第36話 愛の形

「『時の神様』が『戦車』の隠語」

 娘がすっと姿勢を正す。

「詳しく聞かせてもらえますでしょうか」

「いえ、俺も詳細は知らないのですが……」

 グレアムくんがフォークを口に運ぶ。

「何でも当時の男女の愛の形を示すのだそうです」

「愛の形……」

 娘が考え込む。グレアムくんが続けた。

「不明戦車の手がかりになりそうですか?」

 すると娘はすっと目線を歌手の方に向けた。しばし歌に聞き入るように目を瞑る。


 ああどうか

 届きますように、神様

 私のこの想い

 私のこの気持ち

 心からしたためますので

 どうか


「ええ」

 娘はにっこり微笑んだ。

「少し見えてきたかも」

 グレアムくんは娘の笑顔を見てホッとしたような顔になった。それから続けた。

「歌詞から推測するに、『時の神様』、つまり『戦車』は、女性が男性に想いを送る時に頼られる存在なようですが……」

 グレアムくんがぎゅっと唇を噛む。何か覚悟を決めたような顔。あらまぁ、まさか……。

「俺のところにはまだ、戦車がなくて」

 娘が目をパッチリ開く。

「よかったら、祈ってくれませんか。時の神様に。俺のことを」

「えっ、うぇっ」

 落ち着きなさい。

「とっとととっと、時のかみ、神様に、ぐれ、ぐれれ、グレアムくんを……」

「ええ、俺のことを」

「せん、せんっ、せんひゃ……」

「駄目ですか」

「だっ、駄目なんてことはっ」

「ではよろしければ、レディ」

 グレアムくんが物欲しそうな目をする。卑怯ね。そんなかわいい顔するなんて。

「俺のために、祈りを」

「かみさま……せんしゃ……かみしゃ……せんさま……」

 あらあらこっちはもう駄目だわ。

「クリスホイドに着いたら、すぐに宿を探します。心当たりがいくつかあるのでそこを当たります」

 グレアムくんは静かに水を飲みほした。襟の向こうで、小さいけれど立派な喉仏がぐっと動く。

「よければ、その時に」

 テーブルナプキンで口元を拭ってグレアムくんが立ち上がる。

「食事はごゆっくり。コンパートメントを見てきます。貴重品は置いていませんが、それでも妙な輩がいてはいけませんので」

「ひゃ、ひゃい……」

 グレアムくんが去ってからも、娘は心ここにあらずというか、まぁおかしな行動をたくさんした。お水をソースにしようとしたり、ソースをお水みたいに飲もうとしたり、もうしっちゃかめっちゃか。まぁ、あんな愛の告白をされちゃ仕方ないわね。私もこの子くらいの年頃であんなこと言われたら失神するわ。それも意中の男子からとあれば……。

「おっ、お母さん」

 一通り食事が済んだ後、娘は私に訊いてきた。

「どうしよう、私……」

「どんと構えなさい」

 私は娘の膝の上で猫の姿に変身した。真っ直ぐに娘を見つめる。

「彼じゃ嫌?」

「嫌じゃない」

「彼のことは好き?」

「……好き」

「本望ね?」

「うん」

「なら後悔のないようになさい」

 私はそわそわと前足を動かして娘の腿を揉んだ。娘を落ち着ける意味もあったが、半分くらいは私の気持ちの整理もあった。しかし、と私は娘に告げる。

「お遊びで旅行に来ているのではありませんよ」

 娘はきゅっと姿勢を正す。

「分かっています」

「ご依頼を受けた以上はきちんと結果を出さなければなりません」

「はい」

「何か分かったことはあるの?」

「一応」

「簡単そう?」

「うーん、それは、もうちょっと」

 と、娘は車窓の外に目をやった。日が沈み、暗くなった窓には娘の姿がぼんやり映っていた。

「クリスホイドに着いたら行ってみたいところがある」

「……宿なんて言わないでしょうね」

「いっ、言うわけないでしょっ」

「じゃあどこに行きたいの」

「『耳の壁』の東側。テュルク帝国の旧領地」

「捕虜収容施設があったとかいう場所?」

「うん」

「何を探しに行くの」

「郵便局」

「郵便局?」

 私が首を傾げると娘はぼんやり窓の外を見ながら答えた。

「そう。郵便局。東クランフ帝国の頃にはもう、クリスホイドはテュルク帝国の支配下から離れていたんだよね?」

「そう聞いています」

「明晰王ラファエルの時代に壁の撤去が決まった。国の中に国境線があっても意味がないから」

「そうですよ」

「明晰王ラファエルは国のことは全て記録にとっていた。クリスホイドのこともおそらく、壁の西も東もしっかりと……だから、ね、お母さん」

 娘がにっこり笑って私の顔を見た。

「きっと残ってるよ! 愛の形も」



 クリスホイドに着くと、グレアムくんは荷物を持って真っ直ぐに、駅の近くにあったレンガ造りの建物へ向かって行った。片田舎にある宿にしては随分お洒落な宿で、シェード付きのランプが「オーギルウィック・ハウス」と書かれた看板を寂しく照らしていた。

 娘と私がしばらく待っていると、荷物を置いて身軽になったグレアムくんが「どうぞ」と合図を送ってきた。どうも今晩の宿は、決まったらしい。



 宿の三階。

「そこの角部屋がレディの部屋です。俺はその隣。何かあったら駆け付けられる位置ですし、そもそもホテルの中からは、俺の部屋の前を通らないとレディの部屋にはたどり着けない」

「はい」

 娘がグレアムくんの手から鍵を受け取る。

「……俺の部屋の鍵は開けておくので、何かあったらいつでもどうぞ」

「ひゃい……」

 グレアムくんがドアの向こうに消えていくのをぽかんと見つめる娘。私はその足元を尻尾でくすぐる。

「夜のお散歩に出かけてくるわね」

 私はしなやかに飛び上がって、廊下の窓辺に乗る。

「部屋の窓を開けておいて。勝手に戻ってきて寝ます」

「うん……」

 娘が頼りなさそうな顔をする。私は告げる。

「しゃんとなさいな」

 私は夜空に浮かぶ月を見上げた。ふふ。アウレール。何だかあの時みたいね。


 それからしばらく夜のクリスホイドを歩いて回った。いい町だった。夜になっても女性が安心して外を歩いていられる。国境の町で治安が悪いかと思ったがそうでもないようだ。キンバリー外交官のおかげだろうか。時折、酒場やカフェから楽しそうな声が聞こえてくる。

 ただ、そう、ただ。

 暗い何かがあるのは事実だった。私は魔法使いだ。魔蓄の身になってもなお、魔法使いだ。魔法は人の念や、大気中に漂う自然的なエネルギーの操作によって行われるものだ。必然、私を含め魔法使いの一族も空気感や人の気持ちには敏感になる。そんな私のアンテナに……ひげのことじゃないからね……何かが触れた。粘着質な、暗い何かが。

 足元で踊る影から逃れるようにして、広場へ行く。

 噴水、公園。隅の方に石像が一体立っていた。何となく見て回る。と、台座の裏に書かれていたものを見て私はびっくりした。解読不能な、蛇がのたうつような文字が書かれた円形の陣式……錬金術式。拙いけれど、間違いない。

 錬金術。

 セントクルス連合王国に限らず、世界中では様々な形式での魔法が使われている。

 先述の通り、魔法とはセントクルス連合王国の定義では「大気中の自然的、及び人の心理的エネルギーを使役して行われる人知を超えた営みのこと」である。もちろんこれは連合王国の定義で、例えば東洋のある国では「気」と呼ばれる大地を巡るエネルギーを使役することを指す。そして、そう、お隣のテュルク帝国、及びタルキス共和国で行われる魔法的営みは……錬金術と呼ばれている。

 錬金術に特殊な才能は必要ない。大気中のエネルギーを感じたり人の気持ちを感じ取ったりする才能は必要ない。

 代わりに、知識が必要になる。錬金術ははやい話が物質の変換だ。そもそもが鉄を金に変えるために開発された技術。原始の錬金術は鉄に術式を書き込むことで金に変える、そんな営みである。魔法はエネルギーを対価にある種「無理矢理」物質を変えてしまうが、錬金術は式を書き込むことで「無理なく」変換する。もちろんその分制限はあって、量や重さを変えることはできない。鉄の塊一個から無限の金塊を作ることは不可能なのだ。

 錬金術にできることは二つ。先程の「物の変換」と、もう一つは「物の変形」。鉄の塊から剣を作るくらいのことは、同じ重さの範囲内でならできる。むしろ鉄を金に変えるよりも容易くできるだろう。

 さてさて、話を戻すと。

 石像の裏に錬金術式の落書き。つまり、この町では錬金術が生きている。それはかつてテュルク帝国に支配されていた頃の名残だろうか。少なくとも広場に置かれた石像の裏に落書きされる程度には、市民に、あるいは子供たちにまで、浸透している知識である。

 何だか嫌な町ね。

 最初の頃こそ感じのいい町だと思っていたが、石像の裏の落書きを見て気分が変わってしまった。魔法や魔蓄に才能や使用許可がいるのはそれが制御の難しいものだからだ。もちろん錬金術だってそう。そしてそんなものが、子供の落書きみたいに町の中で扱われているだなんて、有体に言えば、物騒だ。魔法が使えない人たちに分かりやすく言うなら、子供たちが実銃で遊んでいるようなものなのである。

 娘をこの町に長居させるのは危険だわ。

 私はくるっと振り向くと宿の方を目指した。自然と早足になる。だが、宿の前に着いた頃になって、はたと足が止まってしまった。

 宿の三階。角部屋の、隣。

 明かりがついていた。そして角部屋の方には明かりがついていない。

 若いっていいわねぇ。何というかこう、呑気というか。

 仕方ないので私は塀と屋根を伝って開いていた三階の窓辺に飛び乗ると、小さく呪文を唱えて隣の部屋まで含む範囲に加護の魔法をかけた。普通の魔法使いからすれば難なく破れてしまうような守りだったが、少なくとも魔法の知識のない人間には近づかれないし、何もしないよりはましだ。

 窓辺で丸くなって月を見る。ねぇ、アウレール。私たちの時はもっとしっかり気を配っていたわよね? そうでしょ? 

 小さく欠伸をすると、何だか月が笑っているかのようだった。

 私も静かに笑い返して、夜の闇を見つめていた。

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