カギ娘の事件簿 ~The Casebook of Key Girl~

飯田太朗

機械屋敷の亡霊

第1話 屋敷主からの依頼

「おはよう、お母さん」

 娘が私の頭を撫でる。私はごろごろと喉を鳴らす。ぐっと背中を伸ばしてぶるぶると体を震わせると頭がハッキリしてきた。目をパッチリ開いて娘を見る。娘は灰汁色の長い髪を梳かしながら、上半身を起こしたところだった。窓からは眩しい朝日。いい朝だ。

 ぐっと背伸びをして、娘がベッドから起き上がる。ネグリジェの肩紐がだらしなく垂れていたので注意すると、娘は悪戯っぽく笑って直した。いつも言っている。「素敵な方と巡り会いたかったら、目に見えないところを大事にしなさい」って。

 娘はふらふらと台所へ向かう。朝方。女中のアンが目を覚ます前に娘は動き出す。一日の始まりである朝食は自分で用意したい。そんな娘のわがままを、アンは聞き入れてくれている。アンの方としても、朝が早くなくて済むのでありがたがっているところもあるだろう。そんなことを考えながら尻尾をくねらせ、私は娘の後を追った。

「朝ごはんは? ソーセージでいい? 東クランフから美味しいのが届いてるよ」

「肉は西クランフの方がいいわ」

 私が欠伸交じりにつぶやくと、娘は眠たそうな目を緩めて、「お父さんの故郷のお肉もいいでしょ」と笑った。まぁ、悪くはないので私は再び喉を鳴らした。


 私が化け猫として、そして娘のカバンとして生きるようになってから久しい。この子が産まれたばかりの頃に私の夫、そして娘の父であるアウレール・ホルストが殉職し、私と娘は二人で生きていかねばならなくなった。夫が東クランフの名士ホルスト家の長男であったことと、職務を全うした上での名誉の死だったこととが幸いし、義理の家と国から私たちにかなりの額の援助があったが、しかし女二人というのは何かとなめられる。私はがむしゃらに働いて、それなりに社会的地位を得られるよう動いた。そうして生前の夫の名に恥じないくらいの名誉を手に入れた頃、唐突に私の死期はやってきた。不治の病に罹ったのである。

 娘はまだ十歳を過ぎたばかり。一人で生きていくには幼かった。しかし私はどれだけ長く見積もっても、娘が一人前に……十六歳になる前に死を迎える。それは明白だった。そこで私は手を打った。当時まだ実装段階だった魔力装置、「魔蓄まちく」の使用を決意したのだ。

 近隣諸国がそうであるように、私たちの暮らすセントクルス連合国も魔法が社会生活の基盤にある。しかしこの魔法は、やはり近隣諸国がそうであるように、一部の限られた才覚のある人間にしか使えない。彼らは幼い頃にその資質があるかを見極められ、学校に行き技術を学ぶ。そうして国や地域の実力者となり、政治や経済を回す。

 しかしこのセントクルス連合国では革命が起きた。それは文字通り抜本的な変革で、それまでの社会価値観をひっくり返すような出来事だった。

 魔蓄が開発されたのである。魔力を封じ込める技術。魔力を蓄える技術が開発されたのだ。

 魔蓄の開発により、魔法使いの素質がない人間でも手軽に魔法が使えるようになった。魔蓄は術者の魔法を閉じ込めるのと同時に、自然の中に漂う魔力も蓄えることができた。これにより魔法を使えない一般市民にも魔法が使えるようになり、魔法が社会全体に、生活全体に浸透するようになった。もちろんこの魔蓄のメリットは魔法使いにもあり、自身が用意した魔法を魔蓄に封じ込めておいて、時間差で用いたり、あるいは売ったりすることができるようになった。私はこれを用いる覚悟を決めた。

 命を繋ぎとめておく魔法がある。命を病や老衰で朽ちていく肉体に繋ぎとめるのではなく、物品に繋ぎとめ、生きながらえる……そんな、延命の魔法がある。

 私はこれを用いた。私の体は病で朽ちる。だが命が消えるその前に、何か他のものに私の命を繋ぎとめられれば。そう思って私は娘の周りの物品を見て回った。そしてあるカバンに目を止めた。

 娘の十歳の誕生日に買ってあげたカバン。

 ちょっとしたポシェット。少し大きめかもしれない。しかしこのカバンならきっと大人になっても使えるし、帆布製だからきちんと手入れして使ってもらえれば娘の寿命と同じくらいはもつ。私は延命の魔法を用いて娘のカバンに命を宿す決意をした。そしてこの時、おまけとして、私自身の「猫に化けられる」魔法もカバンに残しておくことにした。かくして娘のカバンは私の魂を宿した、猫に変身ができるカバンへと変貌を遂げた。


「今日の仕事は?」

 受け皿に盛られたソーセージの欠片を食しながら私は訊ねる。娘は品よく食器を扱いながら答えた。

「請け負っているものはもう終わった。後は報酬が振り込まれるのを待つだけ」

「新規の仕事はないのね?」

「うん」

「営業は?」

「バグリーさんが探してきてくれるよ」

「あんまりあの人のお世話になるのもよくないわよ」

 バグリーさんは夫の親友である。夫の生前も、私が人として生きていた頃も、そして今も、ホルスト家を、娘を、気にかけてくれている。

「さて」

 朝食後、娘が身支度を終え、つぶやく。年頃の娘にしては手早すぎるくらいあっさりした身支度だが、本人がいいと言っているので一旦好きなようにさせている。何、いい人ができれば自然にしっかりやるようになるでしょう。

「よいしょ」

 娘がキャスケット帽をかぶる。つばの横には鍵のブローチ。そして耳には赤いサイコロを象ったイヤリング。こういう小物は私が生前用意した。服や靴、その他の小物なんかは、娘の好きなものを使わせているが。

「お母さん、行こう」

 私はカバンになる。娘が私を肩にかける。

「今日はどんな事件があるかなー」

 呑気に、娘。娘の奇妙な日常はこうして始まる。



 事務所であるロースター街122Aに来た娘は、私をテーブルの上に置く。すぐさま私は猫の姿になって、じとりと今通って来たばかりの入り口のドアを見つめた。今日はどんな方が娘を悩ませに来るのかしら。そんな期待を込めて。

 来客があったのは午前中も終わろうとしていた頃だった。娘はデスクに着いて流行りの小説を読んでいる最中だった。ノックの音。娘がぴょこりと顔を上げる。私は尻尾を振って娘を制した。

「どうぞ」

 私が艶やかな……自分で言うのも何だけど……声で応対すると、ドアが開いて、素敵な紳士が顔を覗かせた。おしゃれなハット。素敵な髭に品のいいモノクル。一目で分かる。上流階級の方だ。あるいはその関係者。

「失礼。バグリー氏の紹介で来たのですが」

 ほら、やっぱりバグリーさんが。

 娘がそんな目配せをしてくる。私は応じる。

「どのようなご用件で?」

 来客は少し驚いたような顔をして私の方を見ると、居住まいを正して名刺を差し出してきた。娘がデスクから離れてそれを受け取った。私は娘の顔の横に頭を持っていって、名刺を覗いた。そこにはこうあった。


〈魔蓄石炭採掘機開発者『機械屋敷』当主 アルフ・スキナー〉

 

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