第20話

「神帝陛下にはご機嫌麗しく」


「堅苦しい挨拶はいい」


 言いかけた挨拶の言葉を不機嫌に遮って、リュシオンはわざと肘掛けで頬杖をつく。


 礼儀から外れた行動だ。


 普段なら絶対に見せない露骨な嫌味だった。


 礼儀から外れた行動をわざと起こすリュシオンに、その意味を知って神殿長が強張る。


「大体ごり押しで謁見を無理強いされて、わたしの機嫌が麗しいはずもない。はっきり言えば迷惑だ」


 始めから喧嘩腰のリュシオンに背後に佇む秘書官が、僅かに顔を曇らせる。


「せっかくの休日を潰してくれたんだ。さぞ愉快な話でも持って来てくれたんだろう?」


 これ以上はない強烈な嫌味である。


 にこやかな笑顔でそう言われた神殿長は、如実に言葉を詰まらせた。


「言っておくが例の件なら、何度言われても答えは同じだ。わたしは彼女を神殿に渡す気はない」


 普段は穏やかな蒼い瞳が冷たい光を宿す。


 それだけで優しげなリュシオンの美貌が、冷たいものへと変じる。


 目を疑うような変貌を前に、神殿長は諦めの口調で口火を切った。


「それでも私共の要件は同じです。どうかお願い致します。聖稀様を神殿に」


「断ると言ったはずだ。何度同じことを言わせる気だ? 彼女は渡さない。わたしが神帝の座にある限り、聖稀を神殿には渡さない」


 冷たいほどきっぱりと言い切った神帝に、神殿長は返す言葉がなかった。


 悔しげに唇を噛む姿に秘書官は、なんとも言えない苦い気分を味わった。


 聖稀が産まれてリュシオンが神帝を名乗ってから、何度も繰り広げられたやり取りだ。


 何度断られても諦めない神殿長に、最近ではそこはかとない同情も感じる。


 勿論自業自得だという気持ちの方が強かったが。


 神殿が厚顔無恥にも、リュシオンにまだそういった要求を言える。


 その現実の方がジェノールには理解できない。


 彼らにはその資格もなければ権利もない。


 わかっていても諦めず、いつも憔悴して帰る背中にいささかの同情と軽蔑を感じる秘書官だった。


 いつものような押し問答が暫く続いた後、リュシオンはうんざりした顔でこう言った。


「そんなに聖稀が欲しいなら、俺を殺してから奪うんだな」


 冷たい殺意さえ瞳に浮かべ、リュシオンがそう言ったとき、秘書官は信じられずに目を剥いた。


「俺が生きている限り、エディスは神殿には渡さない。これから先どれだけの時間が流れようとだ。それが認められないなら、俺を殺せばいい。殺した後で代替わりしたリュースに頼むんだな。俺の答えは永久に否、だ。違う答えが欲しければ、俺を殺した後で代替わりしたリュースに言うべきだ」


 神殿にはその実績がある。


 いや。


 前科が、というべきだろうか。


 過去にリュシオンは神殿の関与で、殺されかけた経歴があった。


 勿論神殿の一存で起こした事態ではなく、彼らは命じられただけだったが。


 蒼白な神殿長の顔色に珍しく彼の動揺がある。


 だが、秘書官にそれを確認する余裕はなかった。


 リュシオンが死ぬかもしれない。


 そう知ったときの胸の痛みが、鳥肌と共によみがえる。


 それでも神帝を止める言葉は言えず、またリュシオンもやめようとしなかった。


「神殿人なら簡単だろう? 直接手を下す必要さえない。あの頃のように一服盛ればいいんだ」


「お戯れでもそのようなことは」


 震える声で否定を返そうとするが、リュシオンは認めなかった。


「その覚悟もないのなら、二度と同じ要求はするな。これ以上の問答は我慢ならない。わたしが生きている限り答えは否だ。もう一度同じ要求をするときは、暗殺する覚悟でもつけてからくるんだな。以後、聖稀に関する謁見なら、わたしは二度と受けない。もし謁見の申し込みがあったときは、この申し出を承知したと受け取るぞ?」


「陛下」


 神帝に弓を引く覚悟があるのなら受けて立つ。


 リュシオンは正面からそう言ったのだ。


 神殿長はもう反論する言葉さえ見つけられなかった。


 己の命を楯にしてでも、要求を突っぱねたリュシオンに。


 今までどれだけ対立しても、これほどの捨て台詞を言われたことはなかった。


 だから、微塵も動けなかった。


 意外なリュシオンの発言を耳にしても。


 謁見の間には秘書官以外の臣下の姿も、数名見受けられたが、誰もが息を殺しリュシオンを見ていた。


「俺は元々神殿の在り方には、疑問を感じていた。今では疑問ではなく、否定を感じているというべきだが。自分が認めていない神殿に、何故大事な姪姫を渡さないといけないんだ? 神殿が俺を殺せないというのなら引き渡しは諦めろ。もし彼女が姉上の娘ではなく俺の娘だったなら、神殿に渡すくらいなら、この手で殺しているよ」


 その口調の裏には神殿が神帝を殺せないのなら、と含まれていた。


 神帝を殺せず、聖稀の引き渡しも諦め切れないなら、リュシオンは彼女を殺してでも渡さないと言い切ったのだ。


 リュシオンの気性の激しさを前にして、誰もが声も出なかった。


 彼にはいつも二者択一の答えしかない。


 誰もが忘れていた現実を突きつけられた気分だった。


 そのくらい許せないと言いたいだけで、実際に後に引けなくなったら、リュシオンは間違いなく聖稀を守るために神殿を滅ぼすだろう。


 そのときは祖王の時代から、実在する神殿の権威を無視してでも、絶対に。



 過去に暗殺未遂という前科がありながら、リュシオンが手出しを控えていたのは、祖王の時代から実在する神殿に対する最後の敬意だった。


 始めから彼らが間違えていたわけではない。


 それに命じたのはリュシオンの実父である六代神帝セラヴィンだ。


 神殿人にはなんの責もない。


 彼らは命じられたことを果たしただけだ。


 その結果リュシオンが死に掛けたのは、セラヴィン神帝の誤算だった。


 彼には息子を殺すつもりなどなかったのだから。


「これが聖稀の引き渡しに関する最終的な答えだ。神殿の出方次第では、俺は受けたと解釈する。そのときは手は抜かないぞ?」


 殺すか殺されるか。


 修羅場を演じることさえ覚悟した瞳に、神殿長は遂になにも言えなかった。


 謁見の間からリュシオンの姿が消えるそのときまで。

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