第10話 推理
「理屈、について話しましょうか」
娘は誰に話しているのだろう? 窓の下の誰か? 目線の先に誰かいるのだろうか。必死に娘の顔が向いている方を見ようとした。だが猫の姿をした私はどうしても娘の目線に立つことができず、ひどくもどかしい思いをした。
娘はゆっくり語りはじめた。
「まず『浮かぶベッド』。これはエアジャッキですね」
エアジャッキ。私は思い出す。ヴィヴィアンさんに連れていかれた地下室でのこと。
「地下室にあった大きな箱です。あれの説明をする時、ヴィヴィアンさんは『使う際は各部屋にある通風パイプに接続しないといけない』旨を話しておられました。持ち運びができる道具みたいですね。そして実際、ジェナさんのベッドの下には通気パイプが繋がっていた。エアジャッキをベッドの下に入れて作動させれば、ベッドが持ち上げられる……つまり浮かびます。もちろんベッドの上にいる人間からすれば、その変化は文字通り自分の真下で起こっていることなので認識できません。ましてや向精神薬を飲んでいて、寝起きはほとんど夢の中に片足を突っ込んでいるような状態の、病弱な女の子からしたら、まるで魔法で浮いているような気持になるでしょう。そもそもジェナさん……フレデリーカさんは高所恐怖症だから、下を覗き込もうともしなかったはずですね。そういう意味でも、彼女は標的に好都合だった」
私は娘に気づいてほしくて目線を送りつづけた。しかし娘は気づいているのか気づいていないのか、やはり静かに流れるように、話を続けた。
「二番目の『燃える絵』。これには実は、『浮かぶベッド』が関与してきます」
娘がとんとん、と爪先を床にぶつける。
「あの絵を見た時、絵の上方、天井には、斜めに切り込んだ通風孔がありました。空気が排出されるのでしょうね。配管のことはやっぱりヴィヴィアンさんが関係しているのかな。彼から聞いた可能性はありますね」
通風孔? 空気が関係しているのだろうか?
するとそんな私の予想を、裏付けるかのように。
「嫌気脂肪酸……地下の実験室にあったジェル状の物質ですね。確か『空気に触れると燃え出す』からコルク付きの試験管に入っていたんでしたっけ」
私は思い出す。そうだ。あの実験室にはいくつか薬品があった。その内のひとつに……。
「嫌気脂肪酸。脂肪酸。油分です。油彩画の絵の具に混ぜたか、あるいは
これが「燃える絵」です。
娘はさらに続ける。
「『震える石像』。『釘を打つホロヴィッツ』さんですね。これはおそらく、犯人にとっても想定外の出来事だったんじゃないかな」
娘はとんとん、と窓枠をノックしてみせた。
「『釘を打つホロヴィッツ』を叩いた時、すごく軽い音がしました。おそらく中が空洞か、小さな空包を多く含む石を使ったのだと思います。ここにも『浮かぶベッド』がちょっと関与します。通気パイプを大量の空気が通る時、パイプは振動すると思うんですよね……」
娘は相変わらずとんとん、と窓枠をノックし続ける。
「共振、という現象を知っているでしょうか。二つの並んだベルの内、片方を鳴らすともう片方が僅かに震えますよね。あれは二つのベルの振動数が近いから起こる現象です。これが起きたんだと思います」
私は想像した。空気が通って振動するパイプ。その振動に共鳴して、震えだす石像……。
「『近くにあったパイプが震えたから似たような振動数を持っていた石像も震えた』ということです。これを裏付ける情報は少ないのですが、ジェナさんの部屋の北に娯楽室はありましたね。そのさらに北には、先程問題にした『燃える絵』の『天獄変』と、通風孔があります。ジェナさんの部屋から出た空気は、娯楽室を経て『天獄変』の上へ。『燃える絵』が作動した時に一緒に『震える石像』が発生する可能性は十分ありますね。そして実際、『浮かぶベッド』『燃える絵』と同じ日に『震える石像』は発生した。『浮かぶベッド』に連動した時にしか『震える石像』が起こらなかったのは、エアジャッキという特殊な機械を使った時しか、『ジェナさんの部屋に通じた通気パイプに大量の空気が通る機会』がなかったからでしょうね。イレギュラーが起きたからイレギュラーがあったんです」
そして「爆ぜる椅子」ですが……。
娘の推理は止まらない。
「水ソファですね、爆ぜたのは。そういえば水に触れると激しく反応する物質が、地下室にありましたね」
……あった。四角い、フィルムに包まれた金属「シトリウム」。指先の汗程度でも爆発する、フィルムを絶対に湿らせてはならない物質。
「ピンセットか何かでつまんだシトリウムを、水ソファの口を開けて放り込めばいいんじゃないかな。フィルムで包んである以上、反応はすぐには起こりませんしね。放り込んでから逃げる時間はあったはず。そして水ソファは、魔蓄で水の形を固定しているんでしたね。蓋を開けっぱなしにしていても水が漏れる心配はない。水ソファの蓋を開けてからシトリウムを持っていくことも可能だし、おそらく蓋を開けた状態で上に座っても水は漏れない。あの蓋は多分、魔蓄をメンテナンスする時に内部を見ることが目的なんでしょうね。決して中にある水を留めておくことが目的じゃないんだと思います。とにかく、水ソファの中に放り込んだシトリウムが水と激しく反応して爆ぜた。ソファの残骸の、脚の部分が焦げていたのは、この反応が理由でしょう」
一通り説明が終わると、娘は鼻から小さく息を漏らした。あの小ぶりな鼻。赤ん坊の頃はもっと小さくて、食べちゃいたいくらいだった。今でも食べたくなるけど。
「さて、あなたのことです」
娘は丁寧に語りだす。
「人の恋路を邪魔する奴は、と言いますが。今回はちょっと悪戯が過ぎます。『浮かぶベッド』、『震える石像』くらいなら無害ですが、『燃える絵』と『爆ぜる椅子』は危険でした」
ねぇ、エノーラさん。
ここに来てようやく分かった。娘は窓の外に話しかけているんじゃないのだ。娘は、そう、窓が連なっている、隣の部屋に話しかけていた!
「ヴィヴィアンさんですか。目的は」
そしてようやく、娘の話し相手が娘に応えた。それはエノーラ嬢の、追い詰められたような小さい声だった。
「そっちに行くからちょっと待ってて」
娘は静かに「ええ」と応じた。それから足元の私に気づくとにっこり微笑んで……かわいらしいったら……ドアの方に歩いていった。エノーラ嬢はドアを開けてすぐのところに立っていた。
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