第10話





 祖王の聖誕祭は言ってみれば神帝という覇王の誕生そのものを祝う伝統的なお祭りだ。


 伝説では祖王の誕生日は不明となっているが、古い文献に誕生月について記されたものもある。


 ほとんど書物というより粘土版に近いものだったが。


 古い神聖文字で初代神帝の誕生月は瑠璃月だと記されていた。


 当時と現代とでは多少暦の読み方も違うし、一月の日数も違う。


 従ってこの瑠璃月というのは、後に粘土版を発見した学者が解読したものだ。


 当時の様子や暦の読み方、日数の数え方などを計算し、祖王の聖誕祭が描かれた季節を瑠璃月だと断定したのである。


 そう。


 粘土版に記されていたのは正確な日時や、祖王の誕生を意味する日付ではなく、神帝の聖誕祭の模様だったのだ。


 どんな意味のお祭りだったのか、それがどのくらいの規模で、どんな様子だったのか、そういった簡潔な内容だったが。


 当時盛大な勢力を誇っていた初代神帝である。


 その聖誕祭の様子はとても華々しく、王都全域をパレードしたとあった。


 仰々しく仕立てた天馬の馬車に乗り、民衆に手を振る祖王の様子がイキイキと描かれていた。


 まさしく英雄扱いである。


 全戦全勝を続けていた英雄王だ。


 まるで凱旋式にも似た様子にリュシオンは呆れとも感嘆ともつかない気分を味わった。


 どんな戦争に勝利しても祖王は凱旋式は行わなかったと聞く。


 民衆にしてみれば、このときを逃せば華やかな彼の姿を目にする機会はなかったのだろう。


 そのせいで賑やかな聖誕祭になったのだ。


 凱旋式をやりたがらなかった祖王の気持ちはわからない。


 傲り高ぶった気持ちではなく、戦争の持つ意味を正確に掴んでいたから嫌がったのかも知らない。


 後者ならリュシオンも同意できる理由だが。


 どんな正当な理由付けをしても、戦争は公的な人殺しである。


 勝ち戦だとしても褒められた行為ではない。


 人殺しの功績を褒められても、リュシオンなら喜ばない。


 だが、祖王の気持ちは現在では推測しかできない。


 どんな気持ちで凱旋式をしなかったのか、それも想像でしか判断できないのだ。


 それよりも切実な問題は伝統的に伝わってきた祖王の聖誕祭の方だった。


 2代神帝の頃はーーーつまり祖王の第一皇子だったディオン神帝の頃ーーー亡き父親を偲ぶ比較的質素な聖誕祭だったという。


 しかし時の流れと共に神帝の即位を祝う祭りへと変じ、現在ではかつての英雄王を褒め称える単なるばか騒ぎと転じている。


 形容は悪いかもしれないが、リュシオンにはそう思えてならない。


 なにしろ3代神帝の頃から、英雄王の行進をそのままに再現するという、なんとも馬鹿馬鹿しい方法が取られているのだから。


 これは伝統的なお祭りだから、、リュシオンにも変更不可である。


 それでも6代神帝ーーーつまりリュシオンにとっては父親の代を意味するーーーの頃まではよかったのだ。


 祖王の行進を再現すると言っても、祖王役をやれる人材はなく、毎年行われる行事のひとつである騎士団の勝ち抜き戦の優勝者にその栄誉が与えられていた。


 現役の神帝には他にやることが多すぎて、祖王の役をやって行進するなど不可能だったので。


 ところがリュシオンが生まれてから、多少事情が変わってしまった。


 まさに嵌まり役なのだ。


 生まれつき黄金色の髪と蒼い瞳を持つ、祖王譲りの外見をしたリュシオンは。


 小さな頃は引っ張り出されずに済んでいたが、外見的な特徴がはっきりしてくると、祖王の聖誕祭で主役を務めるようになった。


 そう。


 ばか騒ぎの頂点とも言える行進で、祖王役を押し付けられるようになったのだ。


 こればかりは何度嫌がっても、周囲が期待しているので、毎年の災難を避けることができずにいた。


 徹底的に抵抗しても根本的にリュシオンはお人好しなのである。


 土壇場まできて人々の落胆した様子を見せられると大抵うやむやなままに引き受けてしまっていた。


 皇子時代から祖王の聖誕祭の目玉と言えば、初代神帝に扮したリュシオンの行進である。


 これは当人がどんなに嫌がっていても、確実に1年に一度はやってくる天災のような行事だった。


 これまでは他に適任がいなくて、リュシオンも不承不承引き受けてきたのだが、今年は違うことを企んでいた。


 これはエディスの誕生日のある蒼月の出来事である。


 このときのリュシオンの発言により、祖王の聖誕祭にある種の事情が生じて、開催時期まで引き伸ばされることになるのだが、それはまあまだ先の話である。


 エディスの誕生日プレゼントのことで悩みつつ、リュシオンは控えている秘書官に淡々とした声を投げた。


「例のばか騒ぎのことなんだが」


 執務室で頬杖をついたリュシオンが、いきなりそんなふうに切り出して、秘書官は呆れた顔を向けた。


 この時期にリュシオンが「ばか騒ぎ」と例えるのはひとつしかない。


 内心の苦笑を封じて呆れてみせる秘書官に、リュシオンはすこし不機嫌そうな顔になる。


「今年は祖王役はやらないぞ、俺は」


「……」


 また始まったとでも言いたげに秘書官が苦虫を噛み潰したような顔をする。


 今にもお小言が始まりそうで、リュシオンは慌てて言を継いだ。


「別に例年通り俺が務めなくても、祖王がやれる人材は俺ひとりじゃないだろう」


「……陛下」


 真意を図りかねたような親友の声にリュシオンは人の悪い笑みを返した。


「俺が祖王の役なんてやらなくても、別に不都合はない。そうだろう? 世継ぎのセインリュースだって同じ外見をしてるんだ。あいつが祖王を演じても構わないはずだ」


 息子に災難を押し付けようとする魂胆が見えて束の間秘書官は口を噤む。


 呆れてますと顔に書いた親友にリュシオンは些かの気まずさから顔を背けた。


「俺は十分嫌な役目を務めてきたつもりだ。皆が期待してから、どんなに嫌だと思っていても辞退せずにきた。もうそろそろリュースに譲ってもいいだろう? あいつならそういう華やかなことも似合うだろうし」


 確かに夏の太陽を思わせる陽気な皇子である。


 そこにいるだけで賑やかで明るいリュースなら、さぞ映えるだろうと思う。


 しかし別段リュシオンが似合っていないわけでもないのだ。


 リュースなら快活で活動的な英雄王を演じるだろうが、リュシオンは威風堂々とした風格溢れる英雄王を演じる。


 どちらが実像に近いかは知らないが、別にリュシオンに似合っていないわけでもなかった。


 自分を知らないにも程がある。


 呆れて声も出せない親友の胸の内に気付かないリュシオンではないはずだが、彼は気まずい顔もそのままに言を継いだ。


「それでなくても瑠璃月は忙しいんだ。リュースは自分の聖誕祭が終われば、取り敢えず解放されるが、俺の方は来月の半ばまで多忙なんだ。できれば祖王の役は降りたい。去年まではリュースがまだ幼いこともあって黙認してきたが、そろそろ任せても大丈夫だろうし」


 確かにリュシオンの主張にも一理ある。


 リュシオンは元々息子のリュースと比較しても、体力的な消耗が激しい。


 おそらく原因は幼少時危篤状態に陥ったせいなのだろうが、息子より体力がないのは事実だった。


 殺人的なスケジュールの瑠璃月に、祖王役をリュースに任せるだけでも、ずいぶん楽になるはずだった。


 但し客観的に判断すれば可能だという例えに過ぎない。


「しかし陛下。祖王さまの聖誕祭の行進を楽しみにしている民の気持ちはどうされるおつもりですか? 陛下が直々にお姿をお見せになる数少ない公式行事なのですよ? 急にそのようなことを取り決めても民が納得するかどうか」


 リュシオン教とでも名付けたくなるような、熱狂的な支持を集める神帝である。


 民の人気は凄まじいほどで、リュシオンの悪口を言っただけで喧嘩沙汰が起きるほどだ。


 皇子時代からの公式行事を急に取り止めれば間違いなく騒ぎになる。


「だからこそ俺はリュースに任せたいんだ」


「陛下?」


「別に皆が支持してくれることに不満があるわけではない。迷惑だと思っているわけでもな。だが、そろそろ世継ぎを全面に押し出してもいい頃合いだ。

 今のままではリュースの実像が民に伝わらない。祖王の聖誕祭は良い機会だと思う。リュースにもそろそろ外を教えてもいい時期だ。祖王役をやって民を納得させるのも、あいつにとって適当な試練だと思う」


 真面目な顔で切り出され、秘書官は難しい顔で黙り込んだ。


 リュシオンは良い意味でも悪い意味でも、民への影響力が大きい。


 こんな形容は不敬罪だがリュシオンの実の父親でさえ、彼の影に呑まれてしまったのだ。


 6代神帝セラヴィンは歴代で1番影の薄い神帝である。


 リュシオンの影響力が大きすぎて、ジェノールですら彼のことははっきりとは知らない。


 このままリュースを過保護に育てれば、父親の二の舞になる可能性はあった。


 セインリュースは絶対に父親の複製で終わるような少年ではないが、それも直接外に出て民と触れ合わなければ意味がない。


 このままでは父親の影に隠れて、リュースがどんな皇子なのか。


 そんな簡単な事実さえ民衆には伝わらないのだから。


 祖王役で民の前に登場して納得させることができれば、今はリュシオンの影に隠れて、ほとんど注目されないリュースにも民の目は向くだろう。


 リュシオンの複製ではない本物の皇子の資質に気付くだろう。


 しかしそのための賭けは代償がとても大きい。


 失敗したときのリスクを考えると苦い表情になるジェノールだった。

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