第3話



 7代神帝リュシオンの御世に伝説で語られていた聖女が誕生している。


 リュシオンの姉姫である侯爵夫人クローディアを母に持つ、聖稀の称号を持つ彼女の名をエディスターシャ。


 侯爵令嬢でありながら、その聖稀という身分故に皇家に連なる扱いを受けた皇女。


 正式名はエスターシア・エディスターシャ・シルフィーン・ムーンテレサ・カミュレーン。


 彼女の名を叔父である神帝が名付けた事実を知る者は数少ない。





『時の神帝は初代より代を重ね6代を数えた。即位のときより、かなり時が過ぎた後に世継ぎを得た彼は、数奇な運命を辿った悲劇性の強い神帝である。


 歴代の神帝すべてが悲劇性を持つ皇家において、彼は特殊な悲劇を背負った神帝となったのだ。


 待望していた世継ぎが、神格の蒼い瞳と証の色たる祝福の黄金色の髪を持って生まれたために。


 そのふたつの色は初代神帝のみが所持していた色で、直系の子孫といえども皇族にも持てない特殊な色だったのだ。


 先祖返り的に祖王の色を受け継いで生まれた皇子は、父親によって―――リュシオンと命名された。


 後に7代を名乗る名君の誕生である』





 歴史書を紐解けばそんなふうに始まる。


 神帝という覇王を戴く世界の、最も古い書物に連綿と描かれる、それは覇王の系図。


 歴代の神帝が辿った生涯を後世に伝えるために記される公式書であった。


 抜粋された章は6代神帝の章に当たる。


 それまでの歴代の神帝の中でも、特に数奇な運命を辿り、象徴的な生涯を辿った唯一の神帝であった。


 不老長寿の皇家で唯一自害した神帝としても、彼は例外なのである。


 ただし6代神帝が自害したことを知る者はあまりいなかった。


 その当時の背景を「カミュレーンの系譜」はこう語る。





『6代神帝の御世が、突然の終わりを迎えたのは、彼の神帝の自決に端を発している。


 彼は己の生涯を悔いていたのかもしれない。


 最愛の皇子に対する罪滅ぼしだったのか?


 民に語られることのない神帝の崩御。その理由。それだけは公表されることはないだろう。


 突然の死も不幸な事柄としてのみ語られるだろう。


 まだ幼い彼の皇子、聖皇子として名高いリュシオン皇子は、このとき実の父から帝位を譲り受けることとなる。


 時期を早めた父親の自決による譲位を、彼がどう思っていたかはわからない。


 祖王の面影を色濃く残し少年皇子は、このとき史上最年少の神帝となった。


 強制的な現実として』





 父親の自決という形により、帝位を譲位されたリュシオンはこの当時、まだ幼い少年であったという。


 母親は早くに失い姉姫に育てられたも同然の彼は、まだ親が恋しいような年齢で強制的に神帝となった。


 しかしこのときすでに彼は妃を迎えている。


 皇家の習慣として世継ぎの時代に皇妃を迎える義務があったのだ。


 だが、リュシオンのように幼い時期の婚姻などは全く前例がなかった。


 なにもかもが異例の事態だった聖皇子リュシオン。


 民たちは彼をこう呼ぶ。


 ―――祖王の申し子。


 或いは―――英雄王の再来、と。





「あっ。親父殿の竪琴」


 部屋で読書に勤しんでいると、不意に響いた竪琴の透明な音色にリュースが耳を傾けた。


 その音に聞き入るように目を閉じる。


 リュシオンの竪琴が奏でる音色は、何度聞いても心に残る。


 透明で爽やかで伸びやかな音色の中に微かに混じる甘い響き。


 決して派手に奏でることのない彼だが、その音色は耳を傾ける者全員の心にまで届く。


 甘く心が痺れるような素晴らしい余韻を与える。


 いつまでも聞いていたいような、とても印象的な音色。


 リュースは大好きだった。


 おねだりしても滅多に弾いてくれないが、時々気が向いたように奏でる音色を耳にするだけでもいい。


 そのくらい好きだった。


「終わっちゃった……もっと聴きたかったなあ」


 残念そうに呟き、それでもリュースは満足して読書を再開した。





 ここは聖宮。


 代々神帝と世継ぎの君のふたりだけが、居を構えてきた特権階級の宮である。


 王位継承権第一位の者しか居住権がないのだ。


 皇妃や皇女たちは後宮に居を構え、世継ぎのみに住むことが許されたまさに特別な宮なのだ。


 現在の神帝は7代を名乗るリュシオン。


 その彼の世継ぎがここで読書をしている第一皇子セインリュースである。


 リュシオンが婚礼を挙げて、7代を名乗るまでに迎えた妃が産んだ皇子で、彼の生誕は父親の即位とほぼ同時であった。


 つまり6代神帝が崩御して父親が即位する前後に誕生しているのだ。


 リュシオンにとっては色々と思い出深い時期に産まれた皇子である。


 まだ幼い少年の外見だが、リュースは父親と同じ色彩を持っていた。


 先祖返りも息子には意味を持たないのか。


 リュシオンの息子は父親に似た子供として産まれた。


 髪の色も瞳の色も父親譲り。


 肌の色や顔立ちまで彼はリュシオンによく似ていた。


 髪質が細くしなやかで軽い癖毛だというのも、そっくり受け継いでいる。


 身長は年齢に比較して高いが、身体付きが華奢なのも父親譲りだった。


 利き腕が左ということも父親譲りである。


 呆れたことに彼は母親には全く似ていない。


 完全に父親似の息子なのである。


 だれが見ても血縁関係は明らかだ。


 例え髪と瞳の色を変えてごまかしたとしても、父親にそっくりな顔立ちと、よく似た外見を見ればだれもが悟るだろう。


 彼こそがリュシオンの世継ぎだと。


 リュシオンの子供時代を知る人々はよく苦笑している。


 まるでリュシオンの子供の頃を見ているようだと。


 違うのはふたりが浮かべる表情だけかもしれない。


 そんな噂が流れるほどそっくりな親子だった。


 穏やかな笑みの似合うリュシオンと、弾けるように爽快に笑うリュースと。


 ふたりは外見はそっくりだったが、醸し出す雰囲気や印象はかなり正反対だった。


 リュシオンが自分を抑え込む傾向が強いのに比較して、リュースは自分を抑えたりごまかすのが苦手な開放的な気性をしている。


 外見だけがそっくりで後はなにもかもが対照的なふたり。


 だが、リュシオンを子供の頃から知っている者たちは、みな口を揃えてこう言う。


 リュシオンにそっくりな皇子、と。


 その意味を当事者のリュースはまだ知らない。





 自室の一室で竪琴を手に取っていたリュシオンが、ため息を吐き出しテーブルに戻した。


 ちょうどリュースが途切れた音色に残念そうな顔をしたときである。


 投げやりに長椅子に投げ出された長い脚を無造作に組む。


 そのまま身体を投げ出して天井を見上げ、やりきれない表情で目を閉じた。


 10歳くらいの外見だったリュースを、もうすこし成長させたような外見をしている。


 リュースが10歳くらいなら、リュシオンは17、8歳といったところだろうか?


 ふたりは不老長寿の皇家の出身だし、例外的に不老不死だったので、年齢は規定から外れているが。


 リュシオン自身はリュースが生まれる前から、姿は全く変わっていない。


 若々しい少年の姿のまま、兄弟感覚でひとり息子と接してきたのだ。


 もちろん長命な皇家での彼が、息子と大して年齢差のない未成年の少年だということは、紛れもない事実だったが。


 投げやりに目を閉じる彼は、やはり美形である。


 だれもがハッと息を飲むような完璧な姿をしている。


 美形を多く排出することで知られる(はっきりいって全員が美男美女で知られている)皇家でも、彼ほどの美少年は類を見ない。


 そういった意味でも、彼は祖王に似たらしかった。


 初代神帝であり皇家の始祖たる英雄王が、美の化身と名高い少年だったので。


 だれもが羨むような地位と注目を奪わずにおかない美貌。


 永遠の若さ。


 その輝かしい境遇を否定するように、彼は疲れきった顔をしていた。


 目を閉じたその美貌には苦渋の色が濃い。


 他人が羨むほど彼が自分の恵まれたまま境遇を喜んでいないのは確かなようだった。


 閉じた瞼の裏で浮かんだ消えない面影がある。


 その面影を振り切るように、首を傾けてリュシオンは強く唇を噛んだ。


「殺してやればよかった」


 囁く声を聞き止める者はいない。


 吐き出さずにはいられない彼の苦しみを知る者も。


 胸の内に抱えた憎悪をリュシオンはだれにも明かせないまま、幾つもの嘘を重ねていく。


 ひとつの嘘が次の嘘を呼び、挙行と現実の区別ができなくなっていく。


 そうしてどこに本当の自分がいるのかもわからなくなってくる。


 偽りの自分と本当の自分の区別なんて、わからないまま時を重ねまた嘘を重ねる。


 いつしか見失った真実だけが、過去の痛みの代償として虚しく漂う。


 痛みと引き換えに重ねた嘘の数だけが、魂を傷付けて真実から目を背かせても。


 動かせない現実にリュシオンは気付かないフリを続けるしかなかった。


 重ねた嘘が心を傷付けて魂がすべてを否定しても。


 過ぎた時は元に戻らない。


 痛みも消えることはなく癒えることもない。


 現実がすべて嘘の積み重ねで偽りでしかない以上は。

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