第11話 二人の友達
エノーラ嬢は神妙な面持ちで部屋の中に入ってきた。それから、娘が勧めた作業机の椅子に腰かけると、自分の罪を告白し始めた。
「ヴィヴィアンとは子供の頃から一緒だったわ。父のマヌエルに、ヴィヴィアンの師が仕えていたの」
思い出す。ヴィヴィアンさんは十歳の頃からこの屋敷にいた。そしてヴィヴィアンさんの親方はマヌエル・ソーウェルに仕えていた……そうか、ヴィヴィアンさんとエノーラさんは生活圏と生活時期が重なる。
「ずっとヴィヴィアンが好きだった。彼、とってもたくましいでしょう? 小さい頃、よく庭で転んだ私を、庭師の彼は助け起こしてくれてたの。彼に手を差し伸べられると、胸がぽおっと、春の日差しみたいに温かくなって、たまらなくなるの」
その口調はまさに恋する乙女そのものだった。娘がチラッと私を見る。あら、私にもそういう年頃があったのよ?
「でもソーウェル家はお金に困ってこの屋敷を売ってしまった。屋敷と一緒にヴィヴィアンたちとも離れ離れになってしまった。私、どうしても彼に会いたくて、こっそり会いに行ったの。そしたら彼、新しい職場について熱心に話してくれた。最初、私は魔蓄で稼いだお金をお父様に使ってもらって、彼を雇い直そうと思ったんだけど、やっぱりやめにしたの。彼はこの機械屋敷が好き」
そうね、と私は微笑む。魔蓄や実験室について語る時の、彼の無邪気な顔と言ったら! 女なら守りたくなるわ。あの子供みたいな目。
「屋敷ごと取り戻さないといけない。そこで私思い出したわ。父がスキナーさんと結んでいた契約を。冷却期間一年。一年以内にこの屋敷に問題があれば、我が家は機械屋敷を買い戻さなきゃいけなくなる」
「『一年の冷却期間が迫っていた』のは、逆に言うと『一年以内じゃないと買い戻す機会がなくなる』ということですもんね」
娘の同情的な口調に、エノーラ嬢は少し口を軽くしたようだ。
「機械屋敷の勝手は知っていたわ。だって元々は私の住んでいたお屋敷ですもの」
「そうだろうと思っていました」
娘の発言に、エノーラ嬢は意外そうな顔をした。
「あら、どうして分かったの?」
「地下室に行った時、あなたこっそりお手洗いに行きましたね。中座した後ハンカチを持って帰ってきていらした。ところが庭の迷路に行く時は、一人はぐれて迷子になりそうだった……ラクダみたいな足取りで後から慌ててやってきましたよね。庭で迷子になるような方向音痴のあなたが、内装が大きく変わった地下室のお手洗いに一人で行けるとは思いません。庭は改装が大規模だったから迷子にもなりますが、地下室は室内です。部屋のおおよその配置さえ分かっていればお手洗いくらいには行けます。逆に言うと、あなたは部屋のおおよその配置を理解していた」
するとエノーラ嬢はやるせなさそうに笑った。
「そっか。そんなことで分かったのね」
「機械屋敷への潜入は簡単だったんですね」
娘の言葉にエノーラ嬢は頷く。
「合鍵も持っていたわ。元は私の住んでいたお屋敷なんですもの。ジェナさんのお部屋は入るのに少し苦労したけど、ドアは厳重だった割に窓は大きくて入りやすそうだったでしょ? あそこから入ったの。エアジャッキも少し重たかったけど、最近の魔蓄は便利ね。小型化が進んでる。使い方はヴィヴィアンに訊けば喜んで話してくれたわ。シトリウムや嫌気脂肪酸についてもそう。お屋敷の亡霊問題についてはでっち上げたわ。そうね、さっきあなたが言ったように、何かトラブルが起きてスキナーさんが一年以内の冷却期間を行使してくれれば何でもよかった。スキナーさんの動向を知りたくて、後、腕利きの探偵であるあなたの動向も知りたくて、この件に首を突っ込んだけど、結局できることなんて何もなかったわね」
悲しそうにため息をつくエノーラ嬢に、しかし娘は優しい言葉をかけた。そう、娘のいいところは、多くの男性みたいに、知性で人を攻撃しないところ。
「一度はヴィヴィアンさんに会うためにこの機械屋敷まで来たあなたです。そしてあなたは単独で四つも奇妙な現象を起こした」
あなたは行動力があります。そう、娘は続けた。
「その行動力を、もっと真っ直ぐ使いましょう。ヴィヴィアンさんに正式に申し込んでみては如何でしょう」
女性からのアプローチは、少々覚悟がいるかもしれませんが。
娘のそんな言葉に、しかしエノーラ嬢は励まされたようだった。
「あなたはどう思う? 彼、脈あると思う?」
「彼は好きなことには真っ直ぐになるタイプですね」
娘はにっこり笑った。
「きっとあなたのことも、真っ直ぐ愛してくれますよ」
「そっか」
エノーラ嬢は目元を拭った。
「ねぇ、あなたさえよかったら、私たち友達になりましょう」
エノーラ嬢の提案に、娘はにこやかに応えた。
「喜んで」
「これ、差し上げるわ。友情のしるしに」
エノーラ嬢はスカートのポケットから小さな筒状のものを取り出した。リップだとすぐに分かった。
「知ってる? 最近ランドンで流行ってるのよ。『ひと塗りで、プリンセスに』。有名なブランドのリップ。いい色なの。ほら」
エノーラ嬢がリップを手の甲に塗って見せてくれる。あら、綺麗なピンク。
「あなたは好きな人、いる? これ新品よ。もしいたら、使ってね。あなたすごくかわいいから、きっと似合うと思う」
「ありがとう」
娘は砕けた口調で微笑んだ。素敵ね。ジェナ嬢にエノーラ嬢。この二日で娘は二人も友達ができた。
「あのね、私の本名は、エノーラ・クローイ・ソーウェルっていうの。『クローイ』は親しい人にしか明かしちゃいけないのよ。貴族の二つ名って、本来こう使うの」
娘はちょっと驚いたような顔をする。しかしすぐさま心得た顔になると、コート掛けにかけていたキャスケット帽を取りに行って、鍵のブローチを手にした。それから、自分のこめかみに鍵を当てた。
「エノーラ・クローイ・ソーウェルの本名と、彼女がしたことについて守秘義務を負う。彼女の二つ名と、『機械屋敷の亡霊』事件についての情報の一切を他者に漏洩しない」
かちり。娘が自分の心に鍵をかけた。これでエノーラ嬢の秘密……二つ名と、本件に関する真相が、誰かの耳に入ることはない。
「……これで、私の口からは何も知られないわ」
娘は、それこそ、そう、春の日差しのように微笑んだ。
「スキナーさんには、うまいこと言っておくから」
エノーラ嬢はぐっと唇を噛むと、娘にぎゅっと抱きついた。世間は男の友情ばかりをもてはやすけど、女同士の友情もいいものよね、と私は思った。
*
娘はスキナー氏に対し件の亡霊騒ぎを「事故だ」と説明した。「燃える絵」と「震える石像」についてはおおよそ真実を語ったが……つまり、絵の具に含まれていた嫌気脂肪酸が燃えた、ということと、屋敷内のパイプに共振して石像が震えた、ということについてはありのままを報告したが、「浮かぶベッド」と「爆ぜる椅子」については適当な言い訳をした。いわく。
「向精神薬と室内の光線の具合がよくないんじゃないでしょうか。一度医師と相談してもいいと思います」
「魔蓄が疲弊して壊れたのだと思います。人のお尻に敷かれるものですし、もう少し強度のある魔蓄に変えてもいいでしょう」
上手い言い訳だった。真実に嘘を少々。料理に入れる愛情みたいなものね。
そういうわけで娘は無事にスキナー氏からの報酬も得て……これ、大事よね。そしてジェナ嬢とエノーラ嬢という二人の友達もできて、全て丸く収まった。
ある日、三人はお茶会を開いた。幸運にも……ええ、エノーラ嬢にとって幸運にも、機械屋敷のお庭で。
「ヴィヴィアンが好きなの?」
ジェナ嬢が悪戯っぽく笑う。
「かっこよくない? あの性格であんなにたくましかったらもうたまらないっていうか……」
あらあら、お口が少しお下品よ。
「あなたは好きな人いないの?」
ジェナ嬢とエノーラ嬢からそう訊かれた娘は、ことりと首を傾げる。それからうふふ、と微笑む。
いいわね、青春って感じ。
――『機械屋敷の亡霊』 了
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