第23話


 今度も皇子がそれを期待していることは伝わったが、アリステアは首を横に振った。


「父上はそういった重要なことは屋敷では口にされません。わたしに教えてくださるときは、それほど重要な内容ではないときなのですよ」


 アリステアが次期、秘書官であるという感覚は、すでにジェノールの内側にもあった。


 仕事を教えようという腹積もりで、時々だが神帝との会話を教えてくれたりする。


 わがままに対する対処法などを教えるつもりで。


 しかしそれも重要な事柄になると別だった。


 秘密厳守。


 これは秘書官にとって最低限の鉄則なのだから。


「ジェルらしいなあ」


 堅物で知られる歴代、秘書官の中でも群をぬいて厳しいのが、ジェノールだった。


 特に世継ぎに対しては容赦がない。


 手厳しく扱われるリュースにしてみると、ジェノールは高通の利かない堅物だった。


 世継ぎ相手に平気で挙骨を見舞うのだから、なんというか。


「ですが」


 言いかけてなにを思い出したのか、不意に愛い顔になったアリスチアに、リュースが目線だけで促した。


「先月に一度だけひどく落ち込んで帰宅されたことがありました」


「先月?」


「父上は秘書官の仕事を屋敷内には持ち込まない主義なのです。秘書官としてなにがあっても、公私の区別はきちんとつけるために。ですから仕事でどんなことがあっても、態度に出したことは教えるほどしかありませんし、屋敷に戻ってまで引きずっていることもありませんでした」


 アリステアの言葉遣いは年齢的にみれば、ずいぶん堅苦しい印象を受ける。


 しかしこれは秘書官を継いだものなら、誰でも同じだという。


 実はジェノールの父親もまた秘書官である。


 つまりアリステアにとって祖父に当たる人物は、六代神帝セラヴィンの秘書官。


 重ねて言うならジェノールにとっては祖父、アリステアにとっては曽祖父に当たる人物は五代神帝ジュリアスの秘書官でもある。


 つまりジェノールは三代続いた秘書官家の現当主ということである。


 小さい頃は別に秘書官になるなど決まっていなかったが、父親が秘書官だったので、自然と同じ態度をとるようになっていた。


 それというのも個然、リュシオンの成長期とジェノールの成長期が重なったからで、彼は悪戯盛りの皇子のお目付役でもあったのだ。


 遊び相手でもあり相談役でもあり、成長してからはお目付役でもあったのだ。


 常に星子の傍らにあるべきものとしての自覚が、自然とそういった話し方をさせたのだ。


 そして更に重なった個然がひとつ。


 リュシオンの世継ぎのセインリュースと、ジェノールの幅男、アリスデアの成長期がまたまた重なったのだ。


 かつての父親の役割を、アリステアはそっくり受け継いでいる。


 そのせいか、父親そっくりの話し方をするようになっていた。


「それっていつの話なんだ?」


 考え事をするときの癖で、頬付をつき軽く眼を伏せたリュースに問われ、アリステアは思い出しながら答えた


「蒼月のそう。確か聖日だったと思います。陛下が毎年決まって半日だけ休暇を過ごされる日でしたから」


 リュシオンのスケジュールが、午後からきれいに空いているので、この日はジェノールの帰宅も早い。


神帝が息抜きをしている間、ジェノールも肩から力を抜いて、屋敷で過ごしているはずの日だった。


 それがあの日に限って帰宅が遅く、心配していたアリステアが目撃したのが、ひどく憔悴した父親の姿だった。


「蒼月の聖日? そういえばあの日は親父殿も変だったな。午後になっても王宮にいたはずだけど」


 例年なら王宮から姿を消して、お忍びを満喫している父親が、何故か今年に限って王宮にいた。


 それはリュースも知っている。


 そのときなにがあったのかは知らないが、王宮内がやけに緊迫していたのも覚えている。


 もしかするとあの目に、神殿長が来訪したのだろうか?


 リュシオンと神殿の不仲は有名だから、そうだったとしても不思議はないが。


「親父殿の場合、相手が神殿だったらどんな脅しを使ってもふしぎはないけど」


 そう言いつつレティシアを見るが、彼女が納得している感じはなかった。


 神帝と神殿との不仲を知っていても、暗殺を条件に提示するほどの意味を見出せないのだろう。


 それこそリュシオンの性格なら、気に喰たない相手であれば、そのくらいの報復をしてもおかしくないのだが。


 まあ憧れの君という色眼鏡でリュシオンを見ている令嬢方には、理解の外にあるのかもしれない。


 本当のリュシオンは決して理性的ではないのだが。


「カッとなると見境のつかないところがあるからなあ、親父殿は」


 ぶつぶつと愚痴るリュースに、アリステアは苦笑い。


 同じような感想をどうやら父親から聞いているようだ。


「もうすこし周囲に与える影を考えてから動いてほしいものだけど、言ってみてもきっときょとんとするだけだろうな。本気でキレると自分が見えなくなる人だし」


 要するにリュシオンを本気で逆上させると、報復手段が非常識なものになるのだ。


 本人にはそれがやりすぎだという感覚もないから、平然と実行する。


 それが周囲の心臓を電かそうと、我関せずである。


 リュシオンはそういう型破りな一面があった。


 おまけに一度言いだしたら退かない性格をしていで、一度つむじを曲げると中々機嫌を直してくれなくなる。


 かくいうリュースも、一度親子喧嘩で徹底報復を受けたことがある。


 まあそれは別の問題だが。


「きっとせっかくの休日を神殿に潰されて、怒り狂ってたんだな、親父殿は。調見の後ですごくジェルに比られたんだろうなあ。きっと言った本人はケロッとしてたんだろうけど」


 血相を変えて怒鳴りつけるジェノールを振り向いて、きょとんとしているリュシオンの顔が浮かぶ。


 それだけで秘書官に同情したくなるリュースであった。

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