第7話 燃える

「この実験室には他にも色々あります。例えば、プラチニズム。鉄屑を金に変える液体ですが……これの問題点は、経済面です。プラチニズムを買うのより同じ量の金を買った方が安くつくんですよ。錬金術ってうまくいかないものですね。あっ、それはカルクォールです。不思議でしょう? その液体は燃焼するのですが、その火をつかんでも熱くないんです……」

 まぁまぁ随分おしゃべりになること。さっきまで大人しかった紳士が嘘みたいだわ。アビーさんも何となく引きつった顔をしていらっしゃるし、もしかしたら暴走気味なのかも。まぁ、男性ってそういうところあるわよね。

「危険なものが多いみたいですね。何に使うんですか? 兵器でも作っていらっしゃる……?」

 娘の言葉にヴィヴィアンさんが答える。

「いえ、基本的には魔蓄を用いた機械の開発を行っています。最近は石炭の採掘だけじゃ儲からなくて……。独自性のある機械を開発しないと苦しいんです。まぁ、経営状況を見るにもうしばらくは……」

 と、アビーさんが咳払いをした。ヴィヴィアンさんの表情が凍る。

「おっと失礼。しゃべりすぎました」

「魔蓄機械の開発ですか……」

 娘が地下室中に目を走らせる。

「面白いですね」

「失礼」エノーラ嬢が中座した。お手洗いかしらね? 

 娘がメモ帳に「?」を書いた。

「ジェナさんについて、お二人のコメントをいただいてもよろしいですか?」

 構いません、とアビーさんが口を開いた。

「ジェナ様は当家ではフレデリーカ様と呼ばれております。もっとも、『フレデリーカ』呼びは親族の間のみで、私共が呼ぶ場合、それとお嬢様を外部に紹介する際は『ジェナ』とお呼びすることになっております。本名はジェナ・フレデリーカ・スキナーです」

「早速矛盾があるのですが」

 娘が鉛筆を握った手を挙げる。

「スキナーさんは事務所に依頼をしに来た当初、私に娘さんの話をする際『フレデリーカ』呼びでした」

「推測するに」アビーさんが応じる。

「捜査に当たって発生し得る名前という障壁を取り除きたかったのかと。現に私も『本名については包み隠さず話せ』という指示を受けております」

「アビーさんの名前にも秘密が?」

 娘が訊くと、アビーさんはすっと背筋を伸ばして答えた。

「当家に来てから二つ目の名前をいただきました。アビー・アビントン・ミッチェルです」

「使用人に二つ目の名前をつける制度はソーウェル家の時からあったものですか?」

「あ、いえ。それは違います」ヴィヴィアンさんが口を挟む。

「私には二つ目の名前がありません。スキナーさんは送ってくださいましたが辞退しました。私は『ただの』ヴィヴィアン・ヘイシェルウッドです。ソーウェル家には使用人の名前の制度はなかった」

「これも推測ですが」アビーさんが静かに繋いだ。

「ご主人様は貴族社会に憧れがあるのかと」

 ははぁ、だから二つ名をつけてかっこつけたいのね。

「ちなみにスキナーさんにも違う名前があるの?」

 私の質問にアビーさんが答えた。

「ございます。アルフ・エイベル・スキナー」

 ふうん。「エイベル」か。確かにそんな名前の貴族の方がいらっしゃったような。

 と、話をしているところにエノーラ嬢が静かに戻ってきた。手にハンカチを持っている。やっぱり、お手洗いかしら? レディはもっと品よく行くものだけれど、まだ若いからかしらね。

「まぁ、名前の話はさておき」

 ヴィヴィアンさんが何かを誤魔化すかのように手を広げる。

「庭でも見ませんか? りっぱな迷路があるのです」

 あら、迷路。素敵ねぇ。お屋敷のお庭って感じ。

 私がしゃなりと背筋を伸ばしながら娘の足下によると、娘は私を抱き上げてくれた。その流れで私はポシェットに姿を変え娘の肩にぶら下がる。

「参りましょう」

 ヴィヴィアンさんの案内で、庭へ……。



 立派な迷路……なのだけれども。

 何だか幻滅。私が想像していたのは、植え込みをカットして作った「緑の」迷路だったのに……。

 目の前にあったのは木に無理矢理機械を繋いだような、悪趣味な、歪な迷路だった。具体的には、自動回転する木の板のどんでん返し、水車に床をつけたような、観覧車みたいな仕掛け床、池の上でキラキラ光る謎の足場……ハッキリ言って、かなりセンスが悪い。

 まぁ、機械屋敷らしくはあるのかしら。男性が喜ぶ……のかも? よく分からないわ。カバンであることをいいことに、呆れ顔を隠していた私に、娘が訊いてくる。

「入りたい?」

「遠慮しておこうかしらね」

「じゃあ、話を聞こう」

 娘がアビーさんのところへ行く。メモ帳にはやっぱり疑問符。

「燃えた絵について教えてください」

「承知しました」

 機械の指をもう片方の生身の指で握りながら、アビーさんが淡々と話し始める。

「ジェナ様が『ベッドが浮かぶ』という訴えをする直前のことです。早朝、使用人の一人がボヤ騒ぎを報告しました」

「事件が起きたのは朝なんですね」

「はい早朝に。北側の廊下に飾っておりました『天獄変』という絵が燃えました」

「どのような絵ですか?」

「油彩画です。天国の牢屋、『天獄』で起きた騒動のことを描いた絵です。天使が見張りをする獄の中で、囚われている悪魔たちが暴動を起こす、というような絵ですが……」

「その絵が燃えたんですか」

「ええ。まるで絵の通りに……と言いますのも、『天獄変』の絵の中央には悪魔の焚いた火がございまして」

「なるほど」

 と、視界の端にエノーラ嬢が見えた。どうやら庭に出てくる時に迷子になったらしく、慌ててこちらの方にやってくるのが見えた。何だかラクダみたいに不格好な歩き方をしている。

 しかしアビーさんは彼女に構わず話し続けた。

「その日起きた事件はそれだけではございませんでした」

「というと?」

 娘が首を傾げる。アビーさんはすっと目を閉じた。

「私が目撃いたしました」

 それから静かに、目を開ける。

「娯楽室の石像、『釘を打つホロヴィッツ』が震えはじめたのです」

「石像が震える」

 娘がメモ帳に「!」を書いた。

 すぐさま鉛筆がメモの表面に文字を綴る。


〈スキナー氏の証言:娯楽室の石像が勝手に動き出した。アビーさんの証言:娯楽室の石像が震えはじめた〉


 一致する。もしかしたらスキナーさんに石像の件を報告したのはこのアビーさんなのかもしれない。

「どんな石像ですか?」

 娘が訊くとアビーさんは少し困った顔をした。

「不思議な像です。いえ、像自体は、壁に釘を打つ男性を象ったものなんですが、その、像の材質、と言いますか……」

「それについては僕がお答えしますよ」

 不意に、迷路に熱中していたヴィヴィアンさんが話に入ってきた。

「『釘を打つホロヴィッツ』像の表面には、先程実験室でお見せしたシトリウムを薄く塗布して霧吹きで水をかけています。なので石像ですが表面がこんがり焼けているのです」

「燃えた石像ですね」

 娘がつぶやく。そしてまさか、と私は思った。私は猫に化けて足下に着地し、娘の顔を見上げた。

 ああ、あの目! 夫の目だわ。ルビーとエメラルドのオッドアイ。東クランフ人独特の目の色。魔法も使えない、機器も生み出せない、才能も器用さもない無骨な人種だけど、物事の本質を見極めたり、哲学的な問答をするのに向いた頭脳を持つ、あの東クランフ人の穏やかで深い目! 

 若い頃の私は夫のあの目に射抜かれた。あの目を見て私の全てを捧げると魔法に誓った。そして実際、私は夫に全てを捧げた。夫も全力で私の愛に応えてくれて……その結果として娘が生まれた。そしてどうだろう! 私によく似た娘の顔には、夫のあの目が据わっている! 魔法の才能は引き継がなかったけれど、夫の賢いその頭脳が、娘の頭蓋骨の中に埋まっている! 

 ああ、そして、分かったのだ。娘には既に謎のいくつかが解け始めていた。いつも娘は言うのだ。私が「どうして分かったの?」と訊くと、まるで夫のような口調で、こう。

「だって……簡単だよ」

 ああ、私は今も。

 娘にそう言われることを、待ち望んでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る