第35話 時の神様

 バグリーさんの時と違って、ヴァルデマル中佐は列車を手配してくれないどころか、クイーンズクロス駅に行くまでの馬車さえ用意してくれなかった。私は早くもやる気を失くしたというか、娘に何度か「行くの?」と訊きさえした。しかし娘はその都度「面白そうだよ」と返してきた。どうも不明戦車の存在は娘の知的好奇心を刺激するのには十分なものだったらしい。

「レディ、列車の席を押さえておきました」

 娘の部屋の戸を叩いて、グレアムくんが廊下からきびきびした声を発してくる。娘はそわそわと応える。

「あ、ありがとうございますっ」

「では後程。支度をしておきます」

 グレアムくんが去っていく足音が聞こえた。娘がホッと落ち着く。

「必要諸経費を出してくれるとは言え、少し不親切だわ。私はこの仕事受けるべきじゃなかったと思います」

 毛づくろいをしながらつぶやくと、娘は「東クランフはお父さんの故郷だよ」と殺し文句を言ってきた。厳密にはアウレールの故郷はクリスホイドよりもうちょっと西にあるコットブスなのだけれど、あの辺りは山に囲まれた土地で東クランフの中でも独特の文化を持つ地域だから、もしかしたら夫の育った風土を感じることはできる……かもしれない。

「塩漬け肉のサンドイッチ、レシピ取ってあるわよね」

 私はため息交じりにつぶやく。娘が微笑む。

「あるよ。お父さんの書いたやつでしょ」

「あれを用意なさい。今回はそれで手打ちよ」

「分かった」

 娘が部屋のドアを開け、振り返る。

「お父さんの味に似ますように。私、お父さんの作ったのを食べたことないから」

 あの人はあなたが生まれてすぐに死んじゃったからね。立派な死に際だったそうだけれど、悲しかったわ。

 二人の初めてのデート。夫は塩漬け肉のサンドイッチを作って持って来てくれた。料理が上手なあの人。私も魔法で料理をしたことがあるけど、魔法が使えない夫は全部手作業。それが美味しさの秘訣なのかしら。娘も魔法を使えないから、もしかしたら、ね。



 グレアムくんが荷物を機械馬車に積んでくれた。馭者は何だか萎れた菜っ葉のような細身の人で、寡黙だった。クイーンズクロスまで、と娘が告げると頷いたんだか分からない曖昧な首振りを見せて機械馬の尻についたスイッチを持ち上げた。パチリと音がして、煙を吹いて機械馬が起動した。

 道中、グレアムくんは静かだった。彼はそれほどおしゃべりな方ではないが、とはいえこれほど静かなのは珍しい。娘もそれを感じているようで、でも何を話しかけていいか分からないようで、もじもじと少しの間、過ごしていた。

「だっ、だっ」

 しかし娘が口を開いたのは唐突だった。

「大事なものなんですかっ?」

 娘が俯きながらグレアムくんの胸を指差す。グレアムくんの目が大きく見開かれた。

「ぼ、ボタン、騎士団支給のものじゃないですよねっ」

 グレアムくんの騎士団服についた金のボタン。

 言われてみて気づいた。彼の襟元を止めているボタン。くすんでいる。古いものだ。グレアムくんがそっと顎を引いてボタンを隠した。

「……よく気づきますね。さすがです」

 グレアムくんが恥ずかしそうに告げた。

「ええ、大事なものです。姉がくれたもので」

「お姉さんが……」

「ええ」

 グレアムくんが車窓の外へ目を向けた。

「クリスホイドは俺の故郷なんです」

 娘がぽかんとする。

「あそこに行くなら、姉がくれたボタンを身に着けておきたくて」

「あ、あの、お姉さん、もしかして……」

「ええ」グレアムくんが静かに頷いた。

「死んでます。不慮の事故で」

 娘が萎れたのが分かった。ねえ大丈夫。今のは仕方ないわ。

「俺は姉を守りたかった。守れなかったけど守りたかった。今度はちゃんと守りたい。その気持ちが引いては人を守りたい、という気持ちになって、騎士団を志して、そして今は、あなたを……」

 グレアムくんが真っ直ぐ娘の顔を見る。射抜かれたように、娘が動かなくなる。

「レディ。俺は今、あなたを守りたい」

 あらぁ、そんなことを言われたら……。

 娘が手を震わせてスカートの裾を握るのが見えた。俯いて、真っ赤な顔を隠している。もう、顔に出しちゃ駄目よ。主導権を渡したら駄目。まぁ、今更かしらね……。

 やがて馬車はクイーンズクロスに着いた。グレアムくんが荷物を持って、七番線、フランクファート行きの切符を買って私たちに配ってくれた。

 コンパートメントは割と綺麗だった。機関車自体は真っ黒で、煤まみれで使い古されていた旧式のものだったが、内装は整備が行き届いていた。私はカバンの姿で娘の肩にぶら下がり、そして娘の膝の上に置かれた。グレアムくんが娘の正面に座った。

「食堂車があります。よければ後で行きませんか?」

 娘が気まずそうに私に目をやる。はいはい、行きましょうね。私の中にはあなたが作った塩漬け肉のサンドイッチがありますけど、それはまぁ後でもいいから。



 夕食の時間。

 娘はグレアムくんにエスコートされて食堂車へ向かった。私は娘の肩から提げられながら小さく欠伸をした。

 豪勢な食堂車だった。どうもこの機関車、旧式というよりは歴史あるという売込みらしい。調度品の類は古いけれど丁寧に扱われたものばかりで、テーブルに椅子、フォークやナイフなど、格式あるものばかりだった。これに目をつけるとはグレアムくんもやり手だわ。

「こちらへ、レディ」

 グレアムくんが椅子を引く。娘がわなわな震えながらお尻を下ろす。

 そして彼が正面に座ると、ウェイターがグラスに入れた水を運んできた。グレアムくんがきびきびと訊ねた。

「おすすめは?」

「コースですか、単品ですか」

「コースで」グレアムくんがぱちりと片目を瞑る。

「必要経費で落ちますしね」

 ウェイターがいくつか提示した選択肢の中から、グレアムくんがきびきびとオーダーした。それを聞いて私は感心する。娘の好きそうなもの……この子よく分かってる……! 

「お食事の最中に、歌手によるショーがございます」

 ウェイターが腰を折る。

「お楽しみいただければ。料理はすぐにご用意します」

 そして皿が運ばれてくるまで、グレアムくんはおしゃべりで娘を楽しませた。椅子にお尻を下ろした時はガチガチに固まっていた娘も、グレアムくんの口に乗せられている内に柔らかくなり、その内楽しそうに笑うようになった。やがて料理が運ばれてきても、娘とグレアムは大変よろしい雰囲気で食事を楽しんだ。私も母親として何となく温かい気持ちになれた。何だか昔の、私たちみたいね、アウレール。

 と、室内の照明が落ちた。車両の隅に設置された音声魔蓄が艶やかな音楽を奏でる。車両の先頭ドアから一人の女性が現れた。煌びやかなドレス。歌手さんかしらね。

 と、私の予想通り彼女は低くて渋みのある声で歌い始めた。ふうん、まだ若そうなのに色気のある声を出すのね。最近の歌手さんは立派だわ。

 私は娘の膝の上でウトウトしながら、彼女の歌声を聞いた。歌詞が耳に入ってくる。


 時の神様

 どうか私をつれていって

 あの人のいた頃へ

 それか

 あの人の来る時へ


「クリスホイド伝統の歌ですね。現代風のアレンジですが」

 グレアムくんが静かに告げる。

「歌詞に出てくる『時の神様』は何を指すか知っていますか? クリスホイドの方言のようなものなんですが」

「知りません」

 娘が目を輝かせて首を振る。そうよね。新しいことを教えてくれる男性ってとても素敵。

 しかしグレアムくんは不敵に笑って続けた。それを聞いた途端、娘の目が違う意味で輝いた。

「時の神様……『戦車』の隠語なんです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る