第31話 虚偽

「申し訳ございませんっ」

 バグリーさんが深く頭を下げる。上司が下げたからだろう。グレアムくんもそれに続くようにして頭を下げる。

 バグリーさんが娘を示す。

「この者はまだ若齢で、礼儀作法に疎く、ああ、何と言いますか、姫にご不快な思いを……」

 三人の姫はバグリーさんを責めるかのように黙っていた。沈黙が、バグリーさんを苦しめた。

「誠に申し訳ございませんっ」

 再びバグリーさんが頭を下げる。跪き胸に手を当て、ほとんど這いつくばりそうになりながら……。

「しっかりと叱っておきます。此度のご無礼はどうか不問に、不問にしていただければ……」

「なりません」

 姫が静かに告げた。

「然るべきところへ出ることになるでしょう」

 バグリーさんの背中が凍りついた。

「どうか……どうか……」

 さらに身を低くし、本当に床に這いつくばりそうになりながら、バグリーさんが続ける。

「この者は私の親友の、無二の親友の娘なのです。私めはどうなっても構いません。ですから、どうか、この子だけは……この子だけは……」

 そんな、バグリーさん……。

 私は彼の友情に胸を打たれていた。彼が私の夫を、そして娘のことをそんなに深く思っていてくれただなんて……知っていたけど知らなかった。私は彼に心の底から感謝した。

 しかし私は、信じていた。

 娘が何の根拠もなく、こんな非礼を働くはずがないと。

 私は娘をひたすらに信じた。私の娘を、たった一人の娘を、ただただ信じた。そして、もし娘の身に何かあれば、私が命に代えて守り抜こうと、そう決意を固めた。万が一、いや億が一娘の考えが外れた時のために、覚悟を……そう思った。

 私は娘が生まれた時のことを思い出していた。娘が初めて私の腕に抱かれた時、娘が初めて言葉を発した時、娘が初めて歩いた時、全てを思い出していた。

 そうして私の自慢の娘が告げた。小さく、だが凛とした声で。

騎士ナイトグレアム」

 グレアムくんが頭を下げたまま、気配で答える。

「この距離からでもプリンセスの匂いを嗅ぎ分けられますか」

「……ええ」

「嗅ぎ分けてくださいますか」

 グレアムくんが静かに頭を上げる。

「干し草のような香り……向かって右手が、プリンセス・マルレーヌ」

 右側の姫の気配が動いた。

「夏の風の香り……中央が、プリンセス・ナターリエ」

 空気が、流れが、見る見る変わっていく。

「強い花の香り……左手が、プリンセス・アマンダ」

「結構です」

 娘が真っ直ぐに姫たちを見つめながら訊ねた。

「プリンセス・マルレーヌ」

 娘の射抜くような言葉が姫たちを捕らえる。

「『私はプリンセス・マルレーヌです』と女王石に問うてください」

 姫が息を呑む。

「問うてください」

 娘は淡々と続けた。姫たちが、静かに顔を見合わせた。

「問うてください。いかがなされましたか」

 娘が追い打ちをかける。

「ご自分に自信がないのですか」

 バグリーさんが顔を上げる。グレアムくんが、娘同様真っ直ぐ姫たちを見る。

 私も息を呑んだ。そうか……そうか! もしかして、もしかして! 

 やがてマルレーヌ姫がそっと片手を挙げると、女王石に触れた。それから静かに、告げる。その声は震えていた。

「私はプリンセス・マルレーヌです」

 小さな声。自信が……なさそうな。

 そして。ああ、そして! 

 マルレーヌ姫が触れていた女王石が白く濁った。それは巨大な真珠のようで、濁り切った石がマルレーヌ姫を否定していた。

「プリンセス・アマンダ」

 娘が続ける。

「同様に。『私はプリンセス・アマンダです』と」

 アマンダ姫は黙っていた。が、やがて観念したように手を挙げ、女王石に触れた。

「私は……プリンセス・アマンダです」

 石は濁ったままだった。

「最後に、プリンセス・ナターリエ」

 娘がとどめを刺すように告げた。

「『私はプリンセス・ナターリエです』と」

 ヴェールの向こうで、プリンセスが唇を噛む様子が見えるようだった。しかしやがてプリンセスは自棄を起こしたような強い身振りをすると、女王石に触り、そして「私はプリンセス・ナターリエです」と告げた。

 石は濁ったままだった。

「入れ替わりましたね」

 娘は丁寧に、恭しく、推理を口にした。

「三人がそれぞれ入れ替われば、『私はプリンセス何々です』のところで虚偽の判定が出る。女王石が白く濁る」

「しかし」

 姫の内の一人、プリンセス・マルレーヌであるとグレアムくんが判定した姫が発言した。

「確かに、私たちは虚偽の宣言をしたかもしれません。しかし誰が誰かを当てなくっちゃあなたの妄言に過ぎないわ。つまりそう、確かに犯行そのものは……犯行なんて言い方もないですけれどね、しかし私たちの愚行は、そう、敢えて言わせてもらうのなら愚かな行いは、確かにあなたには見つかってしまったのかもしれませんが、具体的に誰が誰に入れ替わっているのか、分からなければただの妄想に過ぎないのです」

「証拠がないということですね」

 娘は慎重に続けた。

「僭越ながら姫、私には誰が誰か見分けがついております」

 姫たちが黙る。

騎士ナイトグレアム」

 娘は……ああ、かわいらしいことに、好きな男子を呼ぶ時の娘の声は……震えていた。しかし強くハッキリ告げた。

「プリンセス・マルレーヌからは干し草の匂いがすると言いましたね」

「ええ」

 すると娘が続けた。

「おそらくプリンセス・マルレーヌに入れ替わっているのはプリンセス・ナターリエでしょう。東クランフは学術都市であり、本がたくさんある環境で姫が育ったことが想定されます。干し草のような香り……紙の香りが、するでしょうね」

 次に……と娘が向かって左手の姫を見つめる。

「プリンセス・アマンダ。強い花の香りですね」

 グレアムくんが娘の背後で答える。

「その通りです」

「西クランフは魔法の都市。花の都パルスはさぞ美しいでしょうね、姫。プリンセス・アマンダになり替わっているのはプリンセス・マルレーヌです」

 そして最後に、と娘は中央の姫を見た。

「プリンセス・ナターリエになっていたのはプリンセス・アマンダです。夏の風の香り……潮風の香りでしょうか。タロールは海に面していますね」

 姫たちの気配が硬直した。そしてとげとげしいオーラになると、やがてプリンセス・ナターリエであると告発された姫が、こう返してきた。

「嗅覚なんていう主観的なものでは証明になりません」

「でしたら、バグリーさん」

 娘に呼ばれてバグリーさんはびくりと身を起こす。

「姫の身を案じる事態です。それぞれの姫をすぐさま隔離して、一度それぞれの故郷へ。女王選定の儀を中止してしまえばヴェールを外さざるを得ないでしょう」

「女王選定の儀を中止?」

 姫が、ほとんど叫ぶように告げる。

「何を言っているのか分かっていますか? 国の一大事ですよ」

 しかし娘は悪びれずに続ける。

「ええ、ですから一度中止をした上でもう一度開けばいいのです。カードのシャッフルとでも言いましょうか。仕切り直しです。上手く機能しなかった仕組みは再起動するのが一番です。バグリーおじさま。よろしければおじさまの方から政府に働きかけていただいても……」

 すると姫の一人が……やはり、プリンセス・ナターリエだと告発された一人が、詰まったような声を出した。

「……結構ですわ」

 すぐさま他の二人の姫が続く。

「プリンセス」

「プリンセス……」

「二人とも覚悟を決めてください」

 ナターリエ姫と告発された姫が粛々と告げた。

「私たち三人の企みは失敗に終わりました」



 それから三人の姫と私たちは、プリンセス・マルレーヌと告発された姫のスイートルームに招かれていた。窓際に置かれた小さなティーテーブルに三人の姫は集まると、それから観念したように告げた。

「いつから分かっていらしたの」

 娘は微笑んだ。

「グレムリンが私たちの列車にいたずらをした時から漠然と理解しておりました」

 姫の一人が大きなため息をつく。

「私の手筈がまずかったのですか」

 どうやらプリンセス・マルレーヌのため息らしい。

「『家に住む妖精』を使役できる人間は国内でも限られます。それは、そう、例えば王家のような特別な方も含まれますね。この時点でまずマルレーヌ姫が妨害をしてきていることが推察されました。加えて、私たちの目の前でアマンダ姫を演じていた時のマルレーヌ姫の発音です。『ウェルウェルたいへんよろしい』。『ル』の発音が綺麗でした。外国で育った方には難しい。となると逆を考えるべきでしょう。すなわち『外国で育った方がセントクルス連合国人を装うために言葉を学んだ』とするより『セントクルス連合国人が外国人の真似をした』。おそらく流暢なテュルク語については、翻訳魔法か何かを唱えていたのでしょう。魔法の邦、西クランフの王家なら容易なことです」

「私はどこで気が付いたの」

 外見上では区別がつかなかったが……どうもプリンセス・アマンダであると告発された姫の発言のようだった。

「ナターリエ姫のふりをしていらしたあなたは大時計との会話で世界各地のなぞなぞや格言を口にしていらっしゃいました。ナターリエ姫は学術都市の姫。教育制度がしっかりしています。しかしそれは、逆に言えばある程度の年齢になるまで東クランフ内に縛られることを意味しています。外国の知識には疎くなるはず」

「本で知識を得た可能性は?」

「検討しましたが、世界各国の話を聞いている大時計が言い淀むような認知度の低い諺を即座に判断できるようになるには生活で頻繁に使うかその学問を専攻しているかしていないと難しいように思います。東国文化学の履修歴がおありですか?」

 プリンセス・アマンダは黙り込んだ。

「最後にプリンセス・ナターリエ。あなたはマルレーヌ姫のふりをしている時、法律を盾に私たちの『ヴェールを外してください』という要求をねましたね。即座に法律の知識が出るのは東クランフ人特有です」

「……敵いませんね」

 プリンセスの一人が項垂れた。

「よろしければ」

 娘が恭しく訊ねた。

「何故このようなお戯れをなさったか、ご説明いただいてもよろしいですか?」

 すると姫の一人が娘を見据えて小さく答えた。

「私たち、あなたと近い年齢だと思うわ」

 残る二人の姫も娘を見つめて小さく頷いた。

「考えてもみてちょうだい。これから楽しく過ごせるっていう十代の終わり、成人したばかりの私たちが、王室に閉じ込められて、公務という名の下人間関係も制限されて、友人とも遊べない、恋愛もできないまま、歳を重ねていくなんて、耐えられるとお思い?」

「なので女王選定の儀をかき乱そうと」

「私たちは誰かが犠牲になるよりもっと高い目標を目指しました。すなわち『誰も女王にならなくて済む』」

 三人の姫が姿勢を正した。

「女王選定の儀の前、私たち三人の顔合わせの時、私たちは通じ合いました。そしてヴェールを被る時、それぞれ違う名を名乗ろうと決めた……あなたの言った通り、女王石は問いに対して否定なら曇る。名乗りの段階で虚偽なら、当然曇る。そして三人全員が否定の判定を受けたとなれば、王族の誰か、違う人間が王位継承権を問われます……例えば、そう、先代王の弟君や姉君などが。お二人はご高齢を理由に次期王から外れましたが、私たちからすればとんでもないわ。国の元首にはより経験を積んだ人間がなるべき」

 そもそも、と姫の一人が告げた。おそらくはナターリエ姫。

「ブライアン王子の王位継承権が剥奪されたことにも納得がいきません。国は法で宗教の自由を認めています。国民には認められている権利が、何故王族になると認められないのでしょう」

「でしたら、姫」

 私の娘が……ああ、さっきは姫たちの前であんなに危うい振る舞いをした最愛の娘が、恭しくも進言した。

「かような悪戯に出ることはやめて、三人揃って王室の宗教自由権を訴えてみてはいかがでしょうか。お一人お一人では力及ばずとも、次代女王の候補ともなった御三方がハッキリと主張すれば、政府も動かざるを得ないかと」

 三人の姫が顔を見合わせた。それから何だかとっても、おかしな雰囲気が……本当に、笑ってしまいそうな雰囲気が、流れた。

 姫の一人がつぶやく。

「名案ね」

 さらに姫が続いた。

「どうしてそういう発想に至らなかったのでしょう」

「私たち、女王の候補に選ばれたんだからそれなりに発言権はあるわ」

「姫」

 娘は首を垂れた。

「此度の騒動について、私は黙秘を貫きます。ですのでどうか賢明な判断を」

 そうして三人の姫は見合わせた顔を真っ直ぐ娘に向けた後、堂々とこう訊ねた。

「あなたお名前は?」

 娘は恭しく、自分の名を口にした。姫たちはその名を繰り返し、こう宣った。

「此度の働きに感謝します。そして私たちの秘密を守ってくれることにも。本件の報酬がどこから出るのか存じませんが、事件未解決と相成ればそれも受け取れないでしょう。私たちから特別な報酬を。もちろん秘密裏にですが」

「身に余る光栄です」

 娘が静かに頭を上げると、プリンセスの一人が、ハッと思い出したようにつぶやいた。

「ああ、そうだわ。それから」

 娘が怪訝そうな顔をする。しかし姫は何も気にすることなくこう提案してきた。

「三日後に王室が主催する舞踏会があります。どうかご出席なさって」

「ぶっ」娘が舌を噛んだように声を詰まらせる。こら。しっかりなさいな。

「舞踏会でございますか……」

「ええ。あなたも素敵な男性の一人くらいいるでしょう」

 姫の一人が、すっとグレアムくんを見る。

「そちらの騎士ナイトのような」

「そっ、そっそそそそそっそそんなこと……」

「レディ」

 グレアムくんが一歩前に出て、娘に話しかけた。

「よろしければ僕と、舞踏会に」

「はっ、はわわわわわわわ……」

 くすくす、と三人の姫が笑った。

 私も、そしてさっきはかわいそうな目に遭ったバグリーさんも、何だかホッとして、笑ってしまった。

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