第40話 人集め

「グレアムくん、町に戻って男の人たちを集めることは可能ですか?」

「できますが……」

 グレアムくんは困惑したような顔になった。

「しかし町に戻るのは危険です」

「グレアムくんだけなら問題ないでしょう」

 今度は彼の表情が強張った。

「あなただけを置いてはいけない!」

 しかし娘は優しく笑った。

「大丈夫です。ラッキーでしたから」

 娘は手にした「2」の紙を示した。

「不明戦車から一番遠いところに飛ぶことが出来ました。今からサイコロを振れば多少の前後はあれども不明戦車の方に近づくだけです。もしかしたら一気に飛び移れるかも」

 そうなったらそうなったでまた飛ばないといけないんですけどね、とつぶやいてから娘は続けた。

「人集めをしましょう」



 それからグレアムくんが町の方に駆けていくのを見守ると、娘は私に一言「加護の魔法使える?」と訊いてきた。お安い御用。私は一度猫の姿に化けると呪文をつぶやいた。これで娘の周りには目に見えない障壁が出来て、ある程度の攻撃から身を守ってくれる。呪術的干渉からも、物理的干渉からも。受けきれる力に限度があるけれどもね。

 私は再びカバンの姿に化けて娘の肩にぶら下がる。何、障壁が壊されたらまた張ればいい。そんなつもりで娘に事の成り行きを任せることにした。しかし娘は私の予想を遥かに超える行動をとった。

「オリガお婆さん!」

 娘はグレアムくんの生家に戻ったのだ。壁にかかっていた巨大な魔蓄時計を手にし、おそらく伝言を伝えるためのものと思われる白い鳩たちにあれこれ指図をしているオリガ婆さんの近くで、娘は姿を晒した。それから叫んだ。

「私はここ! 御用がありましたら不明戦車のところへ来てくださいな。シュバルツベルグ山の近くです!」

「お待ちぃぃ!」

 オリガお婆さんが鬼もかくやと言わんばかりの形相で包丁を振り回す。穏やかじゃない。大丈夫かしら。

 しかし娘はサイコロの耳飾りを外すと掌で転がした。即座に世界が歪んで崩壊していく。うぅ、気持ち悪い……と思った頃には大きな岩の陰に来ていた。近くにあった「5」の札を娘は回収した。

「これで『5』に飛んでくることはない。近くに奥様たちは……」

 と、岩陰から辺りを見渡す。

「いる! お母さん、拡声の魔法を」

 呪文をつぶやく。娘の声が高らかに拡張されて草原に響く。

「奥様方! 私に御用があれば不明戦車のところまで! シュバルツベルグ山の近くです!」

 草原をかき分けて歩いていた女性たち……ざっと見ただけで四人……が一斉にこちらを向く。

「小娘!」

「覚悟をおし!」

 足早にこちらに向かってくる。娘はすぐさまサイコロを振った。

 世界が揺れて今度は小さな谷の下に来ると、娘はやっぱり札を回収した後周囲を見渡して、追手たちに「不明戦車の近く、シュバルツベルグの麓」に行くよう誘導した。

「問題は、グレアムくんが男の人たちを連れて行くのより早く不明戦車の傍についてしまうかもしれないことだね」

 娘はちょっと考えるような顔になってからつぶやく。

「お母さん、迷彩の魔法は?」

「使えるわよ」

 さっきから使えるのに使わなかった魔法たちはあなたたちお若い二人の仲を邪魔しちゃ悪いと思ったから使わなかっただけで、これでも魔法の分野で政府に勤めていた人間です。あれくらいの困難を抜け出すくらい訳ありません。

「じゃあ、最悪隠れていればいいね。どんどんやっていこう」

 それから娘はこちらを捜索する追手の女性たちをどんどん不明戦車の元へと案内していった。サイコロは「3」「4」と飛んで町中のホテルである「1」に飛び……娘はここの窓からも女性たちを煽ってサイコロを振った……最終的に「6」、不明戦車から少し離れた場所に置いていた札のところへ飛んだ。草むらに身を潜めて様子を見ると、グレアムくんが大勢の男性を連れて不明戦車の近くへ来たところだった。

「グレアム!」

 誰だったかしら、不明戦車の傍で陣取っていたあの女性……ブリヘーリヤさん? がグレアムくんに詰め寄った。

「あの小娘は?」

「小娘じゃない! 俺のレディだ!」

「おお、おお、グレアム」

 この女性は確か……ヤニーナさん。

「いいかい、世界の半分は女なんだ。あんなの捨てちまいな。もっといい子が……」

 と、グレアムくんが腰の剣に手をやった。

「次、俺のレディを侮辱してみろ。ヤニーナさんだろうがブリヘーリヤさんだろうがただじゃおかない」

 と、私が娘を見やってみると娘は頬を薄く染めて両手で顔を包んでいるところだった。呑気ねぇ。まぁ、それだけ優勢ということでしょう。

「グレアムくん!」

 娘がいきなり草むらの中から姿を現した。途端に、少し離れたところから大声が聞こえてくる。しわがれた声。女性の声。町の女たちだ。

「レディ!」

 グレアムくんがすぐに娘の元へ駆け寄る。

「俺の後ろへ!」

 すると町から連れてこられた男たちが下卑た笑い声を上げる。

「おお、おお、グレアムも男になったか」

「娘っ子一人にあんな見栄が切れりゃ一人前だわな」

「にしても別嬪だなぁ。いいなぁ、グレアム」

 しかし呑気な男たちをよそに女たちは手に武器を持って包囲網を狭める。グレアムくんが後ろ手に娘を抱き寄せた。娘は目を潤ませながら彼に従った。

「何か、考えがお有りなのでしょうが……」

 グレアムくんの声には緊張が滲んでいる。

「俺から決して離れないで」

「はい。離れません」

 しかし包囲網を縮める女たちの前に覚悟を決めたのだろう、グレアムくんがつぶやいた。

「……愛しています、レディ。この世の誰よりも」

 娘がハッと息を呑んだ。それからグレアムくんの背中に身を寄せる。

「わ、私も……」

「ちょっとちょっと」

 私は声を上げる。

「いいところを邪魔して悪いけど、さっさとこの状況を打破してくれない? このままじゃ干し草と一緒に干されてしまいますよ」

 と、娘は照れたように笑顔を私に向けると、拡声の魔法をもう一度使って声を張り上げた。

「クリスホイドの奥様方」

 それから娘はこう続けた。

「愛する人からの手紙は確かに大事だと思います」

 ……手紙? 何の話をしているのかしら。

 と、思って私はすぐに思い出す。オリガ婆さんの家。娘が抽斗に手紙がしまってあることを見抜いた途端、お婆さんの態度が一変した。

「奥様方のお母様やご家族の、あるいはお祖母様の大事な手紙に関する証拠が政府に握られたら大変でしょう……何せ当時の壁の向こうから運ばれた手紙、見方によっては内通の手紙ととられても仕方のないものを、皆さん隠し持っていらっしゃるのですから」

 武器を持った女性たちが黙った。娘は続けた。

「不明戦車は戦車じゃありませんでした」

 品よく、礼儀正しく、娘が続ける。

「キャタピラに鎖で動く装置、そして銃座。この銃座を見て、ヴァルデマル中佐は『これは戦車だ』としました。しかし私はこの仕事をするに当たってまず先入観を捨てることをしました……すなわち、これは長方形の穴が開いた、車輪で駆動する金属の箱である、と見ることにしました。それも耐久性が低い代わりに軽量で運びやすいカルミニウムで出来た箱です。その時点である仮説が浮かびました」

 娘の推理にその場にいた男性も女性も聞き入った。私は何だかゾクリとした……これ、これよこれ! ああ、アウレールが学生時代、演説台に立って弁を振るう時のようだわ。娘にもちゃんとその血が受け継がれていた。私は娘を誇りに思うと同時に先が気になった。娘はどんな論理を導いてくれるのだろう。

「カルミニウムは容れ物や機密情報を運ぶカバンなどに使われる素材です。おそらくですが、この不明戦車もそのような用途で使われたのではないでしょうか」

 誰かが武器を取り落とした。そしてそれを合図にしたかのように多くの女性が手にしていた道具を放棄した。

「ご覧ください。壁の向こう側、旧テュルク帝国領地の側には郵便局のようなマークがあります。ヴァルデマル中佐の説明では、この不明戦車の反対側には捕虜収容施設があったそうですね。その中に郵便局マーク。きっと、捕虜たちの手紙を集めていた場所なのでしょう」

 男たちも黙って聞く。

「捕虜。テュルク帝国にとっての捕虜です。すなわちクランフ帝国の人間」

 娘の声が壁の残骸に反響する。

「クランフ帝国の人間が収容された施設の中にあった郵便局のマーク。そしてその向こうにあった

 ポストです。娘は断言した。

「不明戦車は動くポストだった。わざわざカルミニウムの箱にしたのは、例えば戦火で壊滅的な被害を受けた時でも手紙だけは戦車の中に残しておけるように。そして事実、あの戦車の中には……」

「やめておくれよぉ」

 一人の女性が叫んだ。

「それはまだ取り出せていないんだ。後生だから頼む。政府の手に渡ったら密偵容疑がかかっちまうんだよぉ。それに、仮に容疑がかからなかったとしても……」

「戦争の資料として没収される可能性がある」

 娘は静かに続けた。

「不明戦車は壁を越えて男性と女性が愛を誓う道具でした。その中に隠された愛の手紙。当然、誰の手にも渡したくない」

 気持ちは分かります、と娘は続けた。

「このクリスホイドでは男性と女性の間に心理的壁があると聞いています。それが邪魔をしていましたね。あなたたち女性は自分たちだけで戦車を解体しようとしていた……忙しい家事や仕事の合間に」

 娘は背後に並んだ男性たちを見やった。

「戦車の解体には技術と腕力が必要でしょう。もう過去の風習に凝り固まるのはやめにしませんか。あの戦車の中には、こちらにいる町の男性たちの親類が残した手紙も入っていることでしょう。目的は同じなのです。愛する人の手紙を大事に取っておきたい。いいんです、百歩譲ってこのままかつての慣習の通りに生きるとしても、今この時だけ、手を取り合いませんか」

 すると、背後にいた男性の一人が唐突に歌い出した。それはあの歌だった。


 ああどうか

 届きますように、神様

 私のこの想い

 私のこの気持ち

 心からしたためますので

 どうか


 それに触発されたように、女たちが歌い出した。


 時の神様

 どうか私をつれていって

 あの人のいた頃へ

 それか

 あの人の来る時へ


「戦車が時の神様と呼ばれていたのは……」

 娘は歌の終わりに告げた。

「この不明戦車は少なからずその見た目から戦車の一種と捉えられていたのでしょう。現代の人間が考えたことと同じことをかつての人間も考えた。クリスホイドの人間にとって、この『戦車』は『戦争の終わり』という未来を目指して想いを伝える『時の道具』だった。だから戦車が時の神様の隠語になった」

 と、背後の男性の一人が叫んだ。

「何だよぉ! 何でそんな大事なこと黙ってたんだ」

「俺でよけりゃ力貸すよぉ」

「あのなぁ、心の壁があったって妻や家族なんだ。何だってするさ!」

 すると、男たちがずんずんと女たちの傍に寄って、彼女たちが取り落とした道具を拾った。中には金槌や金梃子があった。

「ここにある道具で何とかなるか?」

「俺、町へ行って道具とってくるよ!」

「まずは戦車の造りを見ることからだなぁ」

 その様子を見て、娘は小さく微笑んだ。それから帽子につけた鍵のブローチを手に取って、涙に濡れて、男たちの唐突な優しさに呆然とする彼女たちに向かって告げた。

「これは心に鍵をかける道具です」

 それから娘は自分のこめかみに鍵を差し込んだ。

「クリスホイドの歴史と不明戦車の正体について、一切の情報を秘匿する。町民全員の許可を得ない限り当該情報を口にしない」

 カチリ。魔法の音がした。そしてそれは男たちが不明戦車に接触し始めた音でもあった。女たちは顔を見合わせて男たちの傍に寄った。温かい空気が満ちていた。

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