外伝・世界最強の英雄王たちに愛された唯一無二の聖女〜逆ハーレム? いえ、一途です〜
奏
第1話
世界がまだ創世記と呼ばれていた時代。
戦乱に明け暮れる世界に、ひとりの少年が姿を現し覇権を握った。
後に神帝と呼ばれた世界最古の覇王の誕生である。
伝説では英雄王と呼ばれる彼が即位した後も、世界は戦乱に染まっていた。
その多くは戦いに敗れた者たちの、敗者復活戦のようなもので、戦乱時の名残のようなものだったが。
民衆に望まれて帝位に即位した少年は、その人望に相応しく戦乱のその昔、名を馳せた武将たちを魅了し、交戦することなく配下に従えた。
しかし中には徹底交戦の構えをみせた名将たちもいて、その中のひとりが後のリーン王国の国王、レオンハルトであった。
彼が即位した後の戦いの多くは、レオンハルトを筆頭とする者たちとのあいだで繰り広げられたという。
力の差は歴然としていた。
神帝の力は人間離れしていたし、なによりも彼は不死者であった。
年若い少年の姿をしていたが、年齢は正真正銘、不詳だったし、どれほどの時の流れも、彼を老いさせることはなかった。
所詮、一介の人間に敵う相手ではない。
そのことはレオンが1番知っていた。
戦場で傷つき倒れたレオンを、その力で癒し救ったことさえある。
民たちが彼を生き神と崇め敬う気持ちもわからないわけではなかった。
彼の王としての器を認めていないわけでもない。
覇権をかけて戦った最後の戦いで敗れたとき、レオンは彼を認めた。
世界に君臨できる覇王として。
だが、レオンは即位の後も戦いをやめなかった。
剣を交える度に少年王は苦い顔をしていたが、何度敗れても諦めることなく挑んだ。
あるとき、彼はこう言った。
戦場で倒れたレオンに向かって。
「もうやめないか、レオン? これ以上の戦いは無意味だよ」
柔らかく優しい声で、血にまみれ倒れふすレオンにそう言った。
片手に握った細身の剣には、レオンの赤い血が滴っていたが、彼の端正な面差しに浮かんでいるのは、果てのない憂いだけだった。
『レオンとは戦いたくないんだよ、俺は』
それは彼の口癖だった。
戦場でまみえる度に繰り返した科白。
黒髪をひとつに束ねたレオンは、同じ色の黒い瞳で空のような彼の眼を覗き込み、きつく唇を噛んだ。
蒼く澄んだその瞳にはひとかけらの濁りさえない。
どこまでも綺麗に澄んだ青空のような瞳。
これほど蒼い瞳をレオンは彼以外に知らない。
後に神格の瞳と呼ばれることになる、たぐいまれな瞳の色だった。
太陽の光さえ跳ね返す黄金色の髪もまたこの少年以外に眼にしたことはない。
その美貌もまた。
端正な面差しも黄金色の髪も、そして蒼い瞳も、なにもかもが彫像のように人間離れした少年だった。
苛烈の気性を持ちながら思いやりの心も忘れない。
彼と友になれたなら、どれほど安らかな気持ちになれただろう?
これは何度もレオンが噛みしめた後悔だった。
休戦することは何度もあった。
だが、ふたりが和解することは遂になかったのである。
レオンを殺したくなかった少年神帝が、苦肉の策で選んだのが、リーン王国の建国だった。
独立国家を認めることで、レオンに戦いをやめさせようとしたのだ。
その当時、レオンには彼を慕い従ってくれる配下が数多く存在した。
人望もその力も、なにもかも神帝の方が上手だったが、レオンも決して慕われていないわけではなかったのだ。
レオンが無意味な戦いを続け、いたずらに死期を早めれば、同じく死を選ぶ者が大勢いた。
神帝の意外とも言える申し出は、情に篤いレオンには無視できないものだった。
しかし神帝の苦肉の策も、結局は徒労に終わった。
異様なほど神帝との戦いに執着するレオンを説き伏せることは、遂に彼にもできなかったのである。
リーン王国の建国後も無意味な戦いは続き、結局レオンは神帝の手にかかって、その生涯を閉じた。
かつての覇権争いで遂げるはずだった最期を彼は微笑んで迎えた。
その死に顔は実に満足そうな笑顔だった。
死を渇望していたかのような、その死に顔を神帝は無表情に眺めていたという。
それは遠い伝説の向こうの出来事。
今では物語となった一幕。
今でも神帝は……ディアスは時々振り返る。
あのときレオンを殺してやるべきだったのだろうか……?
覇権争いに敗れたあのときにレオンは潔い眼をして、傍らに立つディアスを見上げていた。
致命傷を受けて蒼白な顔色をしていたが、満足そうな笑みさえ浮かべて。
放っておけば死ぬ。
それは避けられない現実だった。
レオンはそれを受け入れていた。
戦いに敗れ死んでいくことを潔く認めていたのだ。
ディアスを見上げる瞳には敗者の屈辱ではなく、この結果に満足している彼の本心が浮かんでいた。
レオンの人柄は知っているつもりだった。
だが、あの潔い眼を見たときに殺すのは惜しいと思った。
本来ならディアスが関わらなければ、きっと彼が治めていただろう世界。
それを直感した。
ディアスが手を出さなければ、覇権を握ったのはレオンだと。
それまでにどれほどの血塗られた歴史が作られようと、レオンなら立派な王になれただろう。
そう思わせる眸だった。
だから、助けた。
その癒しの手を差し伸べて、助からないはずの致命傷さえ癒すディアスを見て、レオンは驚愕を浮かべ、
「どうして……助ける?」
そう訊いた。
「気に入ったから。それだけだよ」
そう言って笑ったディアスをレオンは信じられないとでもいうように凝視していた。
「おまえは殺すには惜しい。生きろよ」
それだけを言い置いて癒しの手を離し、立ち上がって彼に背を向けた。
思えばこのときにふたりは決別していたのだ。
背中から逸らされることのなかったレオンの視線。
食い入るように見詰めていたレオンの眼差しを、ディアスは今でもまざまざと思い出せる。
ふたりの出逢いは戦場だった。
白銀の剣を構えたディアスを眼にして、レオンが鋭い誰何の声をあげたのだ。
「何者だっ!?」
瞬く間に偉業を成し遂げ、大勢の武将を従えた少年がいることは、レオンも聞き及んでいた。
だが、目の前の端正な面差しの少年がそうだとは、彼には思えなかったのだ。
それほど彼は華奢で繊細な外見をしていた。
剣を握っていることさえ不似合いなほど。
戦場には不釣り合いなほど整いすぎた美貌。
珍しい黄金色の髪に見たこともない蒼い瞳。
線の細い彼は戦場ではあまりに浮いていた。
まだ成人すらしていないだろう幼さもレオンには意外だった。
だから、彼がニッと不敵な笑みを浮かべて、
「ディーン・ディアス」
と、一言だけ名乗ったときには、ハッと息を呑んだ。
顔を合わせたことはなくても、その名は聞き及んでいたからだ。
そして振り下ろされた力の強さにも驚かされた。
全く彼はその細身の肢体には不似合いな馬鹿力の持ち主だったのだ。
ただ一撃。
白刃を合わせただけで、レオンははるか後方に弾き飛ばされた。
その剣技の冴えも素晴らしいものはあったが、レオンを打ち負かしたのは、ただ単に呆れるほどの腕力であった。
後にディアスが持っているのは、底知れない馬鹿力だけではなく、超常的な力もあると知ったが、レオンには彼の外見に合わない、腕力や脚力の方が驚異的だった。
戦場で馬すら必要としないその脚力には、全く、敬服するしかなかったのである。
人間とは思えない少年だったが、ふたりはお互いに好敵手と認め合う間柄だった。
もちろんディアスが手加減していたのは間違いなかったが。
幾度かは戦場を離れた場で出会したこともある。
この時代、男たちは1年のほとんどを戦場で過ごす。
もちろん女っ気はなしだ。
戦場に女人を連れていくことは、やはり禁忌とされていた。
戦いで鬱憤ばらしをする者もいたが、そうでない者もいた。
小姓を連れ込んで堂々と勤しむバカもいたのだ。
大抵は戦いには出られない年齢の美童だ。
レオンにその気はなかったが、気の荒い武将の中には、好んで美少年を連れ込む者もいた。
華奢な肢体の持ち主で、だれもが見とれる美貌を持つディアスは、そういった嗜好の者に目をつけられるには、十分すぎる存在だった。
その気のないレオンから見ても弾けるように笑う、ディアスの少年らしい屈託のない笑顔は、とても魅力的に映った。
あれほどの馬鹿力を持ちながら、どこに筋肉がついているのかと悩む細い腕。
あまりに長く形のよい両脚。
プロポーションも完璧で非の打ち所がなかった。
女と比べても遜色のない容姿の持ち主だったから、これで彼が勝ち気な気性でなかったら、性別不明に見えたかもしれない。
実際にはおとなしくからかわれているような可愛い少年ではなかったが。
戦場以外で見かけたとき、彼は大抵、同性に言い寄られていた。
熱烈な求愛にディアスは白けた顔で両腕を組み、相手を睨み付けていた。
細身だが長身の少年は、そんなとき恐ろしいほどの威圧をみせる。
だが、彼に言い寄る者は後を絶たなかった。
最初の頃は懸命に耐えていたらしいのだが、あるときレオンが通りかかったときに、耳を疑うような反撃をした。
「あのな。どんなに熱く想ってくれているのかはわかったから、いい加減にやめてくれないか? 耳にタコができるよ」
ムスッとした表情での抗議に、こういった場面ではすぐに移動していたレオンも、驚いて彼を凝視した。
だが、もっと驚いていたのは求愛していた彼の配下らしく、一言も言い返す気配がなかった。
ただ唖然と口を開いているだけで。
「全く。みんな独創性のない口説き文句しか言わないんだからな。俺を失望させるのも程々にしてくれよ。迷惑だって何度言ったらわかるんだよ、おまえたちは?」
睨み付ける瞳には底冷えのする威厳がある。
すでにこの当時、彼には覇王の風格があった。
「そんなに何度も俺を口説いてる暇があったら、もうすこしは男を磨いて出直してこいよ。俺には俺以下の外見の男を相手にするつもりは塵ほどもないよ」
この反則技には聞いていたレオンも開いた口が塞がらなかった。
レオンにしても未だにディアス以上の美貌を持つ相手など、男女を問わず見たことはない。
こんな反則技を言われては、反論できる者はおそらくだれもいないだろう。
呆れたレオンの感想は、目撃した者ならだれでも抱いたに違いない。
現に彼の配下は、これほどきつく拒絶されて、食い下がることもできず悔しそうに引き下がった。
この冷たい拒絶をやった後で、ディアスが同性に口説かれることはピタリとなくなった。
当然である。
彼が見かけほど御しやすい少年ではないと、だれもが悟った事件だったのだろう。
迷惑な告白をきつく撥ね付けた後で、ディアスは立ち聞きする形になったレオンを唐突に振り向いた。
まるで始めから見られていることを知っていたかのように、ごく自然体で。
そうして朗らかに笑った。
別人のような変わり身の速さに、レオンはついていけなかった。
そういった意味では彼はかなりの堅物だった。
「この困った風習にだけは俺はついていけないよ。レオンは外見に似合わず、こういった話題には疎いみたいだな。同類がいて、ちょっとホッとしたよ、俺も」
そう言って屈託なく笑ったディアスに、レオンが友情めいたものを覚えたのは、ディアスのこの気性に気づいたからだった。
彼が外見に似合わず、一本筋の通った男だと知って。
だからこそ彼に敗れたとき、素直に認めることができた。
彼の手にかかって死ぬのなら本望ですらあった。
覇権をかけた戦の敗戦にも悔いはなかった。
ディアスにも友情めいた感情を向けられていると、薄々気づいてはいた。
彼がレオンとの戦いを望んでいないことも、なんとなく気づいていたし。
彼を認めていたからこそ、レオンは認めることができないのかもしれない。
死を受け入れたあの場面で、彼に生命を救われたことを。
ディアスはレオンが気に入ったから、死なせたくないと言った。
その言葉に嘘はなかったのだろう。
だが、レオンには納得のできない現実だった。
敵として出逢ったのでなければ、戦場でまみえるより早く彼と出逢い、その人柄を知っていればレオンも彼に従ったかもしれない。
友として共に戦場を駆けることを選んだかもしれない。
しかしすべては架空の例えに過ぎない。
ふたりは敵対する大将として出逢ったし、友情を感じても戦いを放棄することはできない立場にあった。
どちらかが勝者となり、敗れた方は潔く敗けを認め死ぬ。
それが出逢いの瞬間から定められた未来だった。
ディアスが救ったあのとき、レオンには裏切られたような、奇妙な失望感があった。
あまりに純粋で自分の感情に正直だったディアスに、レオンの気持ちを理解することはできなかったが。
「死なせたくないから、レオンが好きだから、俺は生きてほしいよ」
戦場でディアスは何度もそう言った。
どんなに傷を負い負け戦を重ねても戦いを諦めないレオンに。
どこまでも彼は純粋な少年そのものだった。
避けられない戦の結果てはいえ、レオンを自らの手で傷つけることは、純粋な彼を深く傷つけていた。
「レオンとは戦いたくないんだ」
ディアスが切ない口調でそう繰り返すほど、レオンは苦い後悔を噛んだ。
お互いに友情を感じていながら、決して実を結ばないことを痛感して。
他の者の手にかかることはいやだった。
レオンはディアスに殺してほしかったのだ。
それが彼を傷つけることを承知して。
即位の後も徹底交戦の構えをみせたレオンを見て、ディアスは遅ればせながら彼の決意を知った。
あのときに死なせてほしかったのだと。
生まれながらの武将であるレオンにとって、死ぬべきはずの場面で敵将に救われたことは屈辱でしかなかった。
何度も繰り返す無意味な戦で、ディアスはそれを知った。
友情や力では従えることのできない男もいるのだと思い知ることで。
敗れても敗れても、無謀な戦を繰り返すレオンは無言で訴えていた。
ひたむきなまでの願いをディアスに。
ただ……殺してくれ、と。
長い長い時を経て、辿るべき最期を遂げたレオンを見て、ディアスは思う。
あのときに彼を殺してやるべきだったのだろうか、と。
噛み締める後悔は、ただ苦かった。
あのときに救いの手を差し伸べず殺してやれば、レオンは焦燥に身を焦がすこともなかった。
死に急ぐこともなく、戦いに生き残った己を恥じることもなかった。
レオンが好きだったから殺したくなかった。
彼には生きてほしかった。
その気持ちに嘘はないのに、彼もディアスをきらってはいなかったとわかるのに、人の世はなんて矛盾に覆われているのだろう。
あのときの出来事を振り返るたびに、ディアスは苦い気持ちを捨てられなかった。
英雄王としての生を歩みだしたディアスが、初めて噛み締めた、それは苦い後悔であった。
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