第41話 屋敷

 その後、町の男たちが不明戦車の用途について分析した。学者風の男性があれやこれやと難しい言葉を並べていたが、簡単にまとめると、不明戦車は壁の向こう側に鎖の先を固定し、戦車内部の滑車を回すことで戦車そのものを牽引し、壁伝いに上り下りをすることで壁を乗り越え、手紙を届けるという設計のものだったらしい。ただこれはかなりの人力を必要とするため、実際に運用されたのかは謎らしい。屈強な男性三人がかりくらいなら何とかなりそうな気配があるそうだが、不明戦車の中に男性が三人入るのはちょっと窮屈そうに見える。あるいは剛力の魔法がかかった手袋などで、操縦者の腕力を強化していた可能性は否定できないと私は思ったが。

 何にせよ不明戦車は壁の向こうとこちらとを行き来する動くポストだった。男たちが戦車を解体した結果、その結論に間違いはなさそうだと太鼓判が押された。

「とはいえ……」

 私は不安を滲ませながら娘を見た。すると娘も困ったような顔をしてこちらを見た。

「問題はヴァルデマル中佐だよね……」

 町の男たちと一緒に不明戦車について話し合うグレアムくんを見て、私は娘に提案した。

「中佐に忘却の魔法でもかけましょうか」

「いや、ヴァルデマル中佐を押さえてもキンバリー外交官がいるんだよね。そもそも今回の依頼はキンバリー外交官からのものだし」

 それから娘は思い切ったような顔をして、町の男性たちに声をかけた。

「すみません、その戦車、跡形もなく解体してしまうことは可能ですか?」

「できなかぁないが……」一人の男性が怪訝そうな顔をした。

「そんなことしてどうしようって言うんだい?」



〈前略。不明戦車の件について報告です。問題の戦車が見当たりません。使途不明の戦車とのことでしたが、何か迷彩の魔蓄が仕込まれていたのではないでしょうか。当方の持ちます探索魔蓄では感知できず、やむを得ず捜査を断念いたしました。軍の所有する精度の高い探索魔蓄の使用をおすすめします。見つかり次第、本件について再依頼していただけますと幸いです。一旦本件を返却いたします〉

 娘は一枚の鉄のカード、打鍵手紙にそのようなメッセージを打ち込んでいた。クリスホイド外れの家。グレアムくんの生家、オリガ婆さんの住む家でのことだった。

「あんた、悪かったねぇ」

 オリガお婆さんは事あるごとに娘に謝罪した。

「まさかあんなに気の付く子だとは、思いもしなくて……あ、いや、あんたが気の付かない子だと思っていたわけじゃないよ。ただ、余所者であそこまで気を回してくれる人なんてそうそう……」

「分かりますよ」

 娘は微笑みながらお婆さんに返した。

「部外者が秘密に堂々と踏み込めば警戒心も高くなります」

 オリガお婆さんはにっこり笑って、本当に岩みたいな大きさのロックケーキを持ってきた。娘はちょっと笑うとお茶とケーキとを慎ましくいただいた。

 グレアムくんはと言えば、ちょっと疑心暗鬼な目でオリガお婆さんを見て、それでも懐かしいロックケーキに舌鼓を打って、また警戒しながらお茶を啜って、それからほっと一息ついた。オリガお婆さんが笑いながらグレアムくんに提案した。

「あんた、その素敵なレディにあんたの思い出の場所を案内してやったらどうだい?」

「俺の……?」と首を傾げたグレアムくんにオリガ婆さんはちょっと暗い顔をしながらも顎をしゃくった。

「沼屋敷の方とか。あそこには綺麗な池や川があるだろう。あたしゃもう何十年もあの辺りには行っていないけどね。でもほら、この辺りでデートと言えば……」

 娘が顔を真っ赤に染めた。

「でっ、でででっでででっ」

 照れた娘のことをニヤニヤと見つめて、オリガ婆さんが告げた。

「グレアム、連れていっておやりよ。あそこにはあんたの心配事ももうないしね」

 あの人は越したからね。

 そうつぶやいてオリガ婆さんは台所に引っ込んだ。あの人、が誰のことを指しているのか、私は気になったが娘はそれどころではないようだ。

 グレアムくんが考えるように押し黙った。それから娘に訊ねた。

「レディさえ行きたければ、俺のかつての仕事場に案内します」

 娘は首を傾げた。

「仕事場?」

 ええ、とグレアムくんは頷いた。

「子供の頃、沼屋敷の召使として働いていて」



 かくして沼屋敷の近くに私たちは来た。

 グレアムくんの案内で訪れたその屋敷跡は、薄暗い雰囲気でちょっと不気味だったけれど、ガロック様式と思しき装飾は遠目には美しくて、娘はちょっと感激しているようだった。

 沼屋敷、というだけあって周囲は湿地帯で、そこかしこに水溜りがあった。近くを大きな川が流れているのか、水の音もどこかからする。グレアムくんの案内で、私たちはいくつかの池や小川を回った。どこも水が綺麗で、水鳥や魚が楽しそうに泳いでいた。屋敷の装飾品や展示物が沈没したのだろうか、池にも川にも石像の土台と思しきものや石柱がいくつか沈んでいた。手の形をした石や頭部と思しき石も、よくよく見ると落ちていた。

「俺はあの小屋に住み込みで働いていて」

 しかしグレアムくんはそんなものには目を止めず、ぽつぽつと話した。遠い目をして池畔の端から見える屋敷のお庭を示す。隅の方に、かわいらしい小屋があった。どうやらあそこが召使の住居だったようだ。

「あなたはどういう経緯で騎士になったの?」

 私が訊くと彼は答えた。

「十四の時に姉の紹介でゲルリンの美術館警備の仕事に就きました。そこである日子供の窃盗犯を捕まえたら、表彰されて、まずは国家警備団の仕事に。そこからとんとん拍子で騎士団試験を受けて、去年から騎士として働きだして……」

 で、レディと出会った。グレアムくんのまなざしを受けて娘が照れる。

「お姉さんに感謝ですね」

「ええ、本当に」

 と、娘とグレアムくんは二人並んで静かに池畔を歩いた。羽毛で頬をくすぐられるようなじれったい空気がしばらく流れていたが、グレアムくんが急に、ある場所で立ち止まった。それは何だかいきなり顔面を引っ叩かれたかのような立ち止まり方で、私も娘も、何かあったのかと彼の方を見た。彼の目線の先には、ただ池が広がるだけだった。先程と同じ、欠けた石像が落ちていて水鳥の泳ぐ池だけがあった。

「何か?」

 娘が訊く。しかしグレアムくんは静かに呼吸をすると、それから答えた。

「いえ、何も」

 奇妙な沈黙だった。娘もそれに勘付いているようで、首を傾げてグレアムくんの視線の先を見た。葦が伸びて蓮の葉が浮かぶ池があった。傾いて沈んでいる石像は女性の像らしく、胸が美しく尖っていた。

 彼の顔は蒼褪めていた。娘が心配した。

「あの、大丈夫ですか」

 グレアムくんは眉間を揉んで首を振った。

「ええ、レディ、レディ、大丈夫です。……あ、そう言えば、あっちの小川は美しい湖に繋がっています。そろそろ日も暮れるし、きっといい景色が……」

 無理矢理誤魔化しているように見えた。しかし娘は気にしないことにしたようだ。

 それから彼に連れていかれた湖の美しいことと言ったら! 

 湖面が夕日を反射して、いくつものトパーズが並んでいるかのようだった。あるいは橙色に染まった川魚の鱗か。娘も感激したように見入った。

「綺麗……」

「レディと見られてよかった」

 グレアムくんが娘の手を取った。まぁまぁ、私の前で大胆な。

「また来ましょう」

 娘は静かに頷いた。それからオリガ婆さんの家に二人並んで帰っていった。


――『不明戦車の届け物』 了

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