第8話 震える

「分かったの?」

 私が訊くと娘は首を横に振った。

「まだ分からないところがたくさんある」

 すると娘はアビーさんの方に向き直ってこう告げた。

「石像を見たいです。ご案内いただけますか」

「ええ、もちろん」

 アビーさんがヴィヴィアンさんに合図を送って歩き出す。ヴィヴィアンさんはまだあの機械迷路に関心が持っていかれていたのだろう、少し名残惜しそうについてきた。そう言えば彼は庭師も兼ねていた。あの迷路は彼の仕事なのだろうか。そう思うと私はますます男の人というのが分からなくなった。あんなものが好きになるなんて。


 *


 娯楽室は屋敷の中央に位置するようだった。この屋敷の部屋の配置を簡単に思い出すと、屋敷の南側に玄関があり、西側にさっき私たちがいた庭があり、南側、玄関から少し北に寄ったところにジェナ嬢の部屋があり、そのさらに北に娯楽室がある、というような配置だった。娘はきっとこういうことも頭に入れて考えているはず。

 しかし、やはり私には駄目だった。いくら頭を捻っても仮説のひとつ湧きやしない。しかし娘はもう石像に当たりをつけて動き出している。仕方ない。ここは母親として娘の行動の行方を見守るか。そんな決意をして娘についていく。

 娯楽室は機械屋敷のごてごてした印象の割におとなしい造りだった。ボードゲームの類がいくつかしまわれた棚がひとつ。テーブルがいくつか、くつろぐためのソファも少し、喫茶スペースもある。

 問題の石像はそんな娯楽室の入って正面の壁にあった。壁に向かって屈む男性の像。回り込んで覗いてみると、壁に釘を打とうとしている男性の像だった。なるほど、「釘を打つホロヴィッツ」。

「この石像が?」

「ええ、震えて動いたんです」

 娘が石像に近づく。ヴィヴィアンさんが言うには、表面をこんがり焼いた石像のようだ。確かに、石の表面が焦げたようなくすんだ色になっている。

 こんこん。娘が石像を叩く。軽い音。娘はそれを確かめると、今度は天井を見上げた。か細い声でつぶやく。

「この部屋にパイプは……?」

 ヴィヴィアンさんがすぐに応じた。

「通気用のものが、天井と壁、それから床に。この部屋は屋敷の中央にあるので、改造の手が及びきっていないのです」

「そうですか」

 娘は興味を失くしたように姿勢を正すと、ふらふらと娯楽室の中を歩いて回った。

「変わった椅子ですね」

 と、室内にある二人掛けのソファを示して微笑む。確かに何だか、ぽっちゃりしたソファね。丸っこいと言うべきかしら。

 娘がそのかわいらしいソファを、柔らかさを確かめるように触って、つぶやく。

「革袋に水を詰めてクッション代わりにしているんですか?」

「おっしゃる通りです」アビーさんが頷く。

「通常の革袋ですと水で革が傷んでしまうのですが、この長椅子に使われている水は魔蓄である程度形状を固定しているものだそうです」

「そうなんです」やっぱりヴィヴィアンさんが口を挟む。

「さる高名な魔法使いの方に水を操る術を魔蓄に閉じ込めていただきまして。魔蓄を中心に球を描くような形で水を固定するようになっています。なのでこの座布団クッションは厳密には、革、空気、水、の三層構造になっています。これが素晴らしい座り心地を……まぁ、是非座ってみてください」

「はぁ」

 娘がお尻をソファに落とす。

「まぁ、素敵」

 あら、いつの間にかお上品なコメントができるようになったのね。

「座布団部分の構造が知りたければ、ほら」

 と、ヴィヴィアンさんが娘の隣にある座布団を手に取り、革袋の側面についていた蓋のようなものを開ける。

「ご覧になっていただければ。三層構造が見えます」

 蓋の外れた穴を覗く。革袋の中に、ころんと丸い、大き目の水晶のような水の塊がひとつ。まぁ、確かにちょっと神秘的な景色かも。きっと腕のいい魔法使いさんの仕事ね。

「素敵なものを見ることができて嬉しいです」

 娘がすっと水ソファから立ち上がる。

「大人しい娯楽室なんですね」

 娘が私と同じような感想を持ったようで、何となく嬉しくなる。

「私がいた頃と変わりませんわ」

 エノーラ嬢が澄まして告げる。

「さる高名な方もこの部屋でもてなしたことがございましてよ」

「ええ、そうでしたね」ヴィヴィアンさんが微笑む。

「あの頃と内装は変えていません。壁や床や天井の中は、色々弄りましたが……。子供たちの憩いの場でもありましたね」

「ヴィヴィアンさんは」娘が静かな目で彼を見つめる。

「いつからこのお屋敷で?」

 するとヴィヴィアンさんは照れ笑いをしながら答えた。

「まだ十の子供の頃からです。親方の下で庭仕事について学んでいました。庭師はだいたい、その屋敷の当主に仕えるものですが、親方はエノーラお嬢様の父、マヌエル・ソーウェル様に仕えていました」

「なるほど」

 娘の目の前で「?」が書かれたメモ帳と鉛筆とがふらふらと動き回る。いい子ね、メモがメモを取っているわ。

「燃える絵が見たいです」

 唐突に、娘が口を開いた。みんなちょっとびっくりしたような顔になる。

「構いませんが……焦げておりますよ?」

 アビーさんが顔を曇らせると、娘は静かに告げた。

「問題ありません。できれば、発火した当時の状況を再現してほしいです」

「か、かしこまりました……」

 アビーさんがそそくさと動き出す。

「用意しておきます。ヴィヴィアンさん、少しの間皆様をご案内していただけますか」

「喜んで」

 ヴィヴィアンさんが私たちを先導する。

「こちらへ。美術室に行きましょう」

 そういうわけで私たちは、「燃えた絵」の再現を待つ間、美術室へと行くことになった。私はポシェットに変身すると娘の肩にぶら下がった。



「正直にお答えしてもらってもいいですか」

 美術室。

 中にある展示物が変わっていたらしい。エノーラ嬢も興味深そうに展示品を見ていた。どうも機械屋敷にちなんだ物らしく、石炭採掘機に使われた送水管の一部だったり、採掘機初号機、最新型の魔蓄の模型など、やっぱり男性受けしそうな品々ばかりが飾られていた。娘はそんな展示品を見るふりをして、ヴィヴィアンさんに近づいた。

「スキナーさんの事業は今どのような状況なんですか?」

 女の口から「事業」なんて言葉が出たからだろうか、それとも急に自分の仕事に関わることを訊かれたからだろうか。ヴィヴィアンさんはちょっと狼狽えると声を潜めた。

「どう、とは?」

「資金繰りに苦しんでいませんか?」

 娘の直球すぎる言葉にやっぱりヴィヴィアンさんはびっくりしたような顔をした。

「庭師の僕にそのようなことを訊かれましても……」

「庭師だから、分かると思います」

 娘は譲らない。

「羽振りがいいか、悪いか。直感でいいです。お答えください」

「羽振りはいいですよ、そりゃあ。この屋敷を見てください」

 ヴィヴィアンさんは辺りを見渡す。

「こんな改造、金持ちじゃなきゃできない」

「やりすぎたという説も否定できません」

「つまり、自宅の改造に金を使い過ぎて事業が苦しくなるような?」

「そうです」

「スキナーさんはそこまで間抜けじゃありません。それに、魔蓄産業はこれから成長していく分野です。将来性こそあれ、資金繰りに困るようなことは……」

「なら、いいんですが」

 娘が一息ついて目の前の展示物を見る。どうも古い歯車のようで、ところどころ錆びて歯が欠けているパーツだった。ただ注釈を見るに、「世界最古の魔蓄に使われた歯車」とある。最古の魔蓄、という言葉についてさらに注釈がついており、どうもこの展示が言うには「魔法が栄えた頃、魔法使いが魔法を使えない人に与えた箱のような装置のこと」を指しているらしい。

「分かったことがあるんです」

 娘がそんな歯車を見て、小さく告げた。

「スキナーさんからは『魔蓄で作られた特殊な家具が破壊された』と聞いています」

「はぁ」

「壊されたのは先程の水ソファですね?」

 ヴィヴィアンさんの顔が、今度は目に見えて驚きに染まる。泡を食う、というような顔か。

「どうしてそれが……?」

 すると娘が、やっぱり。

 夫が見せたような、上品で慎ましい笑顔になって、再び展示物を眺めた。娘が見つめるとこの歯車にも意味があるような気がしてきた。

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