったと胸をなで下ろしたものだった。


 なにしろリュシオンや世継ぎのセインリュースの外見といえば、そういった性嗜好のものにとって理想的だというのだ。


 女性的でも中性的でもないが、決して男性的でもない美貌。


 同性としては華奢な部類に属する細身の肢体。


 平凡な女性が裸足で逃げ出す、などと形容されたこともある。


 これらは皇族ならだれでも持つ特徴なのだが、リュシオンや世継ぎの君は、特にその傾向が強かった。


 珍しい黄金の髪と神格の瞳と呼ばれた空よりも蒼い瞳。


 これだけ揃うと格好の的なのだそうだ。


「本当にあなたや皇子は生まれたのが現代でよかったと思いますよ、陛下。祖王さまの時代なら、どんな事態になっていたか不明ですから」


 笑いを含んでそう言ったのは、秘書官であり幼なじみでもあるジェノールだった。


 実際に祖王もこんな外見だったらしいが、彼はどうだったのだろう?


 知人がどういった性嗜好を持とうと当人の自由だと思う。


 恋愛対象が同性であろうと、当人同士が納得しているなら、別に差別しようとも思わない。


 だが、それが自分に絡んでくるとなれば話は別だ。


 好きでこんな外見に生まれたわけではないのだから。


 性嗜好に関して全く正常なリュシオンは、何度もそう思ったものだった。


 すけし前の先祖といった感覚でも、年代的に見れば、これほどの落差がある。


 直系の子孫であるリュシオンにとって、祖王はごく近い先祖だが、その圧倒的な存在感は現在も健在だ。


 神話の英雄扱い(つまり実在が危ぶまれるほど現実味のない話)であっても、祖王の影響力というものは消えていない。


 苛烈王と呼ばれた祖王の世継ぎの君にして、後の2代神帝エル・ディオン第一皇子。


 祖王の御名は残っていないが、彼の子供の代になると、かなり詳しく残っていて祖王には3人の子供がいたとある。


 後の2代神帝エル・ディオン皇子は祖王の第一子だったという。


 苛烈王と呼ばれるほど気性の荒い豪傑な神帝だったとある。


 2代神帝の時代に起きたリーン王国との二度目の開戦。


 後に「ディオンの戦」と呼ばれた史実で最も有名な戦争だ。


 祖王の名残が強い時代の最後の古代の戦争である。


 そして時は移りディオン神帝の息子が帝位を継ぎ、カミュレーン皇家は現在へと続いている。


 聖稀の予言もまた祖王の英雄物語を集めた書物の中にあった。


 これは当時すでに聖稀の誕生を確信していたらしい。


 事細かにその教育方針を決めて後世に伝えていった。


 皇家の家訓のように。


 そうして彼女は生まれた。


 7代神帝リュシオンの御世に。


 リュシオンの姪として。


 すべて祖王の存在があってこそ起きた事態だ。


 祖王に由来する皇家の家訓なら、当代の神帝と言えど変更はできない。


 恨まれることを知っていて覚悟を決めたはずだった。


 彼女の養育方針を認め、臣下に命じたときに。


 今現実に彼女はリュシオンを嫌っている。


 鳥籠に閉じ込めた神帝として。


 身内だとも思っていない。


 そんな口調で非難して。


 それでもリュシオンに委ねるというのだろうか?


 彼女がこの世で1番許せない相手。


 彼女が恨んでいる神帝たるこの自分に。






「自分で自分を傷付けてなにかいいことでもあるのか?」





 確か彼女に投げた第一声は、そんな言葉だったと思う。


 あれから何度も様子を覗きに行ったが、その度に彼女は……エディスターシャは、様々な方法で自殺を試した。


 考え付くありとあらゆる方法で死のうとして。


 不老長寿の皇族にのみ効力を発揮する、皇家の秘薬が彼女の手元に渡らないかぎり、心配する必要はない。


 よくわかっているつもりだった。


 彼女が秘薬の存在を知っているはずもないのだから、そんなに心配しなくてもいいのだと。


 だが、何度失敗しても自決を繰り返す彼女を見ていると我慢できなくなった。


 黙って見守っていることが。


 秘薬の管理は現在ではリュシオンが行っている。


 万が一にもエディスの手元に渡る心配はない。


 わかっていても自分で自分を傷付ける少女を見ていられなかった。


 気が付けばよく手入れされた短剣で喉を突こうとした彼女に、そんな言葉を投げていた。


 女性ではあり得ない低い異性の声を初めて耳にしたからか、それとも第3者の存在に驚いたのか。


 エディスは蒼白になって振り向いた。


 背後に立つリュシオンを。


「自虐的なことを繰り返して、なにか良いことでもあるのか? そうやって自分で自分を傷付けて、一体なにが変わるんだ?」


 睨んだつもりはなかった。


 ただ死のうとするエディスに我慢ならなかっただけで。


 後にエディスはよくこう言った。


 二度目に再会したときのリュシオンについて。


「真上からとても怖いお顔で睨むのですもの。とても怖かったわ。兄様が決まり事を破って傍にいる。そんな簡単なことに気付かないほど」


 つまり知り合うことすら禁じられた異性だと、気付く余裕もないほど怖かったらしいのだ。


 怒りに身を任せて彼女を責めたリュシオンが。


 そんなに怯えさせているなんて自覚もなかったから、言った後で腕付くで短剣を取り上げることまでした。


 押し殺した悲鳴に気付かなかったのは、リュシオン最大の不覚だった。


 自分の行動が見えていない辺り自覚はなかったが、どうやら本心からキレて怒っていたらしい。


 そう気付いたのは出逢い親しくなって何年も経ってからだったが。


 出逢ったばかりの頃はよく怯えていた少女が、すこしずつ笑うようになり、ワガママを言ってくれるようになる。


 ただそれだけの変化でも、エディスは信じられないほど明るくなった。


 名乗らず身分も明かさないリュシオンの来訪を無邪気に待ち望んでくれる。


 しかしどんなに親しくなっても、エディスを追い詰めた理由まではわからなかった。


 彼女は絶対に教えてくれなかったので。


 穏やかな時が流れ、ひとりの少女が大人になっていく。


 姿形ではなくその心が。


 気付かずにいた。


 彼女の成長に。


 傍らで美しくなっていく少女の気持ちに。

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